【名作映画感想】第8回『サウンド・オブ・メタル』
こんにちはbuchizashiです。個人的名作映画感想、第8回です。
年度末、年度始めの小忙しさに見るのも書くのも滞ってしまいました。さて、今回取り上げる作品はアマゾンプライム公開、今回アカデミー賞作品賞他ノミネート入りしている映画「サウンド・オブ・メタル」です。邦題には「聞こえるということ」と副題がついています。今回のアカデミー賞ノミネートはコロナ禍も相まって配信作品も多く、より身近に感じられる方も多いのではないかと思います。
2021/05/04追記 音響賞、編集賞 獲得、おめでとうございます!
個人的に一際目を引くタイトルとジャケが今作。アマゾンプライム配信という気軽さも嬉しいですが、果たして内容はどうでしょうか??
・あらすじ
・ご覧になっていない方への見どころ
・ネタバレあり感想/考察
・まとめ
の順で、今回も考えていきましょう。
あらすじ
2ピースハードコアバンド「BLACK GAMMON」のドラマー、ルーベン(=リズ・アーメッド)とヴォーカルのルー(=オリビア・クック)は互いに恋愛関係にありつつ、国中を改造キャンピングカーで巡業する放浪の日々を慎ましく暮らしていた。お互いの過去には傷があり、ルーベンは薬物依存、ルーは自傷癖を抱えながら、二人はお互いの傷を埋め合い、寄り添うことで安静な生活を送ることが出来ていた。ある日のツアー巡業の最中、ルーベンは自分の聴覚に異変が生じている事に気づくも、ルーには言えずにいた。彼女に隠しつつ、薬局店員の指示で病院に向かうルーベン。そこで言い渡されたのは、重度の難聴の存在、爆音のライブは聴覚を完全に失わせる事、そして治療の為には高額手術の必要性があるという衝撃の宣告であった。戸惑い荒れ、再起を望むルーベンに、呆然と暮れてしまうしまうルー。巡業オーガナイザーの紹介で難聴支援コミュニティー施設を訪ねるルーベンと、ルー。音を無くしたルーベンの苦悩と決断は。。。。二人の行く末とは。
監督/脚本 ダリウス・マーダー
脚本 エイブラハム・マーダー
原案 デレク・シアンフランス
製作 キャシー・ベンツ ビル・ベンツ サチャ・ベン・ハロッチェ
ベルト・ハーメリンク
製作 デレク・シアンフランス ディッキー・アビドン カート・ガン
フレドリック・キング ダニエル・スブレガ ディミトリ・ヴェルベーク
出演 リズ・アーメッド オリヴィア・クック ポール・レイシー ローレン・リドロフ
音楽 ニコラス・ベッカー エイブラハム・マーダー
撮影 ダニエル・ブーケ
編集 ミッケル・E・G・ニルソン
製作会社 Caviar
Ward Four
配給 アマゾン・スタジオズ
公開 アメリカ 2020年11月20日(劇場公開)2020年12月4日(配信)
上映時間 120分
製作国 アメリカ
言語 英語 アメリカ手話
第93回 アカデミー賞 主演男優賞(リズ・アーメッド)/助演男優賞(ポール・レイシー)/脚本賞 ダリウス・マーダー エイブラハム・マーダー/編集賞 ミッケル・E・G・ニルソン/音響賞 でノミネート
あらすじ:自記
制作、キャスト情報:Wikkipediaより抜粋
まだご覧になっていない方への見どころ
"体験”をもって学ぶ障害
配信という新しい公開様式がどんどん増えてくるコロナ禍、この映画もまたAMAZON配信の映画です。
この映画はかなりな部分に”音”を重要なポイントにおいています。静寂すらもまた一つの強烈な音として見るものの印象を揺るがしている気がしました。ですから、映像というより”音”を体感すべく劇場公開が待たれる作品と思います。おのれコロナめ。。。
後天的障害を受ければ、どの様に人は生きていけばいいのか。その人の一番大事な部分を奪われた時、人はどの様に振る舞えばいいのか。それを周りはどの様に支えればいいのか。映画においてしばしば取り上げられる「自分の構成している主たるものを失ってしまう」というテーマ。ベートーベン的物語とでも言いましょうか。自分の積み上げてきたものを無くして戸惑う人間の姿に、哀れみだったり、共感だったり、人の感情は揺さぶられるものです。
身体的障害を経て、人はどう生きるべきかを問うという意味では過去に扱った映画「レスラー」も近いテーマ性を感じます。
最も大事なスキルを失う苦悩。真っ先に思い出したのは人気医療ドラマ「ER」の外科医ロマノ(もっとほかに無いのかよって感じですか?)
