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SUGAくんの居る場所

あ、あ、あ、RMくんのドキュメンタリーだって…!?

トレイラーが公開されて、それを見てたら、そこで構成された映像だけで何だか胸がいっぱいで、

そして、

ふと、全然一方的な感覚なんだけど、「新しいSUGAくんを受け入れる余地が、RMくんにも、BTSにも十分あるな…」という気持ちになった。

8月、SUGAくんの行動が法律を犯した。

「そうか〜…。そういうことはあるよなぁ…」。

そのくらいのことでは、しかし、人生は全く力強く容赦無く続いていく。どれだけの人が背を向けようと、それでも続いていく現実の自分を、受容し、人を失望させた自分を愛し、幸せに生きることを自分に許可しなくてはならない。

わたしは、この件を引きで見た時に、「彼のこの経験は、どんな意味があるかな?」と考えた。そして、「そうか…彼は本当に、深くて重いものを引き受けるのだな…」と思った。人々が望む、人々が肯定する、一般的な生き方がある。そのレールを自分が外れてみて、初めて、社会の半分は、レールを外れた人で構成されていることを知る。そうなって初めて、そこにいる人と目が合う。同じ目線で話が出来る。BTSはずっと、痛みを抱えた人の味方だった、特にSUGAくんは深い痛みに寄り添う人だった。ここでさらに、「レールを外れた人たち」が、彼の範囲になるのか…。

わたしは、前回のnoteで「脱皮」ということを書いた。

「罪を犯していないSUGAくん」

は、今の現実のSUGAくんからは、永遠に失われてしまった。彼は新しい状態になってしまった。脱皮した殻の部分、「罪を犯していない彼」は、永遠に捨てなくてはならない。殻になった部分、を、すっぱり、諦める。これが、辛いし、苦しい。執着したい。未練も起こる。でも、殻は捨てなければならない。もしもSUGAくんが生きている現実を一緒に生きようと思うなら。

そして、もしSUGAくんが、今の「罪を負った自分」を引き受けて、能動的に肯定して生きようとするのなら。

例えば、社会の中で、前科のある人々、彼らは必ずわたし達の社会で一部を構成しているわけだが、咎を負う人、バッシングを受けて生きる人、そういう人々のフィールドに彼が立って、その人たちが生きることを肯定し、寄り添う人に、彼はなれるのかもしれないと思った。

HYBEは若い会社だ。所属タレントの中で、SUGAくんが初めて社会服務要員となった。これから兵役に就くアイドル達が、社内にたーーーーくさんいる状態で、彼の経験は、後輩達にネガティブな未来が起きるかもしれないことを、回避させることに繋がるかもしれない。軍隊での兵役はおそらく国が、健康や精神の状態を管理するだろう。一方、所属タレントが社会服務要員である場合、アイドルの、現役時代と全く反転するような生活や精神状態の、そのケアを、会社はどの程度、どのようにするのか…。それを「考える必要がある」ということを明らかにしたのが、今回だったんではないかなあ。SUGAくん自身がもし後輩達のためにそれを考えるなら、彼の考えは必ず有益であるはずだし、中心に生かされるべきものだと思うし、もしかしたら彼自身が、方針を立てることに、「積極的に関わりたい」と思うことだって、あるかもしれない。

この件は、SUGAくんが起こさなくても、別の誰かが起こしたかもしれなかった。

それでも、それがSUGAくんだったことの意味…彼が、その重さに「耐えられる人」で、この経験を「転換できる人」であるから、だったとしたら、

「そうか…彼は本当に、深くて重いものを引き受けるのだな…」

と、思わざるを得なくて、しゅんとした。それは長い道のりだし、重くて暗くて、そう、だから、誰にでもは出来ない。

丁度、たまたまカーオーディオで聴いていたBTSの曲中で、RMくんが言った。

君の傷は僕の傷
But 너의 상처는 나의 상처

BTS【Boy with Luv】

SUGAくんの今負っている傷を、自分の負ったもののように傷ついているのは、メンバー達なんだろう。そんな時にSUGAくんのそばに、ただいてあげることが出来ないなんて、どれだけ心配で、どれだけ辛いだろうか。家族と同等なのに。そのことだけをとって、兵役というシステムは、なんと理不尽なんだろう…と悲しくなった。

