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彫刻が素晴らしい八坂神社の天王様は「尾張」がルーツ
毎年4月は天王様のお祭りがあり、山車が練り歩く。(宇根地区のみ)
昔は、火消しの望楼があり、町内会のイベントや花火大会などもやっていた。
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横瀬町の六社のひとつに宇根地区の八坂神社がある。
武甲山を囲んで猿田彦命と牛頭天王(祇園祭)
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子供の頃、映画上映会をよくやっていた所。
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日(赤)月(白)をシンボルとしている山車の祭は、江戸時代~明治時代にかけて数台の山車があった。
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元は、思策の森といって森の中にあり、明治十二年頃に現在の位置に移した。森まで歩くのが面倒だった・・・とか。
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このお社は、彫刻が素晴らしい。
(開けることはできません)
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この天王様は「尾張津島天王様」から来ている様子。
全国天王信仰の中心地。
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手置帆負命弥「五郎殿」の五郎殿とは、津島神社の摂社に弥五郎殿があり、堀田氏という人が、祖武内宿祢を祀り、江戸時代は津島牛頭天王社の社家として代々お祀りしてたという。
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天彦狭知命「居森殿」という「居森殿(いもりやしろ)」は、
これもまた、津島神社境内にあり、神名帳に「尾張国海部郡国玉神社」があり、由縁によれば、
神船を高津の湊の森に寄せて奉ると、「蘇民将来の末裔」と云う老女が、
霊鳩の詫によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われるという。
手置帆負命は、「讃岐忌部」の忌部氏の祖神。
つまり、この八坂神社の天王様は、神話に基づく内容を由来とし、
そのルーツは、愛知県津島からきている蘇民将来=牛頭天王信仰から笠鉾祭(祇園)となった。
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棟梁が「和泉」とあることから、大阪(当時の摂津)から?
<神話>
「手置帆負命は、天照大神が天の岩屋に隠れてしまわれた時、
彦狭知命(ひこさしりのみこと)と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。
天児屋命(あめのこやねのみこと)らが祈りを捧げ、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を奏したところ、
天照大神は岩屋を出て、この瑞殿に入られた。
後年この間に天降りした大国主命(おおくにぬしのみこと)の
笠縫として仕えたとされる。」
秩父神社が思兼命(アマノコヤネ)。
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<牛頭天王の伝説>
「昔、この里に、戦いに敗北した 牛頭天王 が逃げてきたことがあった。
そのとき、牛頭天王は、この里の 胡瓜 畑に隠れたため、間一髪のところで命が助かった。
そのため、牛頭天王は里人たちに、「 この里の胡瓜は、私の命を救った。
今後、胡瓜を作ることも食べることも禁止する 」と命じたので、その後、里人たちは、胡瓜を作ることも食べることもしなくなったという。」
「きゅうりを食べてはいけない」
「きゅうりを栽培してはいけない」
タブー伝説は、横瀬にある。
八坂神社の前は、小川。
ここでは化石がとれたと聞き、小学校の帰り道に友達と探訪したものだ。
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その川の名を「兎沢(うさぎざわ)」という。
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まるで、大国主が救った兎の神話を彷彿するような祇園の武甲山があった。
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<尾張津島天王祭>