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第38回 釈尊の悟り⑥ 世界(=ニルヴァーナに分散して存在する特異点)
仏典は、元々は、インドの言語であるパーリ語やサンスクリット語で書かれています。それが、僧侶や学者の手により漢語や日本語等に翻訳され、私達の目に届いているのです。
従って、翻訳される過程で必ずしも正しく翻訳されず、原意が正確に伝わっていない場合があります。
又、原典が書かれた当時に使われていた語彙(ごい=ボキャブラリー)だけでは表現できない内容を、何とか皆に分かるように伝承しようと、近似した内容の言葉を選んで翻訳しているケースもあります。
その一つが、「世界」という言葉です。
仏典中では世間とか社会とかいう意味の使い方をされていることもありますが、ここでは、スッタニパータの「第5 彼岸に至る道の章」1119詩にある、「世界が空なりと観ぜよ」(中村元訳 「ブッダのことば」 岩波文庫)という詩句の、「世界」とは何を表しているのかについて考えます。
釈尊の直説を伝える最古の仏教経典「スッタニパータ」を読んでみると、そこには、後世展開される複雑な仏教の世界観は全く説かれておらず、「この世」「かの世」「梵天の世界」「天(上)界」「地獄」等の、一般的な簡単な言葉が散見されるだけです。
「世界が空なりと観ぜよ」の詩句は、一見してお分かりの通り、般若心経に現れる「照見五蘊皆空」と全く同じ意味内容の表現になっています。
この一例だけでは分かり難いかもしれませんが、スッタニパータ「第5 彼岸に至る道の章」には、般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」と似通った内容のことが書かれています。
私が翻訳した「法隆寺貝葉写本」の梵文には、世界を意味する言葉が、「スカンダース」「ルーパン」「シューニャター」「ダルマー」「チャクシュール ダートゥ」「マノー ダートゥー」「ヴィディヤー」「アヴィディヤー」「ニルヴァーナ」と、九つ出てきます。
九つ目の「ニルヴァーナ」については、本シリーズ第35回で紹介しています。
残りの八つは、いずれも、始原的存在である「ニルヴァーナ」の中に存在する世界を意味する言葉です。
一つ目は、梵文「パンチャ スカンダース」の「スカンダース」です。
玄奘訳「般若心経」では、「パンチャ」を数詞の五、「スカンダース」を集まりを表す蘊(うん)と解釈し、「パンチャ スカンダース」を「五蘊」(ごうん)と漢訳しています。
五蘊は世界を意味する言葉ですから、「パンチャ スカンダース」=「五蘊」=「世界」と解釈しているわけです。
しかし、私は、「パンチャ」を形容詞の「分散して」、「スカンダース」を「諸世界」と解釈し、「パンチャ スカンダース」を、「分散して諸世界がある。」と現代日本語訳しています。
事物の集まり・集合を表す「スカンダ」が「スカンダース」と複数形で書かれており、経文全体の文意から、「ニルヴァーナ」内部に点在する複数の「世界」のことを叙述していると判断し、「諸世界」と訳しました。
二つ目は、「ルーパン(色)」です。
直訳的には「形のあるもの」という意味ですが、後続する文章に、「ヴェーダナ(受)」「サンジュニャー(想)」「サンスカーラ(行)」「ヴィジュニャーナーニ(識)」も同様であると書かれているので、「ルーパン(色)」は、世界を構成する全要素(色受想行識)を代表して書かれていると判断しました。
三つめは、「シューニヤター」です。
「法隆寺貝葉写本」の前段の文章にある形容詞「シューニャ」(=実体を欠いている)を名詞形にした言葉で、「実体を欠いているもの」という意味を表します。
玄奘は「空」の一字で漢訳していますが、私は、華厳経で説かれている「毛孔」「微塵」「微細世界」を、「シューニヤター」という言葉で表現しているのだと判断しました。
四つ目は、「ダルマー」です。
「ダルマ」の複数形で、通常は「法」と漢訳されることが多い言葉ですが、元々は存在している事物のことを表していたことから、ニルヴァーナ内に存在する世界のことを表していると判断しました。
五つ目は、「チャクシュル ダートゥ」です。
玄奘は直訳的に「眼界」と漢訳していますが、我々が日常眼にしている、「この世」(=物質世界)のことです。
六つ目は、「マノー ダートゥー」です。
「チャクシュル ダートゥ」(眼界)に対比する形で書かれている言葉で、「意界」と漢訳されます。
玄奘訳を始め全ての解説・注釈が「意識界」となっていますが、サンスクリット原文通りに翻訳すれば、「意界」が正解です。
「意界」という言葉の意味が分からなかったために「意識界」と修正したのでしょうが、私は、「あの世」「かの世」「梵天界」「浄土世界」「地獄」等の、非物質で構成されている領域の総称ではないかと判断しています。
七つ目は、「ヴィディヤー」です。
漢訳では「明」と訳されますが、仏教学者中村元氏は、「悟りの世界」と邦訳しています。
ニルヴァーナに存在する諸世界の内、「天(上)界」や「浄土世界」のように、仏道修行が進んでいる人たち(=善人)が、死後に輪廻転生する世界のことではないかと思います。
八つめは、「アヴィディヤー」です。
「ヴィディヤー」(明)に否定語「ア」がついた言葉で、漢訳では「無明」、中村元氏の訳では「迷いの世界」となっています。
「地獄」「餓鬼界」「畜生界」「人間界」のような、迷妄にとらわれたままの凡夫(=悪人)が、死後に輪廻転生する世界のことだと思います。
いずれも、ニルヴァーナの中に存在する諸世界を、異なる分類の仕方や言葉で表現したものです。
『これらの諸世界が全て「空」(くう=毛孔・微塵・微細世界=特異点)の形態でニルヴァーナ内に存在しているのを観ぜよ』、と釈尊は説いているのです。
悟りに達した結果知り得た「世界」の真相や様相を言葉で説くことは、赤道近くの雨季と乾季しかないインドの人々に、一年中氷に閉ざされた南極の様相を説くようなもので、理解されることはなかったのではないかと思います。
しかし、釈尊が認知した「世界」の真相・様相を、現在の科学技術(VR)の知識・言葉で表現しようとすれば、次のような描写になるのではないでしょうか。
空間(=ニルヴァーナ)に無数の特異点(=毛孔・微塵・微細世界)が分散して存在している。
その一つを心でクリックすれば、ディスプレイ上にZOOMの画面が現れるように、一つの世界(=現実世界)が出現する。
心の縮小ボタンをクリックすると、現実世界は消えて、元の特異点に戻る。
全ての世界は特異点の形態で存在し、心の働きによって、出現したり消えたりする。
これが「空」(シューニャ)だ!