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【名作映画感想】第6回『キッズ・リターン』

こんにちは、buchizashiです。個人的名作映画感想、第6回は北野武監督作品『キッズ・リターン』です。

今回は邦画をと思い、ネタを考えておりました。恥ずかしながら見た事が無かった作品、既に見て面白かった作品、どちらにしようかなと脳内ストックに検索をかけたところ、邦画一発目は好きな映画でいいだろうという事でこちらの作品を選びました。(ちなみに対抗馬は井筒監督の「パッチギ」でした。いつか取り上げたいなと思います。)

キッズリターンは浪人生の時(私が人生で最も映画を見た時期)に見たのが最初でした。ちょっと思い出話をさせてください。

予備校の寮に「テスさん」という歳は一個上の同級生がいました。彼は映画監督を目指していたのですけれども、夜中皆勉強に飽きてロビーでダベっている時にこの映画の面白さを教えてくれたのでした。

曰く、この映画の象徴的なシーン、“向かい合ってチャリンコをこぐシーン”というのは、チャリンコの進む方向が時間軸で、2人は一緒向いたり、別々の方向を向いたりして時間が流れていくのを表現しているのだという話を聞いて、目から鱗が落ちました。(合ってたかどうかはまた別ですが笑)私の人生で初めて個人の映画評を聞いたのはテスさんからでした。

この映画を見るとそんな時期の気持ちが思い出されます。ちょうど主人公達の過ごす時期、高校から卒業、うまくいかない人生、まるで自分も端役でこの中にいるんじゃ無いだろうかと思われて泣けてきました。そして最後のセリフに救われたのでした。その後のどんな時期に見たキッズリターンも、あの時期に見た経験には適いませんでした。人生で1番いい時期に出会えた貴重な映画として自分の中で大切にしています。

今となっては説明不要の巨匠北野武監督のバイク事故後復帰第一作という事もあり、他の北野映画と異なる点も何個かあるように思えますし、復帰に向けての静かで、力強いエネルギッシュなメッセージが肌に伝わってきます。

改めてこの映画を振り返っていきましょう。
・あらすじ
・まだご覧になられていない方への見所
・個人的考察
・まとめ

となっております。行ってみるぞバカやろーこのヤロー。

あらすじ

 いつもつるんで、学校に行っては問題を起こしていた18歳のマサルとシンジ。ある日、カツアゲした高校生の助っ人にノックアウトされてしまったマサルは、ボクシングに目覚め、ジム通いをはじめる。付き合いでシンジもジムに入門し、ふたりはボクシングの練習に没頭する。ある夜、ヤクザに絡まれたふたりは、若頭に助けられるが、その迫力にマサルは感動する。高校生活も終わり、いつの間にかシンジはボクシング界の逸材に成長していた。だが、ジムにはマサルの姿はなかった……(Yahoo!映画より抜粋)

監督 北野武
脚本 北野武
製作 森昌行 柘植靖司 吉田多喜男
出演者  金子賢 安藤政信 森本レオ 石橋凌 山谷初男 モロ師岡 他
音楽  久石譲
撮影  柳島克己
編集  北野武 太田義則
配給  オフィス北野
公開  日本 1996年7月27日
上映時間 108分
製作国 日本
第49回カンヌ国際映画祭監督週間正式出品作品
上記Wikipediaより抜粋

まだご覧になられていない方への見所
~北野武映画らしく、北野武映画らしからず~

皆さんは北野映画はお好きですか?私は大好きです。

彼の描く世界は哀愁に満ちていて、不器用で、時には暴力的で醜くて。だけども人々の悲しい感情だとか、不安だとか、ほんの小さな喜びだとか、台詞では表しにくい感情をとても”芸術的”に見せてくれます。

見たことが無い人からすると、暴力的な映画を数多く手がけている印象を強くお持ちの方も多いのではないかと思います。それが故、近づけなかった方も多いのでは無いでしょうか?そんなイメージに反して、彼の絵はとても”美しい””絵画的”ものが多いのです

