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秩父夜祭考察②「神話の世界」武甲山は荒川の銀河と結ばれる

秩父神社と武甲山の間にある「御旅所(おたびしょ)」。
そこは「亀石」がある所。(妙見の亀石)
神事を執り行うのが最大の特徴である斎場祭を設ける。

御旅所

武甲山に大蛇信仰があった為、天孫系(龍神)の秩父神社から
武甲山を大蛇とし、神社を龍としたのだろうか?
お田植祭にするために、龍神=水にしたこと。

武甲山は「嶽山」と言われたように、
元来、秩父神社とは別であったと思い、
古代祭祀信仰かイワクラ信仰があったと想像。

「大蛇窪」がある大蛇=ミシャグチ(マナ)について、
そこから甕(亀)に乗った妙見様がおりてくるという言い伝えもあるが、元来の磐信仰から妙見信仰への転換は、よくわからない。

その大蛇窪が「窪」であるように、水をたくわえている場所(ツボ=マナ)であったとも言われ、窪→泉から、真名井の泉と言われていたかもしれない。

仲間たちと考察したこと。
想像する世界は、素晴らしく宇宙と繋がる。
それは、武甲山の水によって。

武甲山の橋立は、京都の天の橋立としているから、
大蛇窪は真名(マナ)なのだ!

橋立鍾乳洞

鍾乳洞が縦型になっているという偶然が、
宇宙に繋ぐ意図(糸)をもたらしている。

機織りの祭

秩父銘仙があるように、秩父も機織りの産地。
家から学校への道には、桑畑がたくさんあった。

そのため、夜祭には、年に一度男女神が会うことから、機織の七夕になっている。荒川がミルキーウェイ。
それを「逢瀬」と呼ぶ。

※タケハヅチ=天羽槌雄神(あまのはづちおのかみ)は、
倭文神(しとりがみ)とされ、
天照大神を天の岩戸から誘い出すために、
文布(あや)を織ったとされる。

これが、国津神と天津神の婚姻(契約)を示しており、ヤサカトメとタケミナカタの国津神の夫婦神がある。

しかし、その日は、諏訪神(ヤサカトメ)にばれないように、天津神の女神に会いにいくと?
(秩父夜祭前日には諏訪神社へ通る時はお囃子の音を止める)

天津神の秩父は養蚕がある。
荒川から渡来系の秦氏(新羅系)の機織などの職能集団がいたことがあり、群馬(上野国)は、利根川を伝ってきた忌部の痕跡があると聞く。

職能技術をもった人たちは、炭鉱の技術も知っていた。
四万十帯・秩父帯を歩いて。

平成28年12月2日(宵宮(よみや))3日(本祭(ほんまつり))

「秩父夜祭」は、別名「お蚕祭り」とも言われ、
繭を大神様に奉献(ほうけん)し、1年間の恵みに感謝する習わしがある。

翌日4日、JAちちぶ養蚕部会は、秩父神社にて「養蚕倍盛祈願祭(蚕糸祭)」を厳(おごそ)かに執り行い、生産者や養蚕関係者、JA役職員ら39人が出席した。※平成28年

寅の秩父神社

徳川家康公は、寅歳の誕生にあったので、秩父神社に寅の秘法を信仰したという話がある。
大星妙見の大斎秘法の御手洗を汲んで祈念したと伝わり、その水は、秩父神社の近き辺なる七ツ井戸として七星の神水になり今日に至る」

その7つは、小鹿野藤原、皆野金沢、長瀞矢那瀬、東秩父村安戸、横瀬町大野、入間名栗、飯能市北川が北斗七星となり、秩父郡の境を守っているとされる。

秩父神社を司るのは、天之御中主神社(妙見神社)だが、東には国常立命を置いた御嶽講があり、南に座す武甲山が最も目立った山であり、太陽が昇る東から南は、つねに武甲山があった。

豊穣であった武甲山が、いつの間にか武神とされたが、甲を置いたというのは、武具として大事な甲を手放す解釈もできる。

それは、争いから終止符を打つためであったと。
そんな希望をもつ神話の秩父夜祭でありたい。

来年は、そうなる時がくることを願う。

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