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権威と権力とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
ずいぶんと間が開きましたが、また懲りもせず投稿しますので、宜しければお付き合いください。

書くネタ自体には困らなかったのですが、諸々まとめて考えてみようと思います。

まずは学術会議。
個人的には日本学術会議なんて、ホントにしょうもない組織だと思ってます。潰した方が良い組織かもしれない。
ただ、それと権力者が威圧を掛けて意のままにしようとするのは別問題でしょう。と思うんです。

個人的には「10億しか払わないくせに、何偉そうなこと言ってんだ」で終わりです。この人たちが大好きなアメリカは3つのアカデミーに対して政府が年間210億円拠出してます。58億円が民間からの寄付ですね。そんなアメリカはおろか、イギリスよりもひもじい(イギリスは年間総額で135億くらい)アカデミーですから、それは毒にも薬にもなりません。何かできるような予算はないので。

そもそも自分には分からないことだらけで、総理大臣に任命権があるのなら、総理は上司(=権力者)です。安い賃金でこき使われて、ああだこうだと文句を言われる。これって「ブラック企業」の様子では?それをパンピーが喝采するんだとしたら、ちょっとマトモじゃないと思うんです。

いわゆる都構想の話も大体同じ構造です。大阪市の関係者でない学者で賛成してる人なんて見たことない。つまり権威は否定しているんですね。それに対して為政者(=権力者)は賛成ですから、権威を真っ向から否定する訳です。

で、ここからが大事なんですが、およそ日本においては権威に力はないんですね。歴史を紐解く必要も無いですが、大体1000年くらい天皇に力があったことはありません。ゼロではないですが天皇が権力を持っているときは大体が異常事態です。
人格的に優れているから権威がある?そんな事もあり得ません。
炎上案件ですが、平安時代から数えて歴代の天皇は全員が人格者だったのか?そんなこと無いでしょう。と言うのは常識的に分かります。人間なんて100人もいれば、ヤバイヤツが4~5人いてもおかしくないでしょう。
天皇は天皇だから権威があるんです。今上陛下は人格者ですが、人格者だから天皇なのではなく皇族として、上皇陛下の子供に生まれたから天皇なんです。皇室の歴史は現代人の常識なんかより遥かに長いんです。時代によって人格者の定義なんて変わるんですから、人格者だから権威があるなんてことは当然無いわけです。

じゃあ、そんなヤツのいうことなんて無視して構わないのか?少なくとも権力者は無視してはいけないです。
何でか?それが歴史だからなんですが、もう少し付言すると、権力者もマトモな人間は少ないからです。
権力者がマトモだったことは歴史上でいえば少数で、大概はどうしようもないことをしています。
権力者に権力がある理由は簡単で、力があるからです。でも力ってのは永くは続きません。五百年も力が続くなんてことは、これも歴史上無いわけです。

要するに我々は「マトモじゃないヤツ」と「マトモじゃないヤツ」の話を見てるんです。とすれば、もちろん絶対ではないですが、歴史的なマトモじゃないヤツの方がまだマシだと思うわけです。
歴史と言うのは多くの人間が積み重ねたものですから、歴史があるってだけでも一目置く価値があります。だから我々は古典を読むんです。現内閣総理大臣の愛読書に「君主論」が入ってるのはそう言うことですよね。(まぁ読んでいるかは甚だ疑問ですが)

つまり一般的に考えれば権力者のいうことなんて、眉がビショビショになるくらい唾を付けなきゃいけないわけです。ましてそんな権力者にくっついてる竹中平蔵みたいな人間なんて怪しいことこの上ない。

何故か現代の政治は真逆なんですよね。総理(権力者)が携帯会社(弱者)に圧力を掛けるのを喝采する。そんな事が永いこと続いてます。

我々がいかに基準(=クライテリオン)を見失ってしまったか。それを取り戻す運動を再開しようと思います。
ではまた次回

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