この映画からですが、
これコマネチの人が撮ってるんすよ。
雲一つ無い真っ青な空と引きでゆっくりと流れる二人。
とても綺麗なワンショット。
無機質で作り物のような絵画的表現であるけれど、
被写体はその辺にあるありきたりなものだったり。

ついでに言うと、人の言葉を借りてしまいますが、彼の描く暴力は非常に”痛さ”を感じます。それは時に残酷に映し出される事もありますが、暴力を与える側、受ける側双方に”痛み”の絶対値が解った上で暴力が描かれると思っています。それは、他のどんな暴力を表現するアクション映画などに比べて忠実であり、センシティブです。暴力に対してデリケートな描き方をしているように思えるのです。(暴力を写さないことを優しさだとするなら、それは違う気がします。)だから北野映画の暴力シーンって”嫌”なんですよね。目を背けたくなる。(褒めているつもりです。)

そんな今作は北野映画の中で最も暴力描写が排除されている作品の一つですので、そういった描写が苦手な方にも届きやすい、濃度の高い青春映画と思います。だからといって決して甘くなく、ビターで、だけどもどこか甘酸っぱくて、35のオッサンが語るには歯がゆい表現ですが、その通りと思います。

96年公開と、すでに30年近くも昔の映画ではありますが、改めて見直してみてみると意外とすんなり受け入れることが出来ました。さすがに当時のファッションだったり、髪型だったりと古くささが出てしまう部分はありますけれども、映像の古さが更にノスタルジックなムードを助長させてくれている気がします。「北野ブルー」と呼ばれる、独特の色あせた感じが古い映像とは相性のいい気がします。現代のパキッとした映像では難しい表現かと思うのですが。

と言いながら、アウトレイジではしっかり表現できてて凄かった。。
うっすらと一枚覆い被さった哀愁のある世界。北野映画の醍醐味。

北野ブルーだけで無く、独特の台詞の”間”も醍醐味でしょう。テンポが悪いように見えて、見ているうちにそれがリズムになってくる。

登場人物が言葉を飲み込んだり、一個一個の台詞を丁寧に咀嚼しているように見えて、私はより世界観を引き立たせる演出であると考えますし、今作でもその”らしさ”はしっかり表現されています。

北野映画に興味が無かった方でも、他の北野映画から入って少し物足りないんじゃ無いの?って思っていた方にも、オススメする超骨太青春映画です。

人生は、なんでかうまく回らない事も多いし、なんでかうまくいく奴もいて、辛くて、さみしくて、うだつが上がらない事も多いけど、この二人を最後まで追いかけると、きっと明日がある。そう思わせてくれる映画だと思います。

テスさん、いい映画教えてくれてありがとうね。元気にしてる?(まるで死んでしまったかのような言いぐさ。いい映画監督になっているといいなあ。。。)

ちなみにもう一つ見どころとして、
カツアゲされる学生として若き日の宮藤官九郎さんが出演されてます。
(今回調べるまで気づかなかった。。。)

※※※ココからはネタバレを含みます※※※
※※※是非作品をご覧になられてからお読み下さい※※※

個人的考察①
〜マサルとシンジ〜

皆さんいかがでしたでしょうか?なんとも切なく、ため息の出るくらい人生はうまく回らないものですが、あの2人の名台詞によって安心しました。彼らなら、きっと明日を築いていける気がする。

「マーちゃん、俺たち、もう終わっちゃったのかなあ。。」
「バカヤロー。。まだ始まっちゃいねえよ。」
映画史に残る名台詞

まずは肝心の主人公2人について読み解きたいなと思いますけど、とても不思議な雰囲気の2人ですよね。

その辺のよくいる仲良し不良、と少し違和感のある関係性のようです。

シンジは同級生のマサルに対して敬語で接します。(あるいはマサルは留年した?)自己発信の少ないシンジは、明らかにマサルを求めてついて回り、そこを楽しんでいる。まさに血の繋がった兄弟の雰囲気すら感じさせます。近いような、遠いような不思議な距離感を保ちつつ、マサルもシンジに対して決して辛辣な言葉は吐きかけません。自分が負けた時ですら、シンジを讃え、1人寂しくボクシングから離れていきます。マサルの方もシンジに対しては他の人間とは特別な絆を感じているように思えます。