RMくんが言っていた、トレイラーの中の言葉。

ただもっと素直になりたいです
ありのままの僕を見せたいんです

今、最年長のジンくんは、たったひとり活動できる唯一のBTSメンバーとして、「BTS」がアクティブ状態であるように、精力的に活動している。わたしは彼が兵役に就く前、「彼は軍隊で等身大の友達をたくさん作りそうだなあ」という気がした。それは彼を癒すんじゃないかと思った。なぜなら、ジンくんは自分の内側に持っている輝きを差し出して、他人と触れ合おうとすることが出来る人であるのに、彼らの世界は長い間、いつも何重にも囲まれたSPの内側と、SP越しに垣間見る触れられない景色、で、全てだったからだ。ジンくんは他のタレントさんに、「ワールドワイドハンサムですから」と言って近づく。そして、相手のパーソナルエリアに入ったのを確認すると、千利休の発明した茶室よろしく、さっと権威を脱ぐ。「グローバルスター」の冠は、あくまで自分が請け負った役割で、自分の本質ではないと見定めている。冠が必要なシーンで、彼は礼節を持って役柄を全うし、その必要がないシーンで、彼は礼節を持って、権威を脱ぎ、目の前の人と対等になる。その在り方はまさに「ただもっと素直になりたいんです」「ありのままの僕を見せたいんです」という言葉に近しく、そういう誠意と、そうであることへの挑戦と、着実に実現度が増して行ってるのが見えるので、だからこれは「BTSのありたい形なんだな」、と、わたしには思われた。等身大であること。対等であること。

SUGAくんは、望ましくない形で、彼の、素直なありのままの一部を開示してしまった訳だが、望ましくない、でも、とはいえやっぱり、あれは今現在の彼の、ありのままの姿のひとつで、素直な側面だった。わたし達と地続きな。対等な。「一つの失敗も許されない人」が、この世に存在するだろうか。いんや。そういう存在はいないのよ。なぜなら、この物質世界は、全ての人に失敗することを、どれだけでも経験出来るように設計してあるので。彼は、自分の人生において失敗を味わうことが出来る。失敗から学ぶことを味わうことが出来る。肉体だけに許されたその特性こそ、わたし達が肉体を持つ意味で、今、わたし達の身体が生きて、生命活動を続けていることの目的だ。今自分に起きていること、自分が起こしたこと、を、味わうこと。

ところで。

わたしは最近、知人に対して、多数の人数のいる前で激昂する、ということがあった。激昂して…と言っても、「無いわー!」と言ってしまっただけなんだけど、怒りで、手がわなわなして、ばーんと突き上げた衝動で、精査する間もなく、口から言葉を発していた。そして、その後4日間、具合が悪かった。

帰宅した後、改めて自分のホロスコープを鑑みた。わたしのホロスコープでは、魔女3姉妹が土星と素敵な正方形を作ってるんですよ…。怖っ!!蟹座のキルケ、牡羊座のエリス、山羊座のダーク・ムーン・リリス…。この四角の意味を…わたしはあんまり良く分かってないんだけど…この人たちが結託したらすごく「怖そう…!」って感じがある。そして、双子座のトーン、水瓶座のエコーがやはり土星と正三角形を作っている。わたしは、本当に、言霊の力に気をつけなくてはならない。本当に、言霊の力に気をつけなくてはならない…!以前から根拠なく、わたしは自分に対してそう思い続けて来た。わたしが人前で歌うと、シーンと静まり返って、まるで何かを降霊する儀式のようになる。あの日、わたしは、他所の奥さんに、心から、「お前…ここから、去れ…!」という強いイメージを持って、発音してしまった。そう…だから、言霊の黒魔術を、使ってしまったのだった。突如湧いたコントロール出来ない怒りによって。自分の発したネガティブが、同じ分量で、わたし自身のポジティビティを、ぐじぐじと喰んでいるのが良く分かった。苦しくて、気持ち悪くて、家族にも子供にも、優しくすることすら出来ない…冥府の力。だが、どうしてわたしに突発的な怒りが湧いたのか、自分で理由が分からない。分からないままだったらまた同じことをしてしまう。わたしは家族に優しく出来ない黒魔術の反作用を、もう2度と受け取りたくない。

