コロナと政治とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
今更ですがコロナ関連のニュースに乗っかって見ようと思い、筆をとった次第。

事象をどうこう言うのは本記事の趣旨ではありません(今回の件は確実に政府の失策だと思っています)。
大切なのはお天道様に顔向けできる(=正しく生きる)為の「基準(クライテリオン)」ですので、政府がどんな「基準」で物事を判断してきたのか考えていきます。
1/24に安部首相は春節に向けて訪日を歓迎するメッセージを発信しています。
そこから今日に至るまで支離滅裂な発言を繰り返している様に見えます。
発言自体は様々なところでまとめられているでしょうから割愛しますが、およそ一ヶ月間、安部首相(=政府)は何を「基準」に行動していたのか?

「金のため」「支持率のため」など、色々考えられるんでしょうが、自分は「無基準」な行動だと考えています。
無基準は無計画と言い換えられるかもしれません。そういえば先日「パラサイト」と言う映画を(今更ながら)見てきましたが、半地下の親父がそんな事言ってましたね。でもその結果あんなことになって刑務所に入ってた方がマシな感じになってしまった(ネタバレ厳禁の為細かく言及はしません。なかなか考えさせられる良い?映画でしたが)。
先日記事にも書きましたが「とにかく行動してみよう(変えてみよう)」と言って動くとろくなことにならないという良い例です。
その昔、某総理大臣が東日本大震災のとき「俺は原子力に詳しい」とか言い出して、原発に直接視察に行った挙げ句、現場で怒鳴り散らして帰って来たとか言う笑えない話から日本人は全く学習できてなかったんだなぁと。
どちらの事案も最終的には弱者が死んだんです。その責任もろくにとらず(現首相の案件は現在進行形ですから、責任云々以前ですが)のうのうと暮らしてると思うと、心の底から怒りがこみ上げてきます。

じゃあ正しい基準は何なのか?
それはやっぱり「明るく・楽しく・元気に」生きる(活きる)という事に尽きる。
だから「最小不幸社会」とか「トランプ大統領と意見が一致した」とかはダメな基準な訳ですね。
元気に生きる為には、ベント直前の原発にヘリで向かうとかは正気じゃないし、爆発的な流行の発信源からの観光客をお待ちしてる場合じゃない(少なくとも、わざわざ言う必要はない)訳ですよね。
でもこの問題、総理に責任があるんでしょうが、元をただせば日本国民がダメなことが原因ですよね。もう少しJapaneseに考える基礎体力があれば、民主党が政権をとることもなかったでしょうし、安部首相が今まで総理を続けていることもなかった筈です。
とにかく考えることが出来ない。考える暇がない。Uberの宅配で小銭稼がなきゃならないほど貧しいんだから、確かに暇がなくても仕方がないんでしょう。
衣食も大事。その為には日本人も黄色いベストを着ましょうって事で、今回は短めに終わります。

追記
無計画なお陰で、日本全国津々浦々の会合が中止になっています。
今時点(2020.3.8)でコロナにかかる確率なんて交通事故に合う確率より低い訳で、十分な安全策を取れば問題なく集まれるわけです。そんな簡単なこともできない政権。宰相不幸内閣とはまさにこの事でしょう。

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