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第52回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教④ 世界という存在?

 釈尊が証得した「悟り」とは、意識(魂)を肉体から分離・離脱させ、分離・離脱した意識(魂)が、ニルヴァーナ(涅槃)内に分散して存在する諸世界の実相・実態、人間という存在の実相・実態を直覚的に知覚することである、と般若心経のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」には明確に記されています。

 意識(魂)による直覚智(=無分別智)こそが真理・真相(=明)であり、人体の五感(眼・耳・鼻・舌・身)や脳(意)を介した知覚(=分別智)は、迷妄(=無明)に過ぎないと言っているわけです。

 こう書くと、玄奘訳「般若心経」に慣れ親しみ、読経や写経に励んでいる人々は、「何を馬鹿なことを!」と眉をひそめられることでしょう。
 玄奘訳「般若心経」はサンスクリット原典を正しく漢訳したもの、だと信じて疑っていないからです。

 私の仏教探求は、「般若心経」のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」を翻訳し直すことから始まりました。
 その成果は、拙著「般若心経VSサンスクリット原文」(キンドル版電子書籍)に詳細に書いています。

 玄奘訳「般若心経」は誤訳だらけで、サンスクリット原文とは似ても似つかぬ独自創作満載の漢訳文になっている、というのが「法隆寺貝葉写本」を翻訳し直した私の正直な感想です。

 だから、玄奘訳「般若心経」は難解なのです。

 釈尊が証得した「悟り」の真相は、多数ある仏教経典の中の、「法隆寺貝葉写本」、「スッタニパータ」、「自説経」、「華厳経」の四つを参照することにより明らかになります。

 これら四つの経典に書かれている経文は、一見バラバラなことを書いているように見えますが、互いに密接に関連しあっているのです。

 これまでは、それぞれが全く別個の経典として扱われ、関連付けられることがなかったために、「悟り」の真相が明らかになっていなかっただけなのです。

 今回は、「法隆寺貝葉写本」で「プラジュニャーパーラミタ」(玄奘訳で般若波羅蜜多)と名付けられた瞑想修行法を成就した暁に意識(魂)が到達する、ニルヴァーナ(涅槃)で垣間見る「世界」或いは「世界海」の真相・実態について解明してみたいと思います。

 「世界」或いは「世界海」について最も詳細に言及しているのは、華厳経です。

 華厳経は釈尊の悟りの境地を説いた経典とされ昔から重要視されてきましたが、その内容は余りにも難解で、近年の仏教学者による現代日本語訳を読んでみても、「言語明瞭なれど意味不明」という感想しか出てきません。

 しかし、華厳経で「世界(海)」について説かれている部分の経文と「法隆寺貝葉写本」の経文とを読み比べてみると、「世界(海)」という存在の真相・実態が明瞭に見えてくるのです。

 二つの経典から見えてくる「世界(海)」の真相・実態とは、次のようなことです。

 ☆ 始原的存在であるニルヴァーナ(涅槃)には、無数の「世界 (海)」が分散して存在する。
 ☆ 全ての「世界(海)」は造られたものであり、そこには単数或 いは複数の仏陀が存在する。

 ☆ 「世界(海)」には、過去・未来・現在の全てが包含されてい る。
 ☆ 「世界(海)」は、ニルヴァーナの中では、微小な毛孔(けあ な)や塵(ちり)のような形態で存在する。

 ☆ 微小な毛孔や塵は、(恐らく、念ずることによって)、「世界 (海)」に変化する。又、逆に、「世界(海)」は、微小な毛孔や 塵に 変化する。

 般若心経の有名な詩句「色即是空 空即是色」のサンスクリット原文は、これらのことを言い表しているのです。

 抽象的で何のことやらさっぱり分からないという印象をお持ちの方も多いと思いますが、ニルヴァーナ(涅槃)はインターネット世界と相似形の存在だと想像すれば、「世界(海)」についての全体像も一気に理解できるようになります。

 つまり、ニルヴァーナ内に分散して存在している「世界」は、インターネット上に存在している無数の「サイト」に対応していると考えるのです。
 「世界海」と「世界」の違いについては、「ポータルサイト」と「サイト」の違いのようなものだと考えるのです。

 華厳経で微小な毛孔とか塵とかの名称で表現されているのは、サイトのアドレス情報を埋め込んだ、微小なアイコンのようなものだとイメージすればよいのです。

 こう考えると、非常に難解な事事無礙法界(じじむげほっかい)とか理事無礙法界(りじむげほっかい)とかの言葉は、各世界(=法界=サイトに相当)同士はお互いに妨害・干渉することなく独立に存在し、相互にハイパーリンクで結ばれ、行き来が自由自在であることを言い表しているのだと思われます。

 これまでに何度も言及しましたが、「アナッタン」を「無我=我は無い」ではなく「非我=我ではない」、「パンニャー」を「智慧」ではなく「瞑想智」と解釈すること等、基本的な仏教概念に修正・訂正を加えることにより、「釈尊が説く仏教」の姿はシンプルで分かり易いものに変わってくるのです。

 今、メタバースというIT技術が黎明期にありますが、この技術こそニルヴァーナの仕組みをそっくり模倣し、ヴァーチャルな世界を現実世界(=この世)に造り出す、究極的な技術になるのではないかという気がします。

 


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