「これは、幼少期のトラウマに関係しているのかもしれない」。後から色々考えたり読んだりしているうちに、そう思い当たった。ことばに出来ない大切なもの。その良さや必要を説明出来ない時、それは大人の理屈や合理性の前に、結局は潰されてしまうんだ、説明出来ない素晴らしさは、都会的な合理性や資本主義の理屈の前で、価値のないものとして、無価値なものだとして、消されてしまうんだ。止められない。勝てない。わたしは守れない。悔しくて、苦しくて、辛くて、悲しくて、仁王立ちにになって、全身できゃんきゃん吠えている。それがあの場のあの時のわたしだった。それだけがわたしが取れる手段の全てだった。感情的に、一生懸命毛を逆立てて。わたしは、本当は大切にしたかったものを、親の庇護と愛情を受け取ることと引き換えにして、守ることが出来なかった、それと相似形の現象を再現する人が目の前に現れると、瞬間的に、大切なものを捨てさせられる苦痛がフラッシュバックして、くらくらしたまま、「止めて!」「こっちに来ないで!」、と、わたしは全力で逆毛を立てる。トラウマのポイント。説明出来ないから。無力だから。守れない。潰されてしまう。怒りで相手を遠ざけようとすることしか出来ない。冥府の力まで使って。

それが、怒りの正体だった。

都会から来た移住者が、島の古い暮らしについて、「本当に必要ですか?」「何の意味があるんですか?」「無くした方がいいんじゃないですか?」と言う。説明できない良さに溢れているそれを、その価値を、仮にことばに出来ても、共感してもらえるとは限らない。共感出来る感受性が無かったとして、それは、相手のせいではないのだよ…。わたしは親の庇護と引き換えに、何を擦り潰してしまったんだっけ?そんなに怒ってまで、守りたかったものは何?考えようとすると、考えるより先に怒りが湧いてしまうので、わたしは、怒りの炎を、遠くに退けようとした。そうっとそうっと押しのけると、地面の焦げ跡に、干からびた、焦げた枯れ枝みたいなものが落ちていた。それは子供の頃以来、そこにそうして落ちていた。うっすら人の形のようにも見える。わたしは、怒りの炎の内側に耐火煉瓦を高く積み上げて、ぐるっと一周取り囲んで、大きな、広い芝生の、円形の園庭を確保した。かつて読んだ神話に、メソポタミアの女神イシュタルが、冥界に囚われて腐敗した身体を、生命の水によって復活させた話があったのを思い出した。芝生の園庭に、中央が盛り上がって、泉が湧いた。わたしは、湧き水に拾った枯れ枝を浸した。それは、みるみる膨らんで、ぷるぷるの肌色のグミみたいな、小さな、かわいい、半透明の土偶になった。土偶は、空中に浮いて、楽しそうに、嬉しそうに、揺れたり回転したりした。この土偶が──わたしの純真で、わたしの守りたかったもの──…、らしい。

一方で。「クラッシャー」という人のタイプを知った。

自分がコミット出来ない内容で人々が楽しそうにしていると、ただ、壊したくなる、そういう気質が前面に出てしまう人。自分が中心に入れない場で、楽しそうにする人々を見ていると、ただただ面白くない人。「クラッシャー」は、さまざまな理由をつけて、徒党などを作り、その場が壊れるような工作をする。彼らが「この場は無くすべきだ」と言う時、あくまで客観的で、正当性がありそうで、正義に依って、公平で、論理的な内容であるように、聞こえる。でも「客観じゃなくて、あなた自身はどう思うんですか?」と聞くと、答えられない。その人自身の中に本質的なものは無い。わたしの母はクラッシャーだったのだ。そう思ったら、すっと色々腑に落ちた。さまざまなもっともらしい彼女の話に、本質はなかった、んだよなあ。彼女の思惑と違ったところで、わたしが、楽しみ、充実していると、取り上げ、止めさせた。それは「わたしのため」であり「将来のため」で、「その方が良い」「みんなそうしている」と彼女は言った。面白くなかったのだ。童話『眠り姫』の13番目の魔女は、自分が呼ばれなかったパーティーで、生まれたばかりの王女に呪いをかけた。呪いの内容に本質はない。ただ、自分がコミット出来ない会の、幸せに充実している人々の気持ちを、台無しにぶち壊すことがしたかったのだ。

