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No と言える生き方
何でもイエスと言ってしまって
ノーと言えない。断れない。
そんな悩みをよく聞く。
私自身もどちらかというと
イエスマンで生きてきた。
それなのに、いつからか
「Noと言えてすごいですね」
「Noってなかなか言えなくて」
とよく相談されるようになった。
確かにNoと言えるようになっている。
イエスマンだった私が
ノーと言えるようになったプロセスを
書き綴ってみようと思う。
イエスマンだった頃
人から何か頼まれると、イエスと答えてばかりいた。断ると相手が不機嫌になる。時には怒ってくることもある。そんな表情や態度を見るのはつらいし、私がイエスと言えば丸くおさまる。
そんなふうに思って、何でもかんでも自分で引き受けてきた。究極言えば「自分が犠牲になってでも、和が保たれるのであればイエスと言おう」という考え方だったのだろう。
ところが、そればかりしていると
やはり限界は、くるものである。
Noと言って失敗したこと
限界を感じ始めた私は、どの本を読んでも、誰に話を聞いても、どうやら「ノー」と言うのがいいらしい。と学ぶようになった。学んだことをすぐにやってみようと、事あるごとに人にNoと言うようになった。
Noを言い慣れていなかったので、言い方がきつくなり、人を遠ざけるようになった。人間関係をよくして、自分自身も守る術のはずだった「ノー」という言葉の使い方が悪かった。
自分と向き合う
次のステップで登場したのは、自分と向き合う時間。なぜなら、何かを断る時に、Noの先の言葉が見つからなかったから。ただ、ノーと言って相手(や相手の頼み)を拒否しただけになっていた。本当は理由だったり、説明だったりがあれば、相手も嫌な気持ちにならず、自分の思いが伝えられるとわかった。
そのために必要なはずなのに、その時の私には自分がわかっていなかった。相手に気持ちが伝わらないと思うことがよくあったが、本当は自分自身でさえもわかっていなかった。
Noと言う練習
ある程度、自分がわかったところで、Noと言う練習をしようと決めた。多少無理をすれば、イエスと言って引き受けることはできる。でも、そんな場面で敢えてNoと言ってみる。なぜNoなのか理由を説明してみる。そんな練習を積み重ねてみた。
そうすると、相手にうまく伝わるパターン、こじらせてしまうパターンがわかるようになってくる。自分の言い方によっても違うし、相手によっても違う。自分の言い方によって、うまくいかなかったなら、次は言い方を変えてみる。相手によって違う場合は、自分のコントロール外だと諦めて手放す。
そんな練習期間を経て
Noと言える生き方
「Noと言える人」とよく言われるようになり、気づいた。私にとって、それはもう生き方になっているのだ。イエスと自然に言うのと同じように、ノーも自然に言っている。なるべく、自分のこと、相手のことを考えて一番よい方法を選ぶようにしている。でもそれが難しい場面では、自分を優先したり、相手やまわりを優先したり、その時々で匙加減を変えている。それでいい。だから生き方になっている。
Noと言いたい人へのアドバイス
こんなプロセスを経て、Noと言う生き方をしている私から、悩んでいる人に言いたいこと。それは、誰にでもその選択肢があるということ。イエスという選択肢も、ノーという選択肢もある。今までイエスと言い慣れてきた人にとって、ノーと言うのは難しいと感じるかもしれない。でも、それは最初だけ難しいのであって、本当は難しいことじゃない。
どんなメリットがあるのか
難しくしているのは、むしろ自分自身。イエスと言うほうが相手の機嫌を損ねることはない。それって一時的な自分のメリットを優先させているってこと。楽なほう、面倒でないほうを選んでいるから。
ノーと言うのは、面倒なこと。相手に理由を説明したり、機嫌が悪くなる相手を目の前にして嫌な気持ちになるかもしれない。一時的にデメリットの方が大きそう。でも、長期的に見れば、なんとなく引き受けた頼まれごとをする必要はない(つまり、後で時間はかからない)。もっと長期的に見ればいいのかもしれない。
まとめ
長くなってしまったが、Noと言えるか言えないかは性格によるものだけでなく、選択できるものだと言いたい。今、「Noと言えない自分」で「Noを言いたい」のであれば、それは必ずできるようになること。
一人で難しいと感じるのであれば、
一度お話しましょう。
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