彼は性格最悪の天才外科医として腕を振るいますが、途中不慮の事故で腕を失ってしまいます。その憐れさは言葉に出来ない。。。。
言葉で表現される「障害」に対して、人によって様々な意見、思想があるとは思いますが、私含む健常者はその苦悩を「想像」して、問題に取り組むしかありません。この「想像」は障害や見えない差別に対して接する時、あえて無意識から意識的に考え出さなくてはいけない重要な要素だという話を過去のパラサイト評に記しました。
とはいえその想像とは、実際障害を持った方の体感とはかけ離れていることも多いだろうと思うのです。ですから「障害を持った気持ちは障害を持った者にしかわからない」と嘆かれる方も少なくないと思います。
後述しますが、この映画は実際主人公の聴覚と、我々健常者の聴覚をあえてミックスさせる事で何気ないシーンに主観と意味を持たせ、時に残酷に我々の心を抉ってきます。思いもよらなかった事実と触れ合う事で、私たちの「想像」を超えてくるのです。そのギャップを健常者が埋める作業が当たり前になる事が、私はあるべき姿なのだと思いました。ほっといてくれと、言われるかも知れませんがね。。。
アトラクション的映画体験と、静かに激しく揺れ動く主人公ルーベンの奔走。単純に面白いですし、見終わった後に面白いじゃ終わらせないという気持ちを抱かせてくれる、多角的に意義の深い一本だと思います。是非ご覧になってください。劇場公開もお待ちしています。
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ここからネタバレを含む内容となります。
是非本編をご覧になられた後にお読みください。
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個人的考察①
ルーベンの選択
皆さんいかがでしたでしょうか。ハードコアミュージックを舞台にしながらも、実に静かに、力強く、哀愁に満ちた映画、ラストでした。その結末は決して絶望感は無く、ポジティブなメッセージを残してくれるというカタルシスも与えてくれるのでした。
自ら音を捨て、世界を見つめ直すルーベン。
その表情に悲しさや絶望は無く。
瞬きもせず世界を見つめ、飲み込んでいく迫真の演技。
後天的身体障害を持ってしまった、しかもそれはその人の本幹を担う重要なファクターだった場合、人はどう立ち向かうのか。それに対しての製作陣の非常に現代的で真摯な向き合い方を見せてくれました。
先にひとつ、個人的に気になったことがあります。それは障害が”先天的”に発生してしまったものか”後天的”に与えられたものか、これによって捉え方というのは大きく変わるのではないかな、と思うのです。
障害サポートプログラムの一環で、聴覚障害クラスの子供達と生活をするルーベン。
恥ずかしさや、惨めさもあったろうに、彼は子供達と同じ目線に立つ。
ほんといい奴だな君は。
恐らく児によって障害の程度もさまざまでしょうが、物語に出てくるあのクラスは年齢からするに生まれながら障害と共に生きている子供達が多いのではないかと思われました。
ルーベンはつい先日まで音楽と共に生きた人、そもそも音楽を知らない子供、悩む感覚、次元は大きく違うのではとも思います。後天的に急激に訪れる五感の消失を、老化のメタファーとする受け取り方も、ある種間違い無いと思います。そうすると、結論のメッセージにもやはり先天的な障害とは大きく異なるものにたどり着くのは当然のように思われます。
でも、だからこそ障害の起点が異なるルーベンと子供達が
絆を紡ぐに至るのがこのシーン ”リズム”、”ビート”、
主人公をギタリストではなく、ドラマーとして描いた事の自然さが活かされている。
さて、そんなルーベンが、現状を飲み込めず、戸惑い、自分を傷つけてしまうほど苦しみもがく中で、機能獲得に奔走します。
その行為は彼の居るセミナーの趣旨に反するとし、ポール・レイシー演じるジョーに立ち去るように諭される。ジョーとしては当然の選択なのですが、どことなく、ルーベンを擁護したくなる気持ちもわからいではないのです。(彼はいい奴だから同情してしまうという部分も大きく作用してると思いますけどね。。)
頭ごなしでなく、感情的でなく、事実を伝え、
それを一つずつ丁寧に肯定していくジョー。
アカデミー助演賞にポール・レイシーがノミネートされたのも頷ける。
管理者としての苦しみが、彼の涙となって表現されていて、ルーベンもそれに対して理解を示す。
最終的にジョーの意図する様に、ルーベンは障害を自らと肯定しますが、個人的にはルーベンの奔走を決して否定的な行為とも受け取りたくは無い、そう思うのは今私が健常者だからでしょうか。医者という仕事をさせてもらっているからか、ルーベンに「頑張りましょうね。」と声をかけてあげるのは至極もっともに思えてならないのです。
ただ専門家なら、この治療が
ルーベンの希望に沿わない程度のものだという説明が不足してるだろ先生!とは思います。
「え、ちょ、え?」
そらルーベンもこんな顔になるわ。
正解なんてない、セミナーにいる人も、パラリンピックアスリートも、ルーベンも、その場で選んだ選択に間違いなどないと思いたいのです。例えその先が詰まってしまったとしたら、障害は受け入れながら生きることもできるのだよと、伝えてあげる優しさはこの映画に学ぶ所です。
もっと言えば、ルーベンはドラムの道を諦めなくてもいい方向は無いものかな?
彼の中には染み付いたビートがあり、叩けば彼の中には響いている。滑り台のシーンってそういう事じゃん。
誰かの助けを借りながら、彼がこの先スティックを握る事を切に願う。。。
コブラもこう言ってたぜ、
ルーベン、できるよ。好きなんだろ?
