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第41回 釈尊の悟り➈ 中道(=苦行でもなく、快楽行でもなく、瞑想行!)
釈尊(=お釈迦様)は、今から約2500年前インドに実在した人で、小国の王子の地位を投げ捨てて出家修行者となり、難行・苦行を体験し挫折した後、瞑想行にたどり着き、ついに「悟り」を開き仏陀となった聖者です。
「仏陀になる=成仏」ということは、死に変わり生まれ変わりを繰り返す「輪廻」(りんね)の流れから離脱(解脱)し、永遠の平安・安楽・清浄の境地であるニルヴァーナ(彼岸)に至ることを意味します。
釈尊が最終的にたどり着いた、禁欲と瞑想行を実践手段としてニルヴァーナに至る道は、「中道」(ちゅうどう)と名付けられ今日に伝えられています。
「中道」と名付けられるからには、ニルヴァーナに至る道は、他に少なくとも二つ以上あることを意味します。
そのうちの一つは、釈尊が出家後約6年間取り組み、結局、「悟り」を得ることが出来ず徒労に終わった、「禁欲」と「苦行」を主たる修行手段とする道です。
釈尊は徒労に終わったものの、釈尊と同時代の修行者マハーヴィーラーは、「禁欲」と「苦行」を実践手段とする修行を成就し、今日のインドにも継承される、ジャイナ教という宗教の創始者となりました。
釈尊は、「苦行」からは「ニルヴァーナへ至る道=悟り」は開けないと諦めて「瞑想行」の道に進んだのですが、マハーヴィーラーは、「禁欲」と「苦行」からも、「ニルヴァーナへ至る道」は開けることを実証したのです。
では、違う道をたどった釈尊とマハーヴィーラー両者が、共に成就した「悟り」とは何だったのでしょうか?
般若心経のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」の梵文には、「悟り」の本質は、肉体からアートマン(我)が分離・離脱し、ニルヴァーナに至ることであると明示されています。
だとすれば、「苦行」は、肉体からアートマン(我)を分離・離脱させるための有力な実践手段である、と当時の修行者には明確に認識されていたはずです。
だからこそ、釈尊も、出家直後の6年間、「禁欲」や「苦行」に取り組んだのです。
「苦行」にも色々ありますが、人類が経験する究極の「苦行」とは、「臨死体験」ではないでしょうか。
「臨死体験」とは、事故や病気で瀕死の状態に陥った人が、自分の肉体から魂が抜け出して浮遊したり、「この世」ではない「別の世界(=あの世)」の様相を垣間見たりする体験のことを言います。
現代の医学では、脳の妄想・幻覚にすぎないと結論づけられているようですが、生命の危機を脱して生還した当事者たちは、異口同音に、絶対に妄想・幻覚などではなく現実体験だと主張しています。
科学的な検証・証明に必要な再現性がないため、いつまでたっても決着がつかない論争が続いているのですが、「苦行」や「瞑想行」による「悟り体験」は、この問題に決着をつける有力な手段になるのではないかと思います。
「臨死体験」よりは危険性が低く再現性もある「苦行体験」に、「ランナーズハイ」という現象があります。
マラソン選手などが、苦しさの極致に、快感や恍惚感(こうこつかん)を味わうことがある現象のことですが、「苦行」や「瞑想行」でも、修行完成時に同様な恍惚感を味わうことがあると言われています。
宗教とスポーツ、全く異なる分野ですが、修行・運動の極致で似たような現象が起こることに、もっと注目すべきなのではないかと思います。
もう一つの「ニルヴァーナに至る道」は、「苦行」とは正反対の、「快楽行」を実践手段とする道です。
「快楽行」といっても、釈尊が在世していた当時、「快楽行」と明記された文献もしくは伝承があったのかどうか、定かではありません。
唯一、それらしき文献として、性愛論書として有名な「カーマスートラ」がありますが、成立したのは紀元後のようです。
しかし、インドにおける仏教最後の発展段階である後期密教では、「男女の交合(セックス)」が「悟り」に達するための手段として現実に実践されていたことが、「タントラ」と名付けられた一群の経典類に残されています。
「タントラ」は、仏教固有のものではなく、当時のヒンドゥー教・ジャイナ教にも共有され、共通した修行法として実践されていたのではないかと思われます。
「男女の交合」を「悟り」獲得の手段として実践するのは、釈尊の教え(=禁欲・瞑想行)とは遠く離れた行為ですが、8世紀の成立とされる密教経典、漢訳「理趣経」(不空訳)には、「男女の交合による恍惚境は菩薩の境地である」という主旨のことがはっきりと書いてあります。
「理趣経」を伝える日本の仏教宗派では、「理趣経」に書いてあることは、「例え(比喩)」として書いてあるのであって、そのまま文字通りに受け取ってはいけないと教えているそうです。
しかし、インドからダイレクトに密教が伝わったチベットでは、ヤブユム(男女交合尊)に見られるように、男女の性愛の究極に到達する恍惚境は、「悟り体験」に直結するものであることを図像の形で示しています。
「男女の性愛の極致」が「悟り」につながるものであることは、「ポリネシアンセックス」と呼ばれる、ポリネシア人特有の性行為の形態からもうかがえます。
私が「ポリネシアンセックス」という言葉を初めて知ったのは、ずいぶん前のことになりますが、作家の五木寛之氏が朝日新聞の夕刊紙上に連載されていた、「夕方メール(?)」というコラムからです。
このコラムのある回で、五木氏は、「ポリネシアンセックス」と題したエッセイで、「ポリネシア人は、非常にゆっくりした性行為を行い、その結果として、至福の境地に達する。」という主旨のことを紹介していました。
「男女の交合=快楽行」は、出家修行者に対する釈尊の教え(=禁欲・瞑想行)とは全く正反対の行為ですが、「タントラ」や「ポリネシアンセックス」で実践されているように、「悟り」に到達するための有力な手段として、釈尊以前から知られていて、ひそかに伝承されていたのではないかと思います。
釈尊は、血気盛んな若い時期に、「苦行」や「快楽行」を排して「中道=禁欲・瞑想行」を選択し、「悟り=ニルヴァーナに至る道」を成就しました。
だから偉大なのです。
しかし、現代社会や日常生活の在り方を概観してみて、我々に釈尊と同じような修行ができるか考えると、否定的な気持ちにならざるを得ません。
様々な欲望と喧騒と享楽にあふれる社会の中で、世間との接触を断ち、禁欲に徹し、一人静かにボッチでニートで乞食(こつじき)の生活を送ることなど、至難の業です。
来年には後期高齢者の仲間入りをする我が身を振り返って思うのは、釈尊の説く「中道=禁欲・瞑想行」は、煩悩にまみれて生き抜くことに必死な青壮年期に挑戦するには無謀すぎ、人生の終盤期である老年期にこそ挑戦すべきものではないかということです。
人間、年を取ったら体力も気力も衰え、さほど苦労をしなくても、諸々の欲望は自然になくなっていくものです。
そういう時にこそ、仏教寺院が、儀式や作法にとらわれることのない修行の場を提供し、釈尊が悟り得た諸々の真理を説く、「中道」実践の場であってほしいと思います。