見出し画像

BTS Jin 【I'll Be There】う〜ん、ハッピ〜だわあ〜〜〜〜!

わっしょい、わっしょい
ジンくん
おかえりなさい!!

まず初めに音源だけを聴いて。

「ドラム教えて」と言ったらまず一番最初に教わるパターン。むちゃくちゃベタなロックンロールのベース。そこに、ピッチをぴたっと硬質に合わせてくる、ジンくんのパワーのこもった声…。

わははははは
な、なんだこれ、

た、たのしい……………!!!!


思わず笑ってしまった。その瞬間のわたしは、間違いなくハッピーだったろう。…ああ!良く分かるよジンくん、君の共有したい感情が!君がライブで歌って、会場が、楽しくて、笑って、元気が出て、飛び跳ねちゃう、そんな瞬間を、君が、本当に真から欲していたのが分かるよ…!!

いいんだよ。
楽しくて。

と言いたくて、そのために全部を削ぎ落としたかのような。

むちゃくちゃシンプルにコンセプトを持って、実に美しいピッチで、均一な腹圧で歌う。…上手いんだっつうの…。ロックンロールの曲調で、歌のこの上手さが、ミスマッチで面白いんだよ…。

ありとあらゆる「え?!」を、狙って、

ぎゅっと実力でねじ伏せるジンくん。

いいんだよ。
楽しくて。

MVは、びっくりするほど綺麗な青年がそこにいた。

集まった人々が、ジンくんのライブを楽しんで、そこにアジア人がいなさそうに見えることに、色々感じることがあった。

そして場面は、同じ場所なのに、誰一人いない、マイクもない、ジンくんが一人。

わたし、この美しさになんだかすごく感動してしまって。

泣けてきた…。

この人の内側にあるもの、が、なんて豊かさだ…。

そう…。この人が持っている内面の豊かさは、周囲の環境に関わらないんだよな〜…。周りに人がいようといまいと、彼は、シンプルで、美しいエネルギーを、爆発しそうなくらいに溢れて持っている。

彼を取り囲む環境が、どんなに物質的に豊かで、手が込んで、洗練されていたとしても、すごい数のファンが彼に情熱を傾けたとしても、それと等価かそれ以上のエネルギーを、彼は自分の内側の宇宙に持っているんだ…。

彼、がひとりいるだけで。
彼、が持っている世界が。
シンプルな光に満ち満ちているので。

もう…、最後のジャンプが、美しすぎて…。

余分な感情が、全部すっと削ぎ落とされてて。

前半の、人々に囲まれた明るいライブが、まるで想像の中の出来事で、無かったことみたいで。夢のだったのかも。実際には何も無かったのかも。でもどちらでも関係ない。どっちだったとしても、彼の発する豊かさは微塵も揺らがないし、この世界を満たしている。

彼の今生きる世界が、まるで夢のようだとしても、
今も、
未来に肉体を離れても、
彼の内側の豊かさとエネルギーは、いつも変わらずずっと世界で輝き続けている。

彼は…。

そういう、今彼が自分の内側にもってる光を、溢れる光を、パワフルに循環させて放射するような光を、人々に向かってひらく…。

シンプルにそれを繰り返し、これからも繰り返し続けることを、自分の役目として定めたんだね。きっと。

以前noteに書いたことがあるんだけれど、わたしは、イベントなんかでライブで歌うと、不思議と「降霊会…?」みたいな、しーんとした、何かを召喚しているような、やや緊張を与える雰囲気になる。ジンくんがシリアスな楽曲で、会場がしーんと聴き入るのを、「そうじゃなくて、エネルギーを弾けさせたい」と思う気持ちが、良〜〜〜〜く分かる。「俺が楽しくなりたい」。解放して、発散して、シェイクして、笑って、笑って、笑って、…分かる…。あっ、ごめん!だめ!暴力はんたい!

ジンくんのライブに集まる人々に、アジア人がいない風なのが、「韓国が、どれだけ全世界に影響を与えたか」ということを考えさせた。

BTSが10年。

すごく変わったんじゃなかろうか、実際…。

もちろんBTSだけじゃなく、他のK-POPアーティストや、Kドラマなど、韓国のメディア作品全体が世界に影響を与えて、変わった。アジア人の地位を世界のあちこちで押し上げたんだなあ…と。アジア系人種が欧米で、見た目そのものや、文化的なこと、食べ物、習慣に、「かっこいい」という反応を得る機会が現れた。また、アメリカで「おしゃれ」の「お」の字のない男子達が、ちょっとおしゃれ心を持ち始めた。それまでおしゃれに気を使う男子は「ゲイなんじゃないか」と違和感を与える対象だったらしい。

