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【連載】残された人生は大学卒業まで!? #151 この人に年賀状出してない…

  毎年年末になれば、部屋の掃除をしたり、いつもやらない料理を作ったり、色々と変化が訪れます。11月から12月って普通なのに、12月から1月に変わる瞬間ってなんだか特別な瞬間です。

 今年は喪中なので、新年の挨拶を控えさせていただくのですが、毎年年末になれば年賀状を書いたり、忘年会をしたり、新たな年に向けていろいろ忙しくなります。

 今年は外出自粛もあって、年始の初詣や帰省はしませんが、今年もきっと同じように忙しい新年を迎えることでしょう。


 年賀状って、昔めっちゃ描いてました。それこそ、携帯を手にする高校生くらいまでは本当に書いてて、その時しか連絡しない相手とかにも年賀状を書くなんてこともありました。

 正月の朝に起きると、机の上に父宛、母宛、兄宛、私宛に分別された年賀状があって、誰からどんなものが来たかな〜と楽しみにしていた覚えがあります。

 しかし、携帯を手にしてからは、年賀状って書かなくなりました。LINEやTwitterで簡単に新年の挨拶ができるんですから、住所を書いて、郵便局に行って、投函して、出していない人から届いて、その人に送り返して、っていう作業がなくなりました。

 そういう意味では、ギリギリで繋がってた細い友達の糸を切ってしまったかもしれません。

 例え形式が全部同じで、インクジェットで印刷された年賀状だったとしても、それは人と人とのつながりを感じることができる、新年の知らせだったのかも知れません。

 例えて言うなら、人それぞれ、別々の人生の地図を手にして、自由に生き方を選び生きていく中で、どれだけ離れた場所にいても、その日だけはお互いの地図が合流していて、大事なつながりを意識できる。

 私が、あなたにとって頭の隅っこに少しでもいてくれた証拠。人生の冒険仲間の合流地点。

 そう感じ取って、次の日からまた別々の地図になってしまう。だから、その日の挨拶は「私の冒険を覚えていてくれてありがとう。君の冒険がうまくいくことを心から願っているよ」なんて意味合いを込めて、年賀状を送り合うのかなーって思いました。


 まあそんなかっこいいことはないんですが、そういう今考えれば大事だったものが、時代の進化と共に薄れていくのは、悲しいなって思います。

 どうせこんな時代にならなきゃ年賀状の大事さなんて意識できなかったのだから、それも悲しい。

 だからこそ、一つ一つの事象、起こっているありがたみを感じながら行きたいなって、よく思います。いつも思ってるとしんどいから、思いついた時くらいね。


 要するに言いたかったのは、人の繋がり大切!年賀状っていいコネだったなぁ!!!ってことです。

 今年は1枚くらい書いてみてはいかが?

 私は喪中なので出せませんが、、


 BU(◎)DOH

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