彼らの通う学校はいわゆる進学校で、受験勉強を通して進学するというのが”普通”の学校のようです。そこでのはみ出し者達が何人かいて、教室の窓の外を眺めています。学校、教室という息苦しい空間から外を眺める青年が、最後にも登場します。

別バージョンのポスター。
ここに並ぶ人達は、教室の窓の外を眺めていた人達か。
学校教育以外の部分に将来を求めた(求めるしかなかった)人達かなあ。
左端は違うよ?

マサルとシンジはその中でこそ派手にグレてはいますけど(車焼いてますしね)、ド不良というわけではなさそうです。職員室では先生達が「何人国立受かった?」なんて聞き合っていますからね。(この先生達、そんな話ばっかでやな感じですよ。ソウルフルワールドのユーセミナー。学校のいやな雰囲気。)

まあこういう学校じゃないよね。ヘタしたらカモにされる側か。
ちなみにクローズでも出ていた若き日のやべきょうすけ さんが
3バカリーダーでした。
彼はイーグルと同じ道を歩むだろうな。。。。

そういった学校ですから、多分この二人の素行の悪さは親に連絡がいくはずですよね。ですけど、この二人の(まあ他の親も出てきませんけど。)親が呼び出されて、とか何も描かれないのです。シンジがマサルの家に電話を入れるシーンがありましたから、いるにはいるのだと思います。

だとしたら、彼らの親たちは、彼らの事どう思っているんでしょう?晩飯は外で、しかも酒食らって帰ってきて。ですけど、彼らはきっと親から金を出して貰って学校に行っているわけですよ。およそ二人の将来や現状に無関心なのでしょうか。呼び出しだって、進学校ならあるでしょう。親と揉めているシーンも無いですし。。意図的かどうかは解りませんが親の存在をワザと希薄にさせている印象を受けます。

ちなみに、その手の不良漫画は親が出てくると急にしまりが出ないので、
ワザと描いて無かったりしますよね。クローズなんてまさに。
出てきた方がより生々しい気がするけどな。。ウシジマくんとか。

そんな家庭環境が見えてくると、シンジがマサルや林にすがっていくのも、何となく解ってくる気がします

結局シンジは自分から何かを行動する事はありません。マーちゃんがボクシング勧めたから、会長がやれって言ったから、林がやれって言ったから。。

シンジはマサルといるときは本当に楽しそうです。引っ張ってくれる兄のようだと先ほど書きましたが、家庭が希薄なシンジにとってマサルは精神的家族にまで大事な存在となっていたのではないでしょうか?

描かれてはいないものの、きっとシンジも教室の窓の外を眺めていたのではないでしょうか?そこには自分の意思で自由に生きるマサルがいて。ふたりの出会いはそんな自然発生的なものだったのではなかろうかと想像します。

マサルとて、いつも劣等生・はみ出しもののレッテルを貼られながらも、おそらく自分の意思ではない高校へ進学させられて孤独を感じていたのではないでしょうか?

ラスト教室の外を眺める青年。かつてのシンジの姿だったのでは?

マサルがいなくなったジムで引っ張ってくれる存在は会長でした。またもシンジは誰かに牽引されて、図らずもその才能を引き出してしまいます。

デビュー戦での勝利の後、シンジはとても嬉しそうでした。きっと自分で成し遂げた始めての”成果”だったのでは無いでしょうか?

