何一つSNSをやってなかった幼馴染と10年ぶりに再会した話
もう僕も28歳になった。
ただ、迫り来る30代に恐怖しているかというとそうでもなく、
「なんか最近同級生の結婚増えてきたなあ」とインスタのタイムラインをぼんやりと眺めたり、
飲みの場で冗談交じりに「高校卒業から10年経つってヤバくね?笑」と笑い捨てるくらいで、
正直まだまだゲームも漫画も恋バナも楽しめる若者気分でいる。
そんな中、つい先日、
18歳――高校卒業から10年経ったこと、
10年という時間の持つ意味を嚙み締めさせられる出来事があった。
LINEもFacebookもTwitterも、SNSを何もやっていなかった幼馴染と10年ぶりに再会した。
そんな話をしようと思う。
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Rくんという幼馴染がいた。
小学校から高校まで一緒で、親友と言って差し支えなかったと思う。
Rくんは色白で、丸い眼鏡をしている優しい少年だった。
決して声を荒げたりすることなく、穏やかで聡明だった。
中学時代、僕とRくんは勉強がすごく得意だった。
ただ、性格はわりと違っていて、
(自分で言うのもなんだが)社交的かつ快活で友達も多かった僕とは対照的に、1人で図書室でよく読書とかしているタイプの優等生がRくんだった。
けれど、勉強という共通言語があったからか、僕とRくんは部活とかクラスとかそういう学校内のコミュニティの壁なんて気にせず、めっちゃよく遊んでいた。中3の夏休みに至っては、ほぼ毎日『午前は一緒に図書館で勉強→午後は近くの市民体育館で卓球やプール』というルーティンを繰り返していた。日によっては、彼の実家にお邪魔して涼しいクーラーを浴びながらゲームもした。
この日々は、今でも鮮明に覚えている。
中学生なんてのは、遊びも恋愛も何もかも初めてなことだらけな年齢なわけで、そんな初めての刺激に囲まれる中、マイペースで穏やかなRくんと無心に卓球したり泳いだりしている時間はめちゃくちゃ心の拠り所になっていた。
その後、僕もRくんも都内1,2を争うトップの公立進学校に進学した。
高校生になると、中学時代以上に僕のコミュニティも広がり、頻繁にRくんと遊ぶこともなくなったが、休み時間にRくんのクラスの教室に立ち寄れば、軽く雑談するくらいには接点はあった。
迎える大学受験。
僕もRくんも、東大の理系を受験したが残念ながら受からず、
僕は第二志望だった私大理工学部へ、Rくんは後期試験で某国立大学工学部に進学した。
その時点で時は2014年。
時代背景としては、ガラケーからスマホへの過渡期が終わりかけており、9割くらいの人がスマホ、1割くらいの人がガラケーユーザーだったと思う。それに伴い、TwitterやLINEといったSNSも普及していた。
しかし、Rくんはスマホはおろかガラケーすら持たず、それゆえ当然何一つSNSをやっていなかった。18歳にもなってRくんの実家をピンポンして「おーいRくん、遊ぼうぜ!」と突撃するのも変な話なので、Rくんと遊ぶ機会はここで途絶えた。
大学に進学し、僕はサークルとバイトを楽しむザ・普通の大学生をやっていた。1年後、大学2年生に進級する頃には、僕はかつての東大目指してストイックに研鑽を積む受験アスリートの影をすっかり失い、バイト後オールで飲んだくれる典型的早大生と化していた。
そのバイトというのが、予備校のチューターで、高校生の学習支援や進路指導をするというものだった。
さて、そのバイトの一環で、『受験当日の応援』というのがあった。
大学受験当日に、チューター一同が旗を持って受験会場であるキャンパスに赴き、自分の予備校の受験生にエールを送るという仕事だった。僕もその応援に駆り出され、一年前に落ちた東大の赤門前で受験生にバッサバッサと旗を振りながら「がんばれー‼」と声を掛けさせられる新手の凌辱プレイを強いられていた。
受験生の列を見渡し、自分の予備校の生徒を探していると、
ぼく「……!?」
なんとRくんが受験生の列の中に紛れていた。
「あれ!?Rくんは別の大学に進学したはずでは…?」と一瞬混乱したが、「そうか、仮面浪人して東大に再チャレンジしたんだなぁ、がんばれ!」と思い直した。
Rくんの姿を見たのは、それが最後だった。
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時は現代に戻る。
あらゆる人間関係が当たり前のようにSNSで繋がっている令和の中で、
僕にとって「昔あれだけ仲が良かったRくんと繋がる手段が無い」というのはちょっとした違和感だった。
だから、大人になってからも、1年に1回くらい「Rくん元気かなあ。会いたいなあ」と思うことがあった。
Rくんの本名でSNSを検索してもヒットしないし、頭の良い彼のことだから何か論文とか書いてるんじゃないかと思って調べてみてもヒットしない。
Rくんは、今何をしているんだろう。
ちょうどそう思っていた矢先、
久々に別の高校の同級生――ここではH氏とする――と飲みに行くことになった。H氏は、Rくんと同じクラスだった。だから彼に訊いてみた。
ぼく「そういやRの連絡先知らない?」
H氏「いや、全然連絡取ってないぞ。俺が知りてえくらいだわ」
ぼく「まあそうだよな…」
H氏「あ、でもそうだ、高校のクラスLINEにいるかも」
だがしかし、やはりと言うべきか高校のクラスのグループLINEにもRくんのアカウントは無かった。
H氏「うーん… あ!」
ぼく「どした?」
H氏「Rのケータイのメールアドレスならまだあるかも」
奇跡的にH氏のスマホの電話帳の中には、僕も知らなかったRくんのケータイのアドレスがあった。Gmailとかではなく、「@i.softbank.jp」で終わるやつのほうだった。
