RM『INDIGO』、You be a humanとは。
RMくんのソロアルバムが公開された。
その全部を聞いてから、考えている。
この「考えている」…の感じは、ふよふよとどこに行こうとしているのか、でも嫌な感じじゃ全くない。着地出来ずにふわついていること自体が恩恵である。そんな気すらする。
これはレビューじゃない。感想…とも違う。
彼から、吐くようにして外に出された、詩の風景。サウンドのあまりにお洒落さにはびっくりした。『mono.』よりも格段に洗練されている。まるで、ジンベースのとても素晴らしいカクテルがいくつも並んでいるような感じだった。違った素材でそれぞれ別のものになっているのに、そのジンはとにかく香りが良くて、上等の、空気よりもさらに透明に透き通ったジンなのだ。
その香りを嗅いで、味わうごとに、いちまいいちまい、薄いテッシュみたいに降り積もっていくものがある。
こそからわたしが言葉を生んだ時、それはもうRMくんの音楽とは違うものになっている。
だからこれから書くのは、わたしの世界だ。
【Wild Flower】は、「語れないことがある」、そしてその罪悪感で、彼の心はすっかりぼろぼろだった。
このアルバム全編を通して書かれている罪の意識。
BTSのリーダーに代われる人がいるなら、その人は全部を受け取って、全部に傷ついて、全部の傷の意味を考えて、血を流したまま走ることの出来る人だろう。そしてRMくんはそういう人だった。
彼が「語れない」と言ってくれたことに驚いた。
それは言っても大丈夫なことなの?彼が語れないこと。それはあまりに凄惨で、陰鬱で、陰鬱で、凄惨なので。今、皆が知っているような、社会のシステムを動かす役割を持っている人たちが、彼のように誠実でいてくれたら、どれだけ心持ちが違うだろう。「語れないことがある」。そう、言ってさえくれたら。
と同時に、アルバムには、彼のロマンチックに対する憧れがぱきっと置かれていた。目と目だけを見て、肉体を介す親密な空間に生まれる広がり。それを全身の細胞が渇望する気持ち。
それは生命の、強い「正」の側のエネルギーだ。
ああ、だから。彼のジャケットのコンセプト写真を、とてもオーガニック(自然本来)でネイキッド(素肌の)だと感じた。そこにはエロスがあると思った。なぜそう思ったんだろう?全部のアクセサリーを外して、強いメイクを外して、装飾も虚飾も外して、彼が好まないものを排したトーンのモノの中に彼がいる。
自然光のような明かり。
「この部屋に入る人と、一対一で向き合う」
そういう用意がある状態の彼に見えた。
生の明かりに、ネイキッドのようにしている。
今から考えると、無意識で『INDIGO』を聴くための準備をしていたのかもしれない。わたしはこの秋に、RMくんに特筆したnoteをふたつ書いた。ひとつは彼のフューチャリング曲に関して。
ここで取り上げたアーティストが『INDIGO』にも参加されている。このフューチャリング曲をたどって、今回の楽曲になっていることを、自分で翻訳したせいもあってか、具体的に感じることができた。
一方、対談では、『INDIDO』の曲にある歌詞がそのまま話されている。この時語ったことは、この時点で、大分輪郭のはっきりしたテーマだったのだろう。
対談の中で、RMくんは「この業界の練習生達に伝えたい」ことが「人間であってください」である語っている。
今、わたしが新たに『INDIGO』から受け取った体感で言葉にしようとすると、彼が言う「人間である」という言葉の意味は、
「傷つき、罪悪感を感じたまま生きる」
ということのように感じた。
だから彼は今、何も否定しない。全てを受け取ったままでいる。ホテルの部屋が嫌いでしょうがない感受性も性格も、繊細すぎるくらいに繊細などの機能も、何も止めない。
起きていることに傷つき、罪悪感に傷つき、そうして生きることが自分の役目なんだろう。それに精神が耐えられるから、それを与えられたんだろう。そしてそれはきっと、自分が生まれる前に設定されて、あった。自分によって。その役割を。
墓石の上に片足をかけて、「何も恥じることが無い」と言う。「これで全て成った」。その足は輝かしい素足だって。生まれる時に持たされたものと同じ。どうして少しだけ似ているんだろう?先日、10年前くらいに描いた絵が出てきて、何となく思いついてわたしは額装していた。
「墓」「都会」「自然」「星」「音楽」。それぞれに視点を置いて、彼が、多角的に、パースペクティブに客観視しようとする気持ちは分かる。
彼には全く咎が無い。「語れない」のも、罪悪感を感じることにも。
それは何一つ彼のせいではないのだから。全部の心を死なせずに罪悪感を受け入れることができたら、彼は、もう、それで全てを「よくやっている」。許しを与えて、彼は自分の内側に野草の平原があることを知る。彼が一番平穏を感じる地点。そうして彼は今、自分がどこにいようと、野の花の咲く平原に立つことが出来る。
