2度あることが3度あると、怪しい…。
現在、虚偽や無知とたたかって、真実を書こうとする者は、少なくとも五つの困難にうちかたねばならない。真実がいたるところでおさえつけられているにもかかわらずこれを書く勇気を、真実がいたるところでおおいかくされているにもかかわらずこれを認識する賢明さを、真実を武器として役立つようにする技術を、その手に渡った時真実がほんとうに力を発揮するような人々を選び出す判断力を、そういう人々の間に真実をひろめる策略をもたなければならない。
『今日の世界は演劇によって再現できるか ブレヒト演劇論集』千田是也:翻訳
このテキストは、「ヒットラーのドイツで配布するために、一九三四年に書かれた。これはドイツ著作家防衛同盟がパリで出していた『現代』という反ファシズム雑誌に匿名で掲載された」とある。すんごい重い…重厚感…現代においてさえ…というか現代だからこそ…。
さて。パクチーだよ!
BTSのUNのスピーチ、見ました。UNのインタビュー見ました。なんだろう、このがらんとした空間、彼らがこの場にいる意味、いることの効果を考えて気が遠くなりそうでした。が、スピーチはうるっとしたよ。ああ、いいなあ。どんな場であろうと、大統領の隣であろうと、彼ら自身でいる、落ち着いた彼ら自身の声が聴けるって、なんと頼もしく、なんと安心することだろう。
パクチーは「コロナロストジェネレーション」、まさしく、この世代の子たちが得損なったものを獲得することは可能なんだろうか…という憂慮は、ここしばらくの間ずっと感じていたことだった。でもジンくんの「見ているだけで気持ちの良いエネルギーを感じられませんか?」のひとことで、わたしは、わたしのいる世界がカチッと入れ替わった感じがした。
彼らが、自分の人生の主軸をしっかり掴んでいる若者がいるのを、それを見てエネルギーを得たことを伝えてくれて、そのどちらも、わたしに力強くある方向を照らす光を感じさせた。このスピーチの主軸はそれなのか、と思えた。
まったくその通りだ。環境問題を専攻する学生たち、それに先行する世代、彼らの中には、自然との感応の仕方が言語を超えている人たちもいる。自然、動物、植物に感応できる感受性のある人たち。経済に比重を置く人たちが彼らの言うことの方に比重を重く取ればいい話で、解決策がないのではなくて、すでに良い方法はいくつも見つけられているし、実践されている、優れた人材もいる、ただ重視されていないだけだ。
このSDGsという政治問題について(「環境こそ最大の政治問題」by養老孟司さん)、自分の専門でないことについて、彼らが何を話すのかな?と思ったけれど、「だからあまり暗く考えないでほしい」という捉え方に、彼らの、自然体で、肩の力を抜いて行こうよ、という提案に、やっぱりうるっときた。ありがとうね…。
ところで、タイトルである。
「広告?」「違うそうです」
この時のサンドイッチおよびケーキの食べ方の不自然さに、配信当時、裏事情を突き止めようとしている方たちがあった。パクチーに事実を検証する気はないのだけど、ここでわたし達が知るのは、彼らの周りには、スポンサー提供の品がそうでないものと混在してあって、時に彼らには宣伝義務があるということである。
前述のVLIVE以前に収録されたと思われる「Run BTS!」のホカンス回では、ものごっつ唐突な、あからさまな、コスメ用品の商品宣伝がジンくんの主導で行われた。このやりすぎ、不自然さによって、「これは宣伝だよ」ということをわたしたちに明らかにしてくれている、これはジンくんの誠実さだ…と、パクチーはうっとりする。
十分な宣伝機能、スポンサー会社への配慮と、スポンサー側からはそうであって欲しくないであろうが「これは宣伝だよ〜」と分からせ、ステマにしない誠実さの、天才的かつ微妙なバランス感覚による、BTSのマンパワーによって成立している広告なんじゃないかと思う。
これら視聴者からすると、2度印象付けられた「広告」(不自然な)。
そして今回。
この「ワクチン接種」に、奇妙な唐突感を感じた人は、どうやらパクチーだけではなさそうだ。
国連に出席する外国の首脳が、事前にワクチンを接種したかどうかでニュースになるところ見ると、彼らがここに立つためには接種済みであることが条件だった可能性があると想像することが出来る。そしてSDGsと直接関係のなさそうな「ワクチン接種」についての話題を彼らが口にするのを、「スポンサー」「提供」「宣伝義務」で考えると、これが事前に2度予告された3度目の広告なのではないか、もしそうであるなら、その事情は割合あっさり納得することができる。「チケット」=交換条件。彼らが語れるここがギリギリのラインだったか。パクチーの妄想です。
パクチー家は、旦那くんの前職が薬のマーケティングだったこともあり、お医者が薬を処方する時、それが症状に合っているからという理由とは別に、営業がそれをお医者に売ったからであるのを知っている。自分に病院で薬が処方された場合、それが強そうな薬であれば、飲む前にエビデンスを探し出して、読む。薬には必ず副作用がある。その出現率と症状を詳しくレポートしたものがエビデンスだ。だからワクチンに関して、それがどういうものであるか知るために副反応を調べるのは、我が家にとっては普通のことだった。
ワクチンについて、「打つかどうかは、副反応を調べてからの方がいいんじゃない?」という提案をすると、「検索しても見つからなかった」と、言われた方は言う。そこで検索エンジンに何を使っているか聞くと、Yahooだったりする。それは見つけられないかも…。そこからか…。
