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徒然ならない話 #12 ひとりの時間、不要論

6月は遊びに遊んだひと月だったと思う。

高校2年生ぶりにディズニーシーに行った。
高校生の頃の記憶や思い出に、
今の大学の友達との思い出が加わって厚みを増したのがわかる。

中学3年生の修学旅行ぶりに京都と大阪に行った。
お寺や街並みを見ても良さがさっぱりわからなかったあの頃と比べて、
今はそれなりに楽しさを見出せる自分になっていることが不思議でもあったし、
同時に感慨深くもあった。
ミスチルのライブにも行った。
コロナ禍に入ってから初めてのライブだったけど、
今でも会場にいた時の興奮は覚えてるし、
友達とミスチルについて延々語るのも楽しかった。

久しぶりに高校の同級生たちと東京で会った。
いわゆる下町サウナ的なところに初めて行った。
まだまだ「ととのう」には慣れが足りないなと思った。
お互い就活がほとんど終わっていて、
社会人になった自分たちのことを想像しながら話をした。

バイト先の元同僚たちと久しぶりに会って飲んだ。
お互いかなり積もりに積もる話があったので、
口と耳を休める時間がないくらいに楽しんだ。


そんなこんなで、6月の特に後半はほとんど予定だらけで、
全く何もスケジュールのない日はほとんどなかった。
要するに、1人で羽を伸ばして落ち着く時間がほとんどと言っていいほどなかったわけだ。
それでも、別に僕はどうってことはなかった。
むしろこれがずっと続いてしまえ、とも思っていた。

僕には「1人の時間」は、必要ない。
常に誰かが自分の近くにいる時間だけが、1日の全てであっていいのだ。
とは言ってもそれは、よくよく考えればどう頑張っても実現不可能な話で、
お風呂やトイレ、移動中だったり、
どうしたって1人にならざるを得ない時間は発生する。
だから全く1人にならないなんてことは不可能だけど、
そういう時間を除く全てに、僕以外の誰かが、僕と時間を共有してくれる状況があればいいと思っている。

そういう自分の考えもあって、僕は1人になる瞬間をとことん嫌う。
やらなきゃいけないことや予定のない日は、
友達を映画鑑賞やジム、カラオケなんかに誘っている。
ある友達がダメだったら、別の友達に連絡を取るし、
誰も捕まらない日はあまり心穏やかではいられない。
そうやって、自分が1人になる瞬間を少しでも減らす工夫をしている。

僕の周りには、こういう考えをする人はほとんどいない。
多少「寂しい」「誰かに会いたい」「友達と遊びたい」などと思うことはあっても、
こんな無理矢理に近い形で誰かと一緒にいることを求める人はいないのだ。
ほとんどの人が自分だけの「1人の時間」の必要性を強く感じていて、
それがないとストレスになるという。
もちろん、それは友達や周りの人と会うのが嫌だとかそういうわけではないし、
その時間もすごく大事ではあるけれど、
何も気にせず、自分だけの時間で好きなことややりたいことができる、心を安らげることができる空間の存在も欠かすことができないわけだ。

僕も、他人といるときに全くストレスやプレッシャーを感じないわけではない。
人と一緒にいるという行為に支払われるあの「よくわからないエネルギーの消失」の感覚を、知らないとは言わないしそれなりに経験もある。

だけど僕はそれ以上に、自分が1人であることが怖い。
1人でいると、自分が誰からも気に掛けられていないような、
誰からも求められていないような、
そんな孤独感と疎外感に襲われる。
自分が今「1人の時間」を過ごしているのは、
魅力のない、何の特別な部分もない僕に、
周りの人が愛想をつかしてしまったからなんじゃないか、と。
そうして結局、1人でこんなふうに悶々としている自分が嫌になる。

周りの友人や知り合いに対し不信感や疎外感を感じているわけじゃない。
彼らのことは好きだし信頼している。
でも僕が疎外感や不安を感じているのは、特定の誰かではなくて、
そのまま「誰か」なのである。
ありもしない、不確かな身の回りの「誰か」にそんなことを感じるなんて、と思うだろうか。
でもこれは紛れもなく僕の心の中にある感情で、
僕は常に得体の知れない孤独感と恐怖に怯えている。

普段友達と予定を立てる時、半分以上の割合で僕が誘うことが多い。
なぜなら僕が会いたいからだ。
だけど、さっきみたいな心境にいる時、時々思う。

僕が誘ってばっかりな気がする。
もしかして誘いすぎなんじゃないか、本当はみんな嫌がってるんじゃないか?
僕が声をかけられることが少ないのは、
僕がつまらない人間で、必要とされてないからなんじゃないか?

こういう思考は僕をどんどん追い込んでいって、
耐えられなくなった僕は結局誰かに連絡を取って会おうとする。

そして、極端に1人を嫌う僕にとって、このひと月は最高の時間ばかりだった。
1人にならなきゃいけない時がほとんどなかった。
常に大切な友達が近くにいたし、孤独や不安、疎外感を感じずに済んだ。
ずっと楽しい時間が続いていて、今日が終わっても、明日が終わっても、
まだたくさんみんなと一緒にいられる。
それがどんなに幸せだったことか。
だから、どんなに忙しくても、どんなに疲れがたまっても、
本当にどうってことはなかったのだ。
1人じゃなかったから。

そして7月がやってきた。
スマホのカレンダーアプリは、少しの予定とバイトのシフト以外、
今のところまだ空欄が目立っている。
これを見ると、いつもたまらなくなる。
ああ、1人の時間がある、って。
別にいつも通り、友達を誘って予定を新しく立てたりすればいいだけのことではある。
月の後半の予定なんて、まだ決まってなくてもそんなにおかしくはない。
だけど、それでも、どことなく悲しい。
あんなにキラキラしていて、誰かと一緒にいられた時間と比べてしまって、
何の面白みもない自分としか一緒にいられない時間が嫌で仕方ない。


長い長いひと月がまた始まる。
また友達にメッセージを送らなくては。
自分の心を平和なままにするには、
常に誰かと一緒にいなければいけないから。

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