そこへ彼を導き、道中を守って来たのは「詩」だった。ああ、彼は今、その詩の力を新しいお守りに変えた。Tiny Deskのライブで歌う彼を見て、彼の作った音楽が、彼を癒やしているのが見えた。彼は音楽にマントラを刻んだ。それは彼が歌うと、はっきりと発動する。いつでもこの地点に立ち戻り、平原の気配が彼を包んで守るお守り。彼が詩の力を使って歌詞に織り込んだ白い魔法だった。それは彼を深く癒す。
さて、こうしてBTSのメンバーのうち、3人のソロ作品が出揃った。
わたしはRMくんの作品を聴いて、初めてソロ、つまりChapter2がどういうものであるかが、やっと、分かった。
彼らが知って、体験して、傷ついたこと。それを言うことが出来ない罪悪感。【Wild Flower】のMVで、ストームの中にいるRMくんがいる。「語れないこと」をもし語るならば、今用意されているものは全てもぎ取られる。舞い飛ぶ飛行機、マイク、スピーカー、スタンド、自分自身。葛藤の渦の中で、手放そうか、何度も、考える。その重い数年を、三方向から見せられているのがChapter2だった。「防弾の成功の理由?(【Run BTS】)」。それでも7人みんながスケジュールをこなし続けたからだ。傷も葛藤も皆んな抱えながら、ベッドから起きて、着替えて、現場に行って、最高のパフォーマンスに努めたからだ。それを止まらずにして来た7人だった。
取り巻く嵐は何一つ変わらないままで、自分の中に見つけた安息地までが、作品に描かれている。
そう。彼らは手放すかどうか迷って葛藤する自分を、Chapter1に置いて来た。RMくんの「花の咲く野原」、ジンくんの「あなたの輝きがスパークする場所」、j-hopeくんの「未来に自分が踊るダンス」、その中に、全てから自分を守る地点を見つけたのだった。
苦しんだことを覚えていようとしなくていい。手放していい。過去の中に置いて、もう見なくてもいいものになった。許されている地点。平穏を感じる場所。
逃げているのじゃない。見ない振りをしているのじゃない。全部を感じて、全部を味わった先に見つけた、「自分は最善を尽くした」。それが過去を過去の中に放す方法だ。ああ、だからこれは彼にとっての福音でもあるし、メンバー全員にとっての福音でもあり、そしてこれから、RMくんたちと同じルートを通ることになる人々にとっても、予め用意された福音になっている。ギフト。時代の中心地であまりに多く苦しんだ寵児からの。本当に、その通りでしかない。過去に起きたこと。すべては過去の中に。
すでに起きてしまったことに対して無力だった自分を、過去を変えることができない自分を、受け入れて、それを許した自分を受け入れる。
そして、もう見ない。
(そしてまた、No.2のVisualizerがとても良いのです…)
最後に、 【Closer】を超意訳してみたい。いいね!ぐっとくるね。以前RMくんのMBTIをより知ろうとして、MBTI的にはとてもロマンチックな人であるらしい(参照)。賢くてロマンチックな人が、「がんばれ俺の理性」ってなってるところを言語化しているのを見ると感動します。個人の嗜好です。
RMくんには、すっごくいい恋をして欲しいです…失恋なんてしなくていいから…だってもう何百万回もしてるだろう失恋は…。
ただ思いやって愛が深まっていく恋を。
訳し終わったら「ぐっとくる」どころじゃなくて、「ぐったりする」だったね。ご覧下さった皆さま、お疲れ様でした…。途中「ボ──ディディディディディ」で盛り上がって曖昧にされるところが、ちょっとキリンジっぽくていいと思いました。
素晴らしく良く分かる本人による解説と、素晴らしいライブ。
ふたつの重厚感ある動画にどっと打ちのめされて後…
ジンくんの、まだ見ていなかった動画を見た。ウットくんをARMYにプレゼントする企画。
なんという…ゆる番組!ゆるすぎて癒された…。
そのことでまた、なにかカチッと光るものがあった。
この方、大抵深刻にならずにゆるっといる。防弾少年団が過酷な環境に進出した頃、同じ頃ジンくんが獲得したのがユーモアではなかったか。2枚目のイメージをかなぐり捨てたのは、彼自身のためだったと思っていたけど、ストームの中重荷を背負って走る7人の中で、長男自らが、現場で、ゆるんだ空気を作って、ユーモアで息のできる隙間を作ったら、それは皆んなにとって光だったよなあ…。命綱のような。彼が柔らかい綿でみんなを包んでいたから、7人は走って来れたのかも…。
ジンくん、ゆるい、癒し系のパーソナリティじゃ本来ないと思うんだよね。でも「自分が笑えるように他人を笑わせる」ってかつて言ってたけど、誰かが笑えることで起こる空気の変化の重要性を、深く理解していたんじゃないだろうか。と思った。
彼を見ていると安心する。なぜかと言うと、そこにいる人ときちんとコミュニケーションをとっているというのが、目に見えるからだ。彼のユーモアはコミュニケーションの結果で、目の前の人のために発せられている。(ジンくん、お誕生日おめでとう〜!!)
と、いうわけで。どうしてどうしてこんなに素敵な人たちばかりなんでしょう。
わたしはやっと完全にソロ活動を心から受け入れて感謝しています。
それでは、また。