わたしは実は、ずっと、とても、怒っている。これを書くために30分ピアノを弾いて心を落ち着けなくてはならなかったくらいに。普通の人が普通に検索して副反応、もっと重要である副作用が見つけられない仕組みを、ひどく罪深いことだと思う。しかしそれがグローバル企業のマーケティングの力で、ものすごーーく頭のいい人たちが、とてつもない巨額をぶっこんで作っているキャンペーンとプロモーションに、一般の人が太刀打ちできないのは、正直、至極、仕方がないことなのは、わたしは、それも、とても、実は良く分かっている。
テテちゃん(V)が言う通り、「その時までみんな肯定的なエネルギーで日常を満たしていければいいと思います」、わたしは、誰がするどんな選択であれ、99%以上の人がポジティブなことを理由にそれを選択したのだと信じたい、だからその人が望んだ通りのことが起きるだろうと信じる、肯定的な気持ちで信じる自分でいたい。楽天的だと感じる人もいるかもしれないが、どんな選択をしても、人体はこの困難を解決できるくらいに進化するだろうと、根拠なく思っている。ああ…。でも。終わってしまった命には、どんな医学の進歩も肉体の進化も意味がないのにな…。
しかしこのことについて、怒りを持ったり悲しむのはもう止めることにする。わたしが他人を幸せに変えることはできない。
ものを書く人間が、真実をおさえつけない、真実に口をつぐまない、真実でないことは決して書かないという意味で真実を書くべきだというのは、当たりまえののことのように思える。ものをかく人間は、強い者に屈服すべきではない、弱いものをだますべきではない。もちろん強い者に屈服しないのはたいへんむずかしい。弱い者をだますのはおおいに得になる。持てる者のきげんを損じるのは、持つのをあきらめることを意味する。やった仕事に対する支払いを思い切るのは、場合によっては仕事そのものを思いきることを意味する。力を持った人々の間での栄誉を拒むのは、しばしば栄誉そのものを拒むことになる。これには勇気がいる。(略)
迫害者は悪人だからこそ迫害するのだ、迫害をうけた自分たちは、善良だからこそ迫害されたのだと考えている。だがこの善良さはぶんなぐられ、打ち負かされ、じゃまされた。つまりそれは弱い善良さ、悪い長持ちのせぬ頼りにならない善良さだったのだ。(略)
善良な者が負けたのは、その善良さのためではなく、その弱さのためだ、だがこれをいうのにも勇気がいる。
『今日の世界は演劇によって再現できるか ブレヒト演劇論集』
UNの「Permission to Dance」、念願のフラッシュモブ、マスクも外しての達成で、よかったね。ここにお借りしたTwitterの写真も、すごくいい写真。きれいに晴れた美しいお天気でした。わたしはこの写真から、やっぱりふつふつと希望を感じる。
彼らは不自由だろうか。大統領特使に任命され、発言も、音楽的にも不自由になってしまっただろうか。ひとりの人として、表現者として、攻撃的だったりアンチズムがあったり、非社会的な要素を持つことは許されないのだろうか。もう小綺麗で大人しく、行儀の良い優等生に収まっていないといけないのだろうか。
わたしは、今回の彼らのスピーチの仕方に、あるいはインタビューの答え方に、あるインスピレーションを得た。
あ、そっか。彼らがストローのように、若者の意見を、そうでない世代に通す、拾い上げて、整えて、拡声器で遠くまで知らせ、広める。「・・・と彼ら若者たちが言った」、それで彼らが獲得してきた感性を生かしてどんな表現も可能だし、「だから大人たちよ、希望を持ってください/希望を捨てないでください」と、これから先も拡大するであろう認知でまとめた時、それは彼らにしかできない彼らの作品になる。
今ミレニアム世代は、アナログとデジタル世代の間で、社会に攻め入っていると思うのですが、僕が選択したのはBTSだったんです。だから僕をこの世代の中に溶け込ませようとしていますし、自分と同世代の人たちはどんなことを考えているのか、悩んで熱心に働いて、彼らに迷惑をかけない範囲で、この悩みを曲に盛り込もうと思っています。
RM「BTS 『BE』 カムバック・インタビュー」 2020.11.28
#YouthToday はこのRMの1年越しの思いに回帰する感もあり、『防弾少年団』の名前の意味である、若者にとって、盾になり、矛にもなろう、それがより機能する位置に立てるなら立とう、それが外交官パスポートを手にした意図だったのかなあ、などと思ったりした。パスポートすらも「私たちは、今できることをしている最中です」の一部に含まれるのだろう。
彼らの立ち位置のあまりの高さに慄くけれど、立ってる高さはあまり関係ないのかもしれない、いつでも自分が何をするべきか、その中で何をしたいか、答えは立っている高さの外側にではなく、自分の内側にあることは、どんな立場にいても変わらないから。自分の認知を広げるには、立っている高さにかかわらず、こつこつと自分が広げなければならないし、自分が何をされて喜ぶか、これって、どの高さにいてもきっとそんなに大きく変わることではないから。
彼らの、彼ら自身でいてくれる普通さの有り難みに、そんなことを感じました。
もしも、これがほんとーーーーに、パクチーが疑っている「ステマ」なんだったら、そのうちジンくんあたりが「ステマだよ〜」と、ぽろっと言ってくれるんじゃないかと、期待している。
※ UNスピーチ日本語訳のスクショはこちらからお借りしました。