見出し画像

手裏剣術の名人

上遠野広秀

江戸時代中期の手裏剣の名人
両眼打ち「両眼を2本の手裏剣で貫く技」を得意としており、仙台藩の伊達家7代目に使えていた藩士。

ある時、伊達家7代目の重村が江戸の屋敷で、杉戸「今でいう雨戸」に桜の木の下に馬が立っている絵が描かれていたので、「馬の爪を手裏剣で打ってみよ」と言われたので、広秀は2本の手裏剣で4つの爪を貫いた。

広秀は手裏剣を2本相手の眼に打てばどのような達人でも無力化できるという考えから「両眼打ち」を自得したみたいだが、その手裏剣術は彼一代限りで終わってしまった。

その後、幕末頃に北辰一刀流の海保帆平が上遠野広秀の手裏剣術を研究し、それを師範代であった根岸宣政に伝え、今に伝わる根岸流手裏剣術が生まれた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?