SUGAくんを誹謗中傷する人は、盛大な黒魔術と言霊の力を行使して、暗黒パワーを発動させている…その暗黒パワーは、強烈に、自分を苛むのだよ…。「怒りによって、あなたは、自分の中の、何を守ろうとしているのですか?」。法を犯したSUGAくんを生理的に受け入れ難いと感じる人の中には、幼少期の生存に関わるトラウマに、この件が抵触している、そういう深いところに根本の理由が、あったりするかもしれない。「怒り」は出来事に対する反応で、怒る理由は何か?そこまでアクセスできれば、暗黒パワーの反作用にやがて自分が苦しむことにならなくて、済む。これは、まあ、100%パクチーの実体験に基づく老婆心でしかないんですけど…。「SUGAくんが脱退すれば良い」と考える人は、SUGAくんがBTSのメンバーであり続けることを歓迎するには、新しい感受性が必要になる人なのだろう。ファン達がSUGAくんがメンバーでいることを歓迎し、メンバー達がSUGAくんを変わらず迎え入れ、和気藹々と楽しくファンダムと活動が続いていくなら、新しい価値観を持ちようのなかった人は、そこに入ることが出来ない。自分のいない場で人々が幸せそうにしているのを、楽しい気持ちで見ていられない。

だったら壊せばいい。自分と同じ下層に落とす。高い視点の価値観や幸福感を持つ人が、その幸福の場を失うところから、自分のエネルギーを得る。自分の味わえない幸福を享受する人を目の前にして、受容する余裕がない…。そんな、ギリギリの負荷がかかる日々を、精一杯、懸命に、生きている人たち。

わたしは、今住んでいる島の暮らしに安心している。島に戻ってくるとほっとして、家にいる時間をリラックスして過ごしている。島には、集落の人たちが熱心に関わるお祭りがある。皆で負担を持ち回って、暮らしの中で一番優先順位が高く、約1ヶ月間かけて準備をする。仕事も休んで、肉体的な負担も多く、「それってどうしてもしなければならない意味があるんですか?」と問われたら、誰にも答えられない。神様のいる理由なんて、神事の意味なんて、その真実を答えられる人なんて、いない。だけど、「神様」という目に見えない抽象的なもののために、人々が最善を尽くせる、協力し合える、それって、人間にしか出来ない、非常に高度なことなんではないか?島のPTAでは、東京で見たことも聞いたこともない役回りがたくさんある。だけど、人々は率先して、能動的に、精力的に、合理的に、力を合わせ、「子供のためだからね」と言う。島の人たちは誰も手を抜いたりしない。「子供の未来」という目に見えないものの価値を、人々が共有して、共感して、協力し合える。これって、集団として非常に成熟しているのでは?その「最上」に置かれているものの価値に、自分がリスペクトを持ち続ける限り、わたしはこのコミュニティの中で、助け合う和に入ることが出来る。わたしの安心の根拠には、「人は助け合うことが出来る」という実感があるかもしれない。東京に住んでいた頃、ついぞ持ったことの無かった感覚。

島にある古くからの習慣、文化、伝統、自治の仕組み、カルチャーが、そこで育つ人をそのように育てた。今も生きている。わたしは東京に育って、競争することを一生懸命学んで、でも、自分の力で持てるどんなものも、常に人より足りない気持ちでしかいなかった。もしかして、本当に豊かなものって、人と分かち合ったものの中にあるのかもしれない。島の生活は、確かに都会と比べて、モノも少ない。サービスも少ないし、情報も少ない。なのに足りなく感じないのは、「分ければ足りる」ことが分かっているからじゃないか。今、わたしは生きることに安心している。目の前の「あなた」と「あなた」が、力を合わせられるということを知っている。それは、人と人が作り出せる、最も基本の、ベーシックの、セーフティネットなんだよ。そこには政治も仕組みも法律も、何もかも関わらない。

BTSのメンバー達が、立場も超えて、役職も超えて、「BTS」という仕事も超えて、もし、互いが、互いにとって、安心を分け合える最終的なセーフティネットであると思っているなら。何があったとしても助ける。そのために力を合わせることが出来る。それはどんな仕組みにも制度にも依らない、地上で最も根源的な、「安心」で「受容」なんだよね。人と人がそれを作れる。人と人の間に地上のエデンがある。わたしは、長い時間をかけて、それを互いの中に見つけて来た人たちなんじゃないかと、BTSについて思っている。

だから、

BTS以外の現実がどうあろうとも、BTSの内側が、互いを受容し続けるエデンが、どれだけ強い楽園になっていくのか、「見たい!」「見ていたい!」と思ってしまう。SUGAくんの新しい状態は、BTSが内側に持つ楽園を、もっとより本質的な場にする。そこが、SUGAくんの居場所で、他のメンバー達の居場所で、

それが、わたしが、「BTS」を見て、彼らに対して持ち続けて来たイメージなんだ。




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