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私たち日本人にとっておなじみの「いろはにほへと」から始まる「いろは歌」は、今でいう「あいうえお」の50音の仮名を重複させずに使って作られています。
昔は仮名の教科書として近代にいたるまで用いられていました。

いろはにほへと ちるぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑいもせす
 

これを漢字にしたものがこちらです。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ  常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず 

歌の意味は、

 「色は匂へど 散りぬるを」
桜の花のことを「色」、色は見て感じるものですが「匂う」という風情ある表現で満開を表現しています。言葉の意味は、桜の花が咲き誇っていても、やがて必ず散ってしまう。ということで、今どんなに幸せだとしても、やがてその幸せは色あせてしまう、続かないものばかりである。 

「我が世誰ぞ 常ならむ」
いったいこの世で永遠に生きることができる人がいるのだろうか。いや、必ず、すべてとわかれてひとりで死んでいかねばならない。

「有為の奥山 今日越えて」
「有為」とは苦しみのこと。山を登るのは大変ですが、生きるということは次から次へとやってくる悩みや苦しみを乗り越えていく、人生は例えると終わりのない苦しみの山を登っていくようなもの。
何のために生きるのか分からない苦しみの人生を今日越えた。 今日越えたという幸福があるんだ。

「浅き夢見じ 酔ひもせず」
その幸福は、浅い夢を見ているようなものでも酒に酔っているような、あいまいなものではない、ハッキリしたものなんだ。

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いろは歌は、仏教のお経の中の次の言葉をもとにしたといわれています。

諸行無常・・・色は匂へど 散りぬるを
是生滅法・・・我が世誰ぞ  常ならむ
生滅滅已・・・有為の奥山 今日越えて
寂滅為楽・・・浅き夢見じ 酔ひもせず

「諸行無常」という言葉は、平家物語にも出てくる有名な言葉ですが、すべてのものは常がない。大きく変わるか小さく変化するかの違いはあっても変わらないものはない。どんな幸せもも続かない。命にも終わりがある。これが真実なんだ。

どうしてそんな暗くなることを言うのか、それは生きているときに苦しみを越えたと言えるハッキリした変わらない幸福があるからなんだ。

つまり、人生には変わらない幸せになるという目的があると言われているのです。

仏教には、生まれてきてよかったと心から言える幸福、生きる目的が教えられているのです。

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