地球の反対側で、ジェンダーの既成概念に少しヒビを入れ、アジアのイメージを、ラディカルで洗練されたように、うっすらと少しずつ、上書きし続けた。

東南アジアはKドラマの浸透率が全世代で非常に高いんだそう。…実際、アジア内のユニティって、全然高くないと思うんですよ。日本のアジア侵略があったこともそうだし、東南アジアに対するアメリカの統治、フランスの統治で、心情的に「異国」。いくつかの共通項がある一方で、「文化的にも価値観も宗教観も全然違う」という、分断を感じてしまう…しかしKカルチャーがハブに入ることで、アジア人が、アジア人に対して親近感や、同じ「アジア」の親和性を持てる可能性がある…。すごい…不思議…。不思議だけど、すごい未来線…。

だけど、彼ら自身も関わった世界に対するそういう「結果」を、「成果」を、どう扱ってるかと言えば、執着していないみたいで。過去の情報群と、目に見えない期待と権威が自分を取り巻くのを、どう扱うのが適切か。執着せず、まるで「一炊の夢」みたいに。きらきらした希望とか、楽しいわくわくするものとか、まるで、ただただそれは自分の栄養分で、自分がこれから歩きたい方向へ歩くのを、押し出すエネルギーのように扱ってる。

と、そのように見えるMVだった。

最近たまたま読み返した自分のnoteで、

彼らは、個人のトラウマを、手放そうとしていたじゃないか。兵役に就く前の限られた時間で、超絶に、全身で、個人が抱えるトラウマを解消しようとしていた、ソロの作品を作る事を通して。あれを作る過程は、膿を抉って、炙り出して、長期に渡って乾かすような、ひたすらえげつないプロセスが一部含まれていた…。その癒しの苦痛はなぜ必要だったか。それは、彼らが、未来で集まる新しいBTSの中に、同じトラウマを持ち込まない、ということを決意したからじゃないだろうか。

10年の活動の間、過酷さに耐えられるように精神を歪め、歪んだ精神は心を傷つける。彼らは兵役で一時的にファンの前から去らなくてはならない。そのタイミングが来る前に、10年分の歪みを、正して、心を救って…こういう風に心を撓めるやり方は、もうこの10年で終ろう、自分たちの「青春」の中に、この痛みと傷を置いて、20代を閉じよう、再び集まった時、新しいBTSが、新しい物語を、希望と共に始められるように。そういう、「もう不要だ」と判断した苦悩のメカニズムを、すっかり捨てる覚悟で取り組まれた、それぞれのソロはそういうプロジェクトになっていたんじゃないか、結果的に。

兵役を終えたバージョンのBTSには、成長と共に負ってきた、見えない様々な傷を、「持ち込まない」し、「同じような傷つきかたをしない」という覚悟を、人知れず彼らは持っているんじゃないか、という風にわたしは思っていた。

その決意や、意思表明みたいなものが、ジンくんのこの曲の中にあるように感じた。

否定しない。
けど、新しい気持ち。
新しく作り上げる気持ち。
変わらない「彼」という人の形に、
何もかも新しいものが入ってるみたいに。

それにしても…。

ジンくんのぴち!っと揺らがない発声の気持ち良さ!ちょうど彼にとって出しやすそうな音域で、きれ〜〜にミックスボイス(裏声と地声を混ぜる)もコントロールされてある。一体、いつそんな時間が、いつボーカルトレーニングをする時間があったんだ…。準備期間、短すぎやしないかい。軍隊で良く使ったことで鍛えられたのか分からんが、中音域の表声の力強さよ…!痺れる。

見事に、Vくんと正反対みたいな音程の取り方なのね。面白い。Vくんはふわっとしてるやん。そう思って、思わず他のボーカルラインのライブクリップを見直してしまった。ほんと、まじ、全然タイプ違うの…。すげ〜チームだなあ〜〜〜。一緒になったら、どうなっちゃうんだ?

「どうなっちゃうんだ?」と思った時、それを解決するのは「調和」だと思いました。j-hopeくんが帰ってきて、ふたりの間に「調和」を見た。そして、「調和」こそ、まさに丁度、わたしがここのところずっとテーマに持って考えてきたことで。

真ん中に、共有する価値のある空間を保って、みんなが中心を向いて敬意を払って尊重出来たら。

ひとりひとりが伸び伸びとしたまま、非常に力強く恒久的に続いていける。

それが「調和」で「和」だ。

もちろん、「BTS」はこれまでもずっと、彼らの和の中心に、でっかい価値のある見えないものを、きちんと共有して持っている。それは簡単に言葉に出来るようなことではない、「ARMY」よりもっと抽象的な何か…。

2seokの調和

それが見えてくることと、わたし自身の成長は、比例しているような気がしますからね。彼らをずっと見ていたいという気持ちは、そこから来ているような気がします。

まだまだアルバムは始まったばかり!


それでは、また!!




いいなと思ったら応援しよう!