祖霊信仰の武甲山
秩父は端山・深山信仰の構図にも当てはまるのだと思う。
「山形精神文化考:千歳 栄氏」より---------------------
死体を葬る→霊は山に昇る(里山)→33年を経て深山(葉山・羽山)に昇る→深山→さらに天に昇る。
山形県は強盗や殺人などの凶悪犯罪が日本一少ない。
背景には、道徳心の高さがあり山が育んだ山の信仰があるからと思います。
出羽三山は、自然崇拝と祖霊崇拝の二つが残っているとされています。
この二つの信仰は、人間の信仰心の二つの核で、哲学的な意味も含んでいます。
人間の命は親がなければありませんし、親もさらにその親の命がなければなりません。
その命も空気、水、動物など自然の恵みがなければ生きられません。
そう考えると自然崇拝と祖霊崇拝は、人類存在の基層になるのではないか、と思います。
神は国家神道や神社神道ではなく、自然の神です。
仏は仏教の仏ではなく、先祖の霊です。
出羽三山の標高の高い月山でも、地元の人は里山とよぶ。
月山登山をした時に、この石碑が目に留まった。
写真は月山山頂付近にある「八絋一宇」の碑。
大正期、国家神道を思う人もいるかもしれないが、月山にあることを考えると、もっと深い意味がある。
日蓮主義者の田中智學という人が使った言葉。
「日本国体の研究」に、「人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である。」
八絋は、8つの方位又は点を結び、一宇は、一つの屋根の意味がある。
武甲山の麓に「宇根」の地名がある。
宇のつく地名には、屋根の意味もあるのだろう。
根古屋の「屋」もそうで、武甲山周辺に「宇」や「屋」の地名があることは、武甲山が里山であることの証。
家の奥りの部屋に飾ってあった清水武甲の写真。
子供の頃はこの写真がある和室で寝ていた。
ふっと目を開けるといつもこの風景があった。
女性の巡礼者を撮影したものだが、秩父札所は女人講といわれたように、
秩父は女性を受け入れる観音信仰として、関東地方では定着していた。
千葉県の方では、男は伊勢、女は秩父といわれ、
40歳過ぎに巡礼を許されて一人前の主婦とされたという。
三峰神社は男性のみで、昔は女性は禁止だった。
その代りの巡礼地となったのが、太陽寺。
私の先祖は、その太陽寺のお嫁さん選びとして仲人的な事をやっていたことが横瀬町史に記載されていたと父から聞いた。
江戸時代後期頃、太陽寺の跡取りとしておられた息子さんのお相手に、
横瀬町から花嫁として迎い入れた。
なぜ横瀬町からだったのかというと、横瀬町は太陽寺に木材や「しいたけ」
といった産物を提供していた為、太陽寺とは交流があったという。
横瀬町は森しかないので、良質の木材は、大滝や三峰の方などに出荷されていたようだ。
横瀬町の札所は武甲山があるように、秩父最終の札所が多く存在している。しかし、時代はますます加速し、消えゆく里の原風景。
当時の話を聞くすべは、もうほとんどない。