始めて事を成した男の喜びが伝わる。シンジ、、、
もったいないよ、、、。

しかし、事は上手くいかないもので、ボクシングが自分の為のものでは無く、会長の利己的な思想が混ざった不純なものとなってくると、やはりシンジはかごの鳥ではいられないのでしょうか、そこでアウトローとして生きる林に目を向けます。向けますっていうか、向こうから近づいてくるわけですけど、追い払えばいいんですよ。だけどシンジには自分の気持ちを解ってくれる、外の世界を見せつつ自分に教えてくれる近しい存在、マーちゃんのような存在に見えてしまったのでしょうか。。

この映画のキーマン「林」
いますよねこういう奴!人の足引っ張って、
過去の栄光があったかのような話を延々とし、
自分の失敗には甘く年のせいにする。
シンジが勝った時の歓声を聞いて、自分の手柄のように思ってるあたり
、、もう、、、くそが!
モロ師岡氏の怪演!

シンジがマサルと再会した時、つまりラストシーンですけど。どれだけシンジが嬉しかったか。。。。

シンジの話ばかりになりましたが、マサルの方はというと、彼はナチュラルボーン自由人に思えるので、そこまで深い考察がありません笑。わかりやすいですからこの人物像

感情のままに生き、やくざの世界は肌に合ったようでいて、彼には息苦しい世界だったと思います。石橋凌演じる親分も外面はいいけど、中に入ってみるとパワハラ全開で、ラーメン屋のカズオに何の感情も無く身代わりに差し出しますから、結局マサルは不満は多かったと思います。子分には慕われてたようですが。

それでもやはり、シンジと一緒にいるときの感じ、孤独を埋めるような二人の楽しそうな世界はなんとも言えない世界感を放っています。シンジがすがるに値する人物として、しっかり演じきっている金子賢の名演と思います。

このマサルのバリッと決まった姿を見て、皆どきっとしたはず。
しっかり高校生の時のはなたれ小僧感とは演じ分けている。
すなわち、「シンジとの決定的な別れ」を意味する。
それを数秒の絵だけで表現する北野武と金子賢、すごいや!

個人的考察②
~人生の不条理/描き分ける音楽~

人生なんでか上手くいく人、なんでか上手くいかない人。彼らに決定的な違いが存在していたかというと、どうでしょうか?そこまで何か特別なものはあったでしょうか?

「教室の中にいた人達」だったりこの映画でフォーカスの当たらない人達は意外と平々凡々と人生上手くいってそうなんですよね。そちらの方が世の中正しいのかも知れません。まっとうな努力をして、成果対価を受ける、至極当然の事です。イーグルやシンジや林の相手達はきっとまじめにトレーニングを積んだ結果勝つわけですから

じゃあシンジやマサルやタクシー運転手ヒロシや漫才師や3バカ、この物語の主要登場人物達、「教室の外に居場所を求めた者達」はどうでしょうか?場面場面では彼らなりに努力していたわけですし。失敗するのことは、彼ら単独の問題だったでしょうか?

特に天使タクシーのヒロシ。大けが、ヘタしたら死んだ?
彼が何か悪い事したわけじゃ無し。。。。
物語的な因果応報はないからこそ人生の不条理を感じる

北京ゲンジ演じる漫才師達は成功し、3バカの一人がマネージャーにつく様子が描かれていました。(あのシーン、ぐっときますよね。)最初は客が入らなかった劇場も、徐々に人気がついてきたようです。

自分の居場所を見つけてほほえむ姿。
好きなもの見つけられてよかったね。
最初後ろ姿だけしか映らないのがニクい演出。
ちなみにコンビ名は「南極55号」たけしらしさ全開。

映画の冒頭は彼らの舞台の袖から始まりますし、一方その頃シンジとマサルは、、、から物語が始まることから、彼らは対比の構造に立つわけです。どうしてここまで人生は変わったのか。退屈な教室から抜け出せたはずなのに。そこには人生の不条理を大きく感じます。