ただ問題は、10年前のアドレスがまだ生きているかということだった。10年経てば機種変などで、もうそのアドレスは使われていない可能性が高い。それに、そもそも人との繋がりが薄かったRくんが、ケータイ用のメールをチェックするかということだった。その懸念をH氏に伝えると、
H氏「それはそう。このアドレスに連絡しても返信来ないでしょ」
ぼく「かといってその電話帳の番号に電話しても出なさそうだよねえ」
H氏「…電話番号宛にSMSでDM送ったらワンチャン返信くるんじゃね?」
ということで、駄目元でSMSでDMを送ってみた。
令和の人間があまり使わないSMSという手段、そして、送信先は10年前の電話番号。返信が来る確率は限りなく0に近いと思っていたし、1週間以内に返信が来れば御の字だと思っていた。
5分で返事が来た。
しかもなんかRくんも少年の日をタイムリーに思い出してくれていた。
この後僕とRくんは、「ねえ、てかLINEやってる?笑」というテンプレ問答をやり取りし、再会する約束を取り付けた。さすがの彼も時は令和、LINEをやっていた。彼はまだ実家に住んでいるとのことだったので、集合場所は彼の実家のマンションの入口とした。
この時の僕は、10年という時間の持つ重みを全く分かっていなかった。
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再会当日。
マンションの入口で待っていたRくんは、かつての色白な肌は見る影もなく、肌荒れが酷く、ひどく痩せこけ、髭は粗く生え乱れていた。
思わず「めっちゃ痩せたね」と僕が零すと、Rくんは「はは、そうだろ。でもちょっと前までは40㎏台だったんだぜ。」と微笑んだ。
見た目はかなり変わったものの、話し始めてみれば10年前と同じで、穏やかで優しい口ぶりだった。
Rくんは「いやぁ、久々に誘ってくれたのが今で良かったよ。もうちょっと前だったら、会えなかった。」とサラッと言った。嫌な予感を抱えつつも、僕が「どういうこと?」と訊くと、彼は「まあまあ。後で話すよ。それよりどこ行く?」と答えた。
僕らは、中学時代の夏休みに毎日卓球をしていた思い出の場所に立ち寄り、10年越しに卓球することにした。
ただ、受付の人に「コロナ禍になってからはマイラケットを持ってないと卓球台使えなくなっちゃったんですよ。すみませんね」と言われてしまった。
結局、普通に吉祥寺のカフェや井の頭公園でお互いの空白の10年を語り合うことにした。
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18歳から28歳の10年だ。色々あって当たり前だ。
ただ、彼のそれは僕の予想の斜め上だった。
Rくんの肌が荒れ身体が瘦せ細ったのはそれもそのはず、Rくんはこの10年で甲状腺機能亢進症や鬱病など、様々な病気と闘っていた。どん底の時には自殺未遂をしたほどであったとのことだった。高校卒業後、3年間仮面浪人をしたものの、体調的にロクに机に向かえなかったと言う。それでも、3浪の末東大に合格したとのことだった。ただ、それも全く嬉しくなかったとのことで、相変わらず絶望する毎日だったとのことだった。東大進学後も、病気に苛まれ、休学を挟み、現在ようやく大学4年生に進級したところだった。
彼の過去は、数時間にわたってかなり詳細に聞いたのだけれど、人が苦しんだ記憶を詳細に書くのもナンセンスなので、ここらへんで留めておこう。ただひとつ言えるのは、Rくんは最後に東大の赤門で見かけて以来、10年間絶望を彷徨っていたということだ。
ただ、さっきRくんが『久々に誘ってくれたのが今で良かったよ。もうちょっと前だったら、会えなかった』と言ったのには理由があった。
「最近やっと元気になってきたところでさ。」
色々あったRくんだが、先日就職活動を終え、28歳新卒にして、かなり有名なIT系のメガベンチャーにエンジニアとして内定を貰ったそうだ。何とかRくんの人生が上向き始めたのが、つい最近だったということだ。少し嬉しそうに「親にはすごく迷惑をかけてしまったから、ようやく社会復帰できそうで良かったよ」と言っていた。余談だが、こういう勢いのあるITメガベンチャーが、年齢や過去を気にせず優秀な学生は採用するというスタンスでいてくれて、人事の僕としては少し嬉しかった。
ただもちろん、彼と話している時はそんなこと考える余裕もなく、話を聞きながら、彼の苦しみを思うと泣きそうになった。何とか振り絞れた言葉が、「死なずに生きてくれてて本当に良かった。」だった。
既に書いた通り、中学時代毎日のようにRくんと遊んでいた日々は僕にとって宝物のような思い出だった。それだけに、彼がこの10年間苦しんでいたと思うと――それも、もしかしたら友達に頼れずに独りで苦しんでいたとしたら――自分事のように胸が締め付けれらた。
それでも、Rくんが今何とか生きていてくれて心の底から良かったと思う。
最後に。
この出来事を通じて、ひとつ気付いたことがある。
10年という月日は人を変える。
Rくんがそうだったように。
ただ、裏を返せば、どんなに深い絶望からも這い上がることができる時間というのが、10年なのだとも思った。「時間が解決する」とはよく言ったものだ。自殺未遂をしてしまうほど何かに苦しんだとしても、人は10年あれば希望を手にすることが出来るまでになれるのだ。
僕自身も、精神力が強靭なほうではないので、これから先何度も挫折の新記録を更新し続けていくことになると思う。その時は「10年後にはまあ流石に乗り越えてるでしょ」と思うことにでもしよう。
最後に、Rくんに向けて僕の好きな曲の歌詞を置いておこうと思う。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
ぶち