個人的考察②
音で表現する視点の切り替え
ルーベンの嘘
先も書きましたが、この映画は音で誰の主観かを切り替えるという、ありふれている様で真新しい、ハッとさせられる手法を用いています。
爆音のライブハウスにグーっとカメラがルーベンによると音は遠のき、キーンとうるさい耳鳴りが聞こえる。
パーティーに響くルーの美しい歌声、それがキリキリと歪な金属音(サウンドオブメタル)になり、ルーベンは無表情。
と、皆さんも感じられた多くの部分は実際の障害者の知覚と健常者の知覚をパチっと切り替える事で、見る側に「どの視点で見ているのか」を位置付けてくれます。
セミナー食事シーンで度々あった演出ですね。
耳鳴りの中で戸惑うルーベンから、音がサッとクリアになりテーブルを叩く音、食器を鳴らす静かな渇いた音に。
ルーベン→健常者である観客に視点がスイッチ。
その度にハッとする。体感型映画と呼びたい所以。
誰に聞いたか、
映画は第三者の俯瞰で語られるもの。(カメラは俯瞰に置かれることが多いので。もちろんFPSゲームの様な主観ショットもたまにはありますけど、全編通しては珍しいんじゃ無いですか?)
小説は誰か(読み手か、主人公か)の主観で語られるもの。
なんだそうです。言われてみれば確かに。
小説の劇場映画化が上手くいかないのはそういう部分もあるのではないかと。主人公がやたらベラベラと自分の内面喋っちゃったりして。
俯瞰的な視点を、あえて音を使って切り替えることで、視点の切り替えをする。これ、凄い新鮮な手法でした。それが物語を語る上で、大きな役割を担っているのですね。
特にルーベンとルーの距離感の移り変わりは見事に、辛くもありましたけど、鮮烈に語られました。
この2人、切ないねえ。。
ルーがドラムマシン使って1人ライブをする姿をネットで見つけたルーベンが、慌てて手術を決意する件。ルーベン、ほんとルーが好きなんだな。
パーティーの騒音と、ルーの歌声、
「とても綺麗な歌声だったよ」と嘘をつくルーベン。
もし嘘だとバレたら、元のバンドには決して戻れないと思ったからなのか。。。
そんな不安定な気持ちのまま、再度2人の未来をルーベンが語り出すと、ルーの中にも既に変化が訪れていた事実に気づく。そうすると、ルーベンは静かに、自ら2人の関係の終止符を打つのでした。。。
ルー側の視点、ルーベン側の視点、描き分けられているから言葉に現されずとも浮かび上がる嘘。なんと悲しくも美しい話だろうか。
ここでもルーベンの優しさが際立ちます。傷つくルーは見たく無いのだよな。。
小学生の時に聴いて、
よく理解出来なかったラストフレーズ
「しょうがない、あなたが好きだから、自由にしてあげる」ってこういう事だったのかしら。。
あとは、もう一つ語ることがあるとすれば、”依存”の捉え方が、日本とだいぶ違うなあと。
2人とも自分の器では抱えきれないものを、何かにすがって生きてきたようでした。ルーは自傷癖、ルーベンは薬物。悪いことだったけど、たまたま2人は出会い、それらを補う存在になれましたが、2人とも悪いものを使って逃げていたという自覚も確かにあって、未だに悩み続けている。
使用そのものだけで、その人の背景を見ずに極悪人としてしまう今の日本のあり方とは大分違う様に思われました。
そりゃー極悪人も多いのでしょうけど、弱い立場の人の最終手段だったのかとも思うと、ルーベンの様に今も悩み苦しんでいる姿を見ると、短絡的な解釈でいいのかと思わせてくれるのでした。
まとめ
さて、皆さんいかがでしょうか。アカデミー賞の行方も気になるポイントではありますけど、それ以上に社会教育的観点や、映画としての手法、魂と愛情が静かに燃えて尽きる様を描いたーストーリーとそれぞれがバランスを保ったとてもいい映画に出会えました。
音に対してウエイトを置いている映画ですから、劇場での公開、落ち着いたら見に行きたいなーと思わせてくれる作品ですよね。
今回は語りませんでしたが(語れる情報も少なく)元々は実話を元にしたドキュメンタリーということ、製作陣の情報が何故か少なく、この作品が生まれた背景や経緯など、パンフレット欲しいわ〜と思った次第でした。配信作品はそこをね、なんとかなりませんかね。デジタルパンフとかでもいいから。有料で。
いやー、年度末、年度初めでなかなか筆を取れませんでしたし、映画も見れませんでした。
が、心の充電をしなくちゃいけませんね、次はライトな映画でも見て、スカッとしようかと思ってたりする所です。
随時リクエスト、感想お待ちしております。それでは次回にまた。buchizashiでした。
常にパートナーの健康を願い、朝からスムージーと朝食を作り、
自傷癖をたしなめ、愛を語り、
困難を前に、自分を受け入れ、いらだちをぶつけながらも前に進む
ナイスガイ、ルーベン。
あなたにはアカデミーいい奴で賞を捧げます。異論無いだろ!でシメ。