【メンバーインタビュー】"General Affairs & Accounting" 西村千春
「神戸のことなら何でもお任せ」
「神戸のことなら西村さん」そんな異名が付くほど神戸を愛し、神戸に愛される西村さん。沖縄から見知らぬ土地である神戸オフィスに来た若者に、Slackで美味しいご飯処を教えてくれました。
BugMoの総務・経理全般を担当し、昆虫食の会社だからこそ感じるやりがいと、一からシステムを構築する難しさに挑戦し、今後のBugMoをスムーズに動かすことを掲げています。
活発的な幼少期、様々な分野での経理の担当、そしてBugMoとの出会い。「実は、コオロギの試食会は怖かった」と話す西村さんに迫ります。
プロフィール
西村千春 General Affairs & Accounting
高校卒業後、OA機器販売会社に就職。その後上場会社等の管理部、経営企画室にて経理業務に30年以上従事。株式公開実務を経験し現在に至る。バックオフィスの円滑な業務遂行と仕組み作りに奔走中。
それでは、西村さん!よろしくお願いします。
〇幼少期
神戸市出身で、おとなしい性格でしたが外で遊ぶのが好きな活発な子でした。山の上から段ボールで滑ったりジャングルジムから飛び降りたりと、ケガをしたことがなかったのでいろんな遊びをしていました。
高学年になると女子サッカーのクラブに入っていました。父が野球が好きで、小学校3年生の頃に野球部に入らされていたのですが、それが嫌で女子サッカーに興味を持ち始めたのもありますね。足は速い方だったので、右サイドハーフやトップ下などでボールをもって走りまわって楽しかったです。でも、競り合うのが苦手で同じチーム内で「我先に!」という性格の子には譲ったりしていました。(笑)
そして、中学校二年生の頃に鹿児島へ転校しました。
鹿児島では遠い距離を通学していましたが、高校生活が一番楽しかったですね。家から5キロ先の駅まで自転車で行って、今では懐かしい汽車に乗って通学していました。16歳になると原付バイクで通学できたので、30キロ先の友達の家に遊びに行ったりもしましたね。
-JKが原付バイクって想像がつかないですね!
そうですね。(笑)
いわゆるヤンキーの乗り物という印象はなく、当時は純粋に移動手段として使っていました。様々なところに行くようになりましたね。バイトにも行けるようになったので、スーパーの店員や冬はさつま揚げのバイト、マイクロチップの傷を顕微鏡で確認するバイトなんてものも経験しました。
「高校生ウルトラクイズ」に出るために、友達三人で夜行列車に乗って福岡に行ったのも良い思い出です。旅費を稼ぐためにたまに部活を休んでバイトをしたり、部活が同じだったのでばれないようにうまく休む日をずらしながら貯めていました。すごく満喫した高校生活でした。
その後は、神戸に戻って就職しようと思い、テレビで見ていたOLさんに憧れていたのもあって経理や商業簿記の勉強をして就職しました。
〇神戸で就職
OA機器やシステム機器を販売する会社で、経理を7年ほど勤めました。それから7回転職するのですが、基本的に本社で経理をし続けました。
-最初の社会人生活はどうでしたか?
震災前までは普通の生活を送れていました。会社の人とテニスをしたり、冬はスキーに毎年行ったりしていました。バブル景気の時は沢山おごってもらえて、飲みに行ってそのままスポーツクラブでシャワーを浴びて出勤したりと、今では考えられない生活を送っていました。
とても厳しい会社でしたが、当時はまだ珍しかった評価制度をいち早く取り入れていた所で、3年連続「社長賞」を頂いたりしました。正当に評価してくれたのでとてもやりがいを感じましたね。
震災後は本当に大変でした。
ちょうどOA化が始まった時期で、学校や市役所などにOA機器を納めている会社だったので、早急な復興が必要となり、交通機関もままならない状況で歩いて通勤していました。しかも、新婚で家のこともあり、お昼休憩中に自衛隊が供給する水をくみに行ったりと、とても疲れてしまいました。
そこで、お休みも兼ねて退職することにしました。
〇OA機器販売会社→アパレル会社
仕事復帰をして、派遣社員で海外ファッションブランドを手掛けるアパレル会社へ転職しました。3年ほど働いたのですが、医療ソフトウェア開発の会社で上場準備に携われるお仕事を見つけて、すごく興味を惹かれたのでこの会社へ転職をしました。
〇アパレル会社→医療ソフトウェア開発会社
ダメ元で応募しましたが雇ってもらえて、本社の社長や役員がいる中で上場準備と経理を任せてもらえました。部下も4人ほどついていましたね。
