【40代からの仏教(お釈迦の教え)】

出家を目指す男です。

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最近の記事

【仏教】甘い言葉が人生を狂わせる

私達は皆 主観的に生きています。 そこに 客観性はありません。 自分の好きは正しい 自分の嫌いは正しい と、主観的に生きています。 好き嫌いで生きるばかりでは 心の成長はなく 生きていく上でのアイデア(智慧)も 生まれてきません。 好き嫌いは病気(体と心)のもとにもなります。 自分を好きな人も 自分を嫌いな人も 最終的には心と体 どちらも破壊してしまいます。 現代社会において 『個性を大事に自分を大切にしましょう』 と耳障りが良く また都合の良い流行りが言葉ありま

    • 病気になっても落ち込む必要はありません。

      どうも、梅干し弁当です。 私達は 病気になろうがならまいが 必ず死ぬとゆう事を しっかりと理解しなければなりません。 それは 辛い治療を頑張って受けたとて 運良く健康であったとて 進む場所は同じなのです。 病気になった人も たまたま健康である人も 結局は『生』の事しか頭になく 生に執着し 心の成長には繋がりません。 体は体の勝手で変化していくのです。 それはどうする事も出来ません。 しかし 心は自分で作っていけるのです。 生死を理解し 生死を乗り越え 心穏やかに過

      • 【仏教・お釈迦の教え】馬を見て、馬だと思い込む私達は無知である証拠

        どうも、梅干し弁当です。 私は全ての生命を認めています。 それは 『あなたは完璧で素晴らしく尊い存在である』 とゆう偏った認め方ではなく あなたも私も不完全で 悩み、苦しみに満ちた苦の存在である とゆう真理にそった認め方です。 私達は完全無欠であると思い込んでいます。 自分のやる事成す事 全て正しいと考えています。 しかし生きていく為 全ての事を他に頼りきっている 一人では生きていけない とても弱い不完全な存在なのです。 誰かに批判され、頭に血が上るのは 私は完

        • 【仏教・お釈迦の教え】生きる重荷を下ろしてくれるのは、お釈迦様の教えだけ。

          どーも、梅干し弁当です。 『悟りを開く』と言うと 世間からは疎まれ 『神秘的能力』と言うと 世間からは称賛されます。 悟りを開くとは 単的に言えば『物事を客観的にみる力』 とゆう意味であり 訓練次第では誰にでも ある程度、身につく力でもあります。 この客観的にみる力が 養われれば養われる程 私達はどんどん身軽(悩み・苦しみからの解放)に なっていきます。 仏教とは 生きる上での重荷(執着・邪見など)を 下ろしてくれる教え(智慧・プロセス・やり方) なのです。 では神

        【仏教】甘い言葉が人生を狂わせる

          【仏教・お釈迦様の教え】ストレスが現れる原因。

          どうも、梅干し弁当です。 私達は ストレスとは何なのか? ストレスがどのように現れるのか? それを理解しようとせず 誤魔化しながら生きています。 誤魔化しながら生きていますから いつまでも毎日が ストレス無限地獄なのです。 ストレスが現れる原因の一つとして 偏見(好き嫌い)があります。 私はあれが好き 私はこれが嫌い これは 『私はいつも正しい』とゆう 態度(傲慢)なのです。 その上、私達の心は いつも何かと争っている状態であり 悪い心を育てています。 いつも何

          【仏教・お釈迦様の教え】ストレスが現れる原因。

          【仏教・お釈迦様の教え】本当の幸せ。 無明を乗り越え、今を生きる。

          どうも、梅干し弁当です。 その昔 インドでスードラとして産まれた子供が 人生に嘆き 悲観にくれている所へお釈迦様が通りかかります。 そこでお釈迦様は この子供には悟る資質がある と感じとり 『スードラにはスードラの仕事がある それを怠ってはいけない』と話され その子供は預流果となり悟りを開きました。 ここに人生をより良く生きる為のヒントが 隠されています。 欲と怒りと無知(貪瞋痴)により 無明(何が正しいのか分からない状態) である私達は 自分のやるべき事から目を背

          【仏教・お釈迦様の教え】本当の幸せ。 無明を乗り越え、今を生きる。

          【お釈迦様の教え】死から学ぶ

          私達は 必ず老いて病気になり そして死にます。 病気になった人を可哀想などと 他人事に考えてはいけません。 死にゆく人を泣いて悲しみ 他人事に考えてはいけません。 あなたも私もそうなるのです。 生命の死を見て 心が痛むのは当たり前であり そこには優しさもあるのです。 しかし深い悲しみのあまり 故人を弔う心を忘れ われを忘れて泣きじゃくる それは悪い心を育てているのです 泣きじゃくるのは故人の為ではなく あなたが悲しいから泣いているのです。 ただただ泣きじゃくり

          【お釈迦様の教え】死から学ぶ

          【40代からの仏教】死の間際と心の清らかさ。

          どうも、梅干し弁当です。 私達は死ぬ瞬間 心が清らかでないといけないと思うのです。 私達は病気になり あと少しの命であると知らされると やらなければならない事(心の成長)よりも やりたい事(欲により心を汚す事)に 邁進してしまいます。 そして死の間際 やりたい事に邁進したけれど 結局満たされる事なく 人生は満足いく事のない事に気が付き 絶望し、この世を去ってゆくのです。 この満足のいかない人生のカラクリは 私達には生きたいとするエネルギー(渇愛)があり 表面的な欲を満

          【40代からの仏教】死の間際と心の清らかさ。

          【40代からの仏教】悩み苦しみを祈りで乗り越えようとする私達。

          こんにちは\(^o^)/ 出家を目指す男46歳です。 いつまで続くか分からないブログですが それまでお付き合い頂けたら幸いです💡 私の仏教との出会いは『お金』でした。 小さい頃から両親の影響で お金が大嫌いでした(笑) 両親も世間も何かにつけ お金!お金! そんな事に嫌気が差し お金を遠ざけるような思考をしていました。 そしてコロナ禍に入り収入が激減 ついには生活が立ちいかなくなり 悩み、苦しみが最高潮の中(笑) 仏教と出会いました。 皆さんは仏教と聞いてどん

          【40代からの仏教】悩み苦しみを祈りで乗り越えようとする私達。