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【40代からの仏教】死の間際と心の清らかさ。

どうも、梅干し弁当です。

私達は死ぬ瞬間
心が清らかでないといけないと思うのです。

私達は病気になり
あと少しの命であると知らされると
やらなければならない事(心の成長)よりも
やりたい事(欲により心を汚す事)に
邁進してしまいます。

そして死の間際
やりたい事に邁進したけれど
結局満たされる事なく
人生は満足いく事のない事に気が付き
絶望し、この世を去ってゆくのです。

この満足のいかない人生のカラクリは
私達には生きたいとするエネルギー(渇愛)があり
表面的な欲を満たしたところで
満たされる事がなく
なんの解決も生まないのです。

生きる根本には渇愛がある事を理解し
それを乗り越えなければ

お金持ちになろうが
欲しいモノを手に入れようが
余命宣告されようが

いつまで経っても
悩み、苦しみからは解放されないのです。

結局
私達の最後に残るのは
生への執着なのです。


お釈迦様の教えとは
生きる事と死ぬ事
どちらも讃嘆(素晴らしい)する事なく
ただ執着する事で
悩み、苦しみが生まれていると
心(感情)の模様を説いておられるのです。

他宗教では
生きる事に意義があると讃嘆し
また神の為に死ぬ事を讃嘆しています。

お釈迦様は
生きる事への執着を乗り越え
心の成長こそに意義があるとされるのです。

私達は
生きる事を素晴らしい、と教えられ
考える割には
小さな虫など
いとも簡単に無駄に殺生します。

生きる事は素晴らしいと讃嘆しながらもです。

どんな生命にも渇愛があり
生きたいと願う部分は同じなのです。

人間に心の成長が欠かせないのです。









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