経営と政治の決定的な違い
タイトルほど堅苦しい記事でもないし、気づきのメモ程度の短い記事なので気楽に読んでほしい。小難しい内容も含まない。
自民党総裁選の話題が盛り上がっている。コロナ禍という非常事態も相まって、次の総理大臣が誰になるかということについて平時以上に多くの関心が寄せられているように感じる。(ちなみにぼくの政治の知識は偏差値換算でたぶん2くらいしかない)
一方、こんな声を聴くこともある。
「最近は、東大生の中の優秀層が、官僚ではなく外資コンサルや投資銀行など民間企業を就職先に選ぶようになってきている」
「ずっと官僚組織に慣れ切った政治家よりも民間出身のカリスマ経営者なんかに政治をやってほしい」
ぼくも元々こうした声には賛成していた。「確かにそうだよね」、と。
ただ、この1年半、しがないいちMBA生として様々な経営理論やケーススタディを学んでいく内に、考えが変わってきた。
経営の世界での成功者に政治をやらせてもたぶんうまくいかない。
新卒の就職先として官僚の人気は落ちてるかもしれないが、そもそも政治のトップと経営のトップに求められる能力はけっこう違う。
そんな風に思った。
つまるところ、
「選択と集中によって限りあるリソースの使い道に濃淡をつけ、何に投資し何を切るかに関する適切な意思決定を行うのが経営者」
「限りあるリソースの中で、すべての社会問題に取り組まなければならないのが総理大臣」
であると考える。
2010年前後に業績不振に陥ったSONYは、選択と集中によって業績を回復させた典型例だ。SONYの平井元社長は、PC事業などを売却し苦境を乗り越え、吉田現社長はエンタメ系事業に集中投資を行うことで過去最高益を達成した。事業の撤退と進出はきわめて基本的な経営行動だ。
けれど、こんなこと政治では許されない。
「少子化対策のために育児支援策を投下します!でもそのぶん老人の介護支援は手薄にします!w」とか「旅行業界には補助金を出します!でもそのぶん飲食業界には補助金を出しません!w」とか、そんな言い分に国民(特にこの例で言うと介護をしている中年層や飲食業界従事者)は納得しない。
加えて、経営者の下には、その経営者の掲げる経営理念やビジョンに少なからず共感した人が集まってくる。経営者は自分に共感してくれている彼らだけを導いていけばよい。もちろん、経営者が関わるステークホルダーとしては株主とかサプライヤーとかあるけれども、リーダーシップを発揮すべき相手は原則従業員である。一方、総理大臣の場合、その総理大臣に反感を抱いている国民をも引っ張っていかなければならない。そりゃ経営者と総理大臣、必要な能力は異なってくるわけだ。
なんでこうも政治ってうまくいかねえんだろうなあ、とか、なんで民間セクターには強力なリーダーシップを発揮できている有能な経営者がいるのに政治の世界には少ないんだろうなあ、とか、思っていた。もちろん政治家たちの力量不足もあるだろう。
でも資源配分といういち側面から言うと、経営より政治の方が圧倒的に難しいんじゃん、とふと思った。
ぶち