西村賢太氏
西村賢太氏が亡くなられた。54歳だったそうだ。
石原慎太郎氏が亡くなり、それからわずか10日あまりでまた1人文豪が亡くなった。
個人的には、小説的な才能において、西村賢太氏はトップクラスだったと思う。私も著作はほぼ全て読んでおり、新刊を楽しみにしていた先生だった。
西村賢太氏は、エッセイで『女地獄』という師である藤澤清造の作品について書いており、その中で、自分の『女地獄』をいつかものにしてみせると、そう書いていた。
『女地獄』とは仰々しいタイトルだが、然し、『女』と『地獄』について書いてきた作家だった。
基本的には、西村賢太氏には、元恋人の女性との馴れ初めから逃げられるまでを書いた『秋恵』もの、それから梅毒が脳にまで達して狂凍死した大正の無名作家藤澤清造にまつわる『藤澤清造』もの、初めは上手くいっていたのに、持ち前の短気怠惰で毎回破綻を招き放擲される『バイト』ものの、3パターンがある。
そのどれもが、一つ一つ完成された起承転結で描かれており、毎回同じパターンなのだが、読ませるのだ。構成力の巧みさは半端ではない。実力は生半可ではない。
江戸っ子であり、どこまでもスタイリストに出来ている男だと自認しているように、非常に誇り高く、そしてインテリジェンスだった。然し、あまりにも暴力的で、ガサツでもある(あくまでも、私小説の主人公として)。
藤澤清造の全集、これを出版するために何十年も奔走していて、未だにこれは達成せずに師の元へと逝かれてしまったが、彼の家には師匠の卒塔婆があり、そして、師の墓と並んで、師匠の字で象った自らの墓もあるから、出会うことは容易だろう。仲良く、二つの墓が並んで酒を酌み交わすことができるだろう。
最後の文士と言われていた車谷長吉は、直木賞受賞作『赤目四十八瀧心中未遂』の映画を褒めていたが、西村賢太は芥川賞受賞作『苦役列車』において、山下敦弘監督の映画を腐していた。阿ることなどせず、飽くまでも自分の作品への矜持を持っていたのは、藤澤清造の没後弟子という確固たる立ち位置があったからか。彼は真の意味で最後の文士なのかもしれない。
スタイリストは、自分の作品を間違った方向に解釈されるのを赦さないのだ。
彼は、作中で自らを騙していた、心底惚れ込んだ風俗嬢と始めて相まみえた時に(小谷野敦風)、その子のあそこから貝の腐った臭いがして吐きそうになったと書いていて、露悪的だが言葉のチョイスが的確で、笑わずにはおれない。これは破滅型の男にしか書けない文章だと思ったものだ。上品さの欠片のなさが、スタイリッシュにすら転じている。
最近は、芥川賞を取り、何千万円と貯金ができて、師である藤澤清造への思いが霧散していたことを自省した『芝公園六角堂跡』などを書いていて、これからの作品も楽しみだったのだが……。
また、父の犯罪による一家離散後に関して、姉や母にフォーカスは当たるものの、父へはまだ言及がなかった。この先に、いよいよ踏み込んでいくのかとも思えたが……。
藤澤清造の全集は終ぞ彼の生前に刊行されることはなかったが、然し、先に西村賢太の全集が編まれることだろう。
その時は、どうせなら併せて発売し、師弟合わせて本屋に並んでほしいものだ。