そこでは、就業規則や会社の決めごとを税理士や弁護士などと決めていました。他にも投資家や投資会社への説明で会議に参加したりしていました。より透明な仕組みづくりの大切な部分でした。
しかし、上場ができなくなってしまい、私のいた部署が閉められることになったので転職を決めました。
〇医療ソフトウェア開発会社→グローバル空調総合総合メーカー
次は、空調総合メーカーの子会社で油圧機器を取り扱う外資系の会社でした。社長は外国人でしたが、経理の書類などは日本語なので大丈夫と言われて雇ってもらいました。
やはり困ることは多々ありましたね。
英語で電話がかかってくると名前を聞ければ何とか繋げることができたのですが、たまにあだ名で指名されたりすることがあり、それがとても大変でした。他の社員さんも英語が堪能で、気分が高揚すると英語で喋り始めはじめるので会話にならないこともありました。(笑)
〇グローバル空調総合総合メーカーの子会社→大阪の健康食品会社
知り合いに紹介してもらい、大阪の堂島にあった健康食品の会社へ転職をしました。その時に次男と三男が生まれました。慣れない土地に通勤しながら3人の子育てと、とても忙しかったので再び神戸に戻ることにしました。
〇大阪の健康食品会社→広告制作業の会社
当時は画期的だったweb動画を作成する広告制作業の会社で、ここでは8年ほど勤めました。最初の方は、子ども達の保育園が3か所に分散して大変だったのでパートとして雇ってもらいましたが、長男が小学校に上がったタイミングで社員として働くことができるようになりました。
この会社は熱心に働く人が多く、チーム全体の雰囲気がとても良いところでした。年齢や部署に関係なくかかわりが深くて、しかも、イベントごとが好きな会社でした。忘年会ではチーム分けをして出し物をしたりと全力で行うし、家族を呼んで会社の中庭で縁日を開いたりと楽しく過ごしていました。最近までは、子どもも一緒にフットサルをしたりと家族ぐるみで仲が良かったですね。かけがえのない大切な方々に出会えた会社でもありました。
〇広告制作業の会社→アパレル会社(BugMoとの出会い)
最初の転職でアパレル業界を経験していたこともあり、次は帽子のアパレル会社へ行きました。3年半勤めましたが、脳卒中で2回入院し、新型コロナウイルスのパンデミックも重なり社員として働くことに限界を感じたので退職して、次はパートで雇ってくれる所を探し始めました。
そこで見つけたのがBugMoでした。これまでほとんど社員として働いてきたので、初めてのパート社員の経験ですが、本当に縁とタイミングがあったと思います。
-BugMoに入るまで多くの転職を経験されていますが、経理以外のキャリアを考えたこともありますか?
実は、「貿易事務」兼経理の道でキャリアチェンジしようと思ったことがあります。未知な領域で仕事ができる楽しさがあると思っていたのですが、転職活動の度に紹介されたり必要とされるのが今までの経理の仕事で、英語の勉強は外資系の会社でもうこりごりだったので、経理の仕事を続けることに決めました。
〇BugMo
2022年の一月に入り、総務・経理全般を担当しています。中心となって今後の業務の形を一から作っていますが、ベンチャーだからこその仕事ですね。
-昆虫食の原点
BugMoで試食したのが原点でした。
それまでは昆虫食の経験はなく、むしろ嫌いな方でした。でもある時、蒸しただけのコオロギを試食する機会が何度かあって、「辞めるか、食べるか」まで考えました。結局、辞めたくない思いが強くて思い切って食べてみたら意外と美味しかったんです。今は、いろんな昆虫を食べてみたいとさえ思っています。
もう慣れてしまって、新鮮味を失ったことは少し悲しいかもしれないですね。(笑)
でもおかげで、コオロギのお世話を担当した時はじっくり観察して楽しんでいます。
-昆虫食の会社だから大変なことはありますか?
総務だとコオロギの入出庫管理が大変ですね。生きているものや商品化されたものなど様々な形で管理していくので、今後のやり方を決めている段階です。養殖システム開発の長谷川さんや商品開発の相良さんとも話しながら進めていっています。
-今後BugMoでやっていきたい事
規模が拡大するにつれて上場が視野に入ってくると思います。総務・経理としてスムーズに事が進むように勉強をしていきながらサポートができればと思います。
-BugMoで欲しい人材は?
即戦力となるような人が欲しいです。例えば、養殖システム開発の長谷川さんにお願いされたらすぐに動ける人とか。ある程度の実務経験と知識がないと前に進まないので、一緒に支えることができる人が重要だと思います!
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