「なんで私が?」「なんで俺だけ?」「なんであいつは?」

人生とは時に無情であるし、不条理にほほえむ事もあるわけです。当たり前ですけど。でもそれを物語にしようとしたら、話が盛り上がらないと思うのです。

勝ったのはラッキーでした。失敗したのはアンラッキーでした。物語のスパイスとして”ラッキー”は効果的ですが(特にアクションやサスペンスにおいては)、ヒューマンドラマではそれで物語りを進めるには無理がありそうなものです。

もしかしたらバイク事故に遭い、再起不能の可能性があった北野監督自身が感じたものの体現だったのかも知れませんね。

「なんで今なんだ。」「どうして俺なんだ。」「なんであいつが。」怒りとも、悲しみともとれない不条理が包み込んだのではないでしょうか?

この映画のラストにかけて、うまくいく者と、うまくいかない者達の様子をテンポアップして交後につるべ打ちで見せつけてきます。先に挙げた感情達が押し寄せて、目を背けたくなります。なぜに人生はこうもうまくいかないのか。

その効果を最大限に引き出しているのが、久石譲氏のBGMと思います。

コードは変えずに、曲調やテンポでその場面を盛り上げる。菊次郎の夏なんかもそうですけど、あのテーマを場面ごとにアレンジする事で全く違う曲、全く異なる意味合いを出す、見えてなかった側面を出すなのど効果が出てくるように思います。

先の「幸と不幸のつるべ打ち」シーンの不穏で悲しい曲調は、オープニングの躍動感あふれる曲調からかけ離れて、哀愁に満ちた物になっています。

個人的にはオープニング、二人が再開するところ、
すなわちどん底の所から過去を振り返り出す場面での
急に曲のテンポが上がりタイトルコールが出るところ、最高。

音楽と、台詞と、絵作りと、北野映画はなんとも台詞では表しきれない感情の移り変わりや、奥歯ににじむ味わい深さを演出するのが本当に上手だと思わせる、そんなシーン達でした。

まとめ

皆さんはいかがご覧になったでしょうか。とにかく、やはり私の中では、「私の映画」であったので、やはり特別な感情を持ってしまうのです。予備校時代、何者でも無い精神的につらかったあの時代、映画の中の片隅で、あの教室で勉強した後、うまくいかなかった一人としてそこにいるような気がしてならなかったのです。

レールに乗れず、不安を抱え、嫉妬心を燃やし、自分のちっぽけさを痛感する毎日、そこにシンジとマサルのあの台詞が深く刺さりました。

「マーちゃん、俺たち、もう終わっちゃったのかなあ。。」
「バカヤロー。。まだ始まっちゃいねえよ。」

救われたような気がしました。きっと明日はある、そう思うしか無い。

北野監督が当時どの様な気持ちでこれを撮っていたのか、その全てを知ることは出来ませんが、こんなにもポジティブなメッセージを植え付けてくれた映画は数多くありません。他の北野映画では哀愁を漂わせたまま静かに去って行くというラストの映画も多いです。それはそれで凄くよいものがたくさんあります。ソナチネとか。けどこの「キッズ・リターン」という物語のラストはこの終わり方で大正解だったなと思いました。

「座頭市」のラスト
皆で踊って大団円。
当時批判はあったようだけど、これはこれで私は好き。
映画の目的と手法というものを使い分けている気がする。

皆さんの中にも「自分の映画」があると思います。それはこの映画のような名作でも何でもない映画かもしれません。「人の映画を笑うな」かも知れませんしね。そういった作品に出会える事は、素晴らしい幸運だと思います。これからもどんどん探していきたいものですね。

繰り返しますが、テスさん、いい映画教えてくれてありがとね。元気?

少し年度末ということもあり、少しアップまで時間がかかりましたが、こんなペースで気楽に書き進めて参ります。

いいかげん確定申告せな。。

次回は何にしようか、よければリクエスト、コメントお待ちしております。

それでは、buchizashiでした。ではでは。

最後はやっぱり林
「そうか、、、あいつ勝ったんだ、、、
俺が見込んだだけのことはあるぜ。。。。」のムカつく顔でシメッ!

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