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『憑依と抵抗』武甲山がシャーマンを育てる

1月31日 秩父にて「名取老女講和会」を開催した。
たくさんの方が参加して下さり、とても刺激的な講話会だった。

名取老女とは、紀州熊野三社を名取へ勧請した巫女のこと。
実は、この名取老女が関東武士(平家など)と深い関係があった。

国立能楽堂 復曲能

秩父に熊野信仰を広めようとしたきっかけのひとり、葛西清基という人が秩父氏諸流の中で初めて熊野那智大社の願文に記録される。
1244年頃から300年ほどかけて札所観音霊場の基礎を築いたと考えられる。

そのため、武甲山を補陀楽山とするために蔵王と熊野権現を勧請した。

さて、この名取老女が別名「アサヒ」と称された口寄せ巫女の教祖であり、
福島県伊達郡ではよく知られた巫女だった様子。
平家衰退の地に多く奥州三十三観音霊場を置いており、そのアサヒとは「葛西氏の娘」とも宮城県北部に伝承として残されている地区もある。

また、アサヒとオナカマサマ(山形の口寄せ)との交流もあり、オナカマサマの道具、子安貝や青い翡翠などは北方シャーマンのブリヤート族と同じものであり、それは「オンゴン霊」と酷似しているという。
※モンゴルの祖霊信仰は、オンゴン(オンゴ)と呼ぶ。

そのオンゴン霊が今モンゴルで起こっているシャーマンの増殖に関係していた。それがこの本にあるという。

『憑依と抵抗』

島村一平著
現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム

モンゴルの都市部にシャーマンが増えているという
「感染するシャーマン現象」とは何か?

この本の中に書かれていた
1:シャーマニズムという名の感染症
2:地下資源に群がる精霊たち
を読んで、武甲山と同じではないか!と思った。 
モンゴルでの地下資源開発による抵抗から、シャーマンが増えているという現象。

しかし、武甲山に集まるシャーマン現象は、モンゴルの例とは違いお布施や祈祷料、といった宗教的要素はなく、「社会とは切り離さない」ことを重視している。

物理的な契約は発生しないが、互いのコミュニティを通して情報を共有する思想・精神的な団結心が起きる。

モンゴルのオンゴン霊の場合、シャーマンになると格段と精神と肉体的な変化があり、好転するとは言われる。(すべてとは言えないが)

家族のだれかに突然憑依し、その要因は病気やケガなど良くないことが起こる場合が多い。家族の誰かがシャーマンになると名誉であり権力をもつ場合もあるという。(家族はシャーマンに多くの金額を出資するという)

ただし、日本の口寄せは、もっと質素で差別的なものだった。

モンゴルでは、鉱山開発に関係ない者たちが、その抵抗をシャーマニズムによって開発者に対し提言することを試みようとしていることは、互いに依存しながらも抵抗している、という矛盾もあるという。
※開発に従事している人もいるため。

それは日本の現代社会の闇、環境破壊の抵抗をしつつも社会、組織に依存し離れられない日本人と同じこと。

なぜ、そうなるのかは、著者がいうように
「あまりにも大きな組織に抵抗ができない」からである。

武甲山に関心をもつ人たちが秩父へ集まる裏に、シャーマン現象。
その発端は、武甲山の石灰開発による抵抗であり、それによって生まれた副産物「シャーマンの聖地化」であるとモンゴルの例をとればそこに共通する部分がある。

それがコミュニティになりつつあり、シャーマニズムの新しい実践ともいえるかもしれない。

集まる人たちの興味は、「名取老女」という巫女であり、口寄せの女性の講である。

武甲山が何もない普通の山であったら、こうはならなかっただろう。

そこには互いに依存しあう関係性(企業や自治体、宗教など)はなく、
自立した個々の意志に基づき、互いを尊重する信頼関係が形成される。
もちろん、出身地も関係ない。

そのオンゴン霊は、日本と同じ先祖の霊であること。

口寄せの祈祷が糸を通して祭文を誦む代わりに「学習」することに現代は転化しているのだ。

特別授けてくれたのは、武甲山に培われたその土地にいた先祖であることは間違いないが、地元の多くは武甲山の依存から離れないでいる。

それがシャーマンといえるのか?といえば、シャーマン定義にならないだろう。しかし、日本には、自然崇拝の神道と神仏習合があり、先祖崇拝が生活の中にある。それを維持させることで「自立した」シャーマンであり続けることが、本来のやり方だったのかもしれない。

非常に興味深いモンゴルのシャーマン現象であるが、現代社会の闇があるからこそ、シャーマンが日本でも異常に増えているということが、外の話ではないことを改めて実感した秩父であった。

太陽(名取老女とヤタガラス)と月(タタラ巫女)の関係


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