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BTS RM【Come back to me】、おかえり、懐かしい俺

曲のタイトルが「Come back to me」であると知った時、「何を意味しているんだろう?」と思った。そして、考えて、最初に思い当たったのは、「戻ってきたんだ、RMくんのところに!」。あの、2022年の防弾会食の。彼があの時見失っていたRMくんが。

だから、これは、まるで、返答なのかなあ。と思って。

大丈夫だって
今夜はいい子にしてる
いつも胸の中にある
春の眼差しに包まれて眠ろう
おかえり
懐かしいな、昔みたいで
それで、そのままでいいんだ君は
僕が月へ連れていくんだから

I told you I'm fine tonight
staying good
Spring always been here
I will sleep in her eyes
Come back to me
Like you used to do
Be what you be
I will roll to moon

誤意訳:パクチー

2022年の防弾会食で、RMくんが語る罪の意識について。与えられた社会的な役割の、その役目の重さに対して、彼は自分の成長が見合っていないと感じていた。そして、しかし、成長するための時間の猶予が欲しいと考えるのは、ファンに対して不義理であるとも考えていた。

この会食で、彼はマルチバースの話もしている。アイドルになっていないバージョンの世界がどこかにある。MVのストーリーは、しっかりとマルチバース的だ。

なので、この作品は、まるであの防弾会食の、「その後」のアンサーなのかしらん、と。

一体どれだけ時間が過ぎたろう
知りたくもない
そういえばシャワーを浴びてなかったな
顔を洗うのも惜しいくらいで
そんな風でいる必要ない
君は分かってる、その分かってるものになる必要はない
気をつけてるよ
この海の中で決められた何者かにならないように
おかえり
懐かしいよ
今はよく分かる
人生の意味が何か


I forgot the hour
I don't wanna know bout the hour
I forgot to shower
세수할 시간도 아까워
You don't have to be
You don't have to be the anything you see
Tryin' not to be
Tryin’ not to be that something in this sea
Come back to me
like you used to
Now I could see
what a life is about

RMくんの人生の意味は、「自分が世界にどんな話を伝えられるか」(2022年防弾会食より)。彼の人生の意味が全部、その言葉だけで説明ができると思わないが、あの時、あの当時、彼の気力が失われてしまったのは、自分の中から伝えたいものが無くなってしまったのに、世間は、彼にかつてないほどの賞賛を与え、かつてないほどの社会的責任を与え、かつてないほど彼を求めていながら、彼しか語れない話を、求めなかったからだ。

期待される役割を演じ続けることは、彼のアイデンティティを空虚にさせた。彼は、自分がからっぽで、役割を演じるだけの作詞マシーンであっても、何も問題が起きないことに、ただ、傷ついているように見えた。見失った自分を取り戻せないままBTSを続けることは、幸福の根幹に関わると、彼は自分で知っていた。

RMくんを長く見ている人は、彼がそこそこ鬱っぽく、常人よりはるかに頭の回転の鋭い人でありながら、自己肯定感が低めであることを知っている。だからこそ、自分で、自分の見難い部分を見つめ、苦しみながらも長い時間をかけて、ポジティブなエネルギーへ変換してきたのを、感動しながら見てきたわけですが、

やっほう
おかえり
やっほう
おかえり
僕の神聖なる痛み
僕の神聖なる痛み
僕の、神聖な、神聖な、神聖な、
ああ最高だ、
帰ってきた


Ooh ooh ooh ooh- ooh
I see you come back to me
Ooh ooh ooh ooh- ooh
I see you come back to me
You are my pain, divine, divine
You are my pain, divine, divine
Get get get to the
Divine, divine, so fine
I see you come back to me

そう。彼にとって、ただ「痛い」ことは、屁でもないのだ!!彼にとって「痛み」とは、本質に目を向ける、皆が見たくないものの在処を教える、彼が、本当に理解して、社会に伝えるべきことを、自分の中から探させるための、神聖な、シグナルなのだ。ああ、これが、自分の、今世の命の意味だ。痛みを味わうこと。そして、それを通じて分かる、すべての人の痛み、幸福になること、幸福になることの価値、その本質。自分が気づいたそれを、伝えること。

初期の作風から分かる彼が社会を見つめる目は、決して甘くないし、恐れていない。辛辣だし、妥協してない。それは、彼が、彼自身、自分の言葉に「本質がある」と、本気で信用していたからだろう。痛みが、今社会に足りないものを、今わたし達が気づくべきものについて、RMくんに教えている。わたしは、その、甘くもない、辛辣で、妥協しないRMくんが、帰ってきたのかな…という風に考えた。これからのRMくんが社会的な強いメッセージを作中で発するか?といったら、それはそうではないかも知れない。でも、「ここに自分の本質がある」、という存在意義を、見失ってるか、掴んでいるかは、精神的に全く違う。

行動の動機、その思念の生まれる根底のところが変わってくる。

ところで。

わたしはマルチバース論について、何一つ精通していないんですが、この世界にパラレルが存在しているというのは理解していると思う。「もしこうだったら」の思考が現実を分岐させ、実際わたしたちは、近似値のパラレルを行ったり来たりしているんである。その、無限に広がる並行宇宙の、近似値から遠いバージョンの地球が、「マルチバース」で論じられる世界なのかな?

作品の中の、RMくんの他のバージョンの現実では、それでも皆、どれも割合良い家に住んで、良い服を来ているのが興味深いですね。韓国のトラディショナルな美意識と現代とが融合した美しい室内。注目すべきは、どのバージョンでも、始め彼は周囲とディスコミュニケーションを起こしている点である。中盤、美しい生地の、デザインの入ったセットアップで現れた時、「よしよし、これが本命にゃッ…!?」と思った。何でしょう…シルクと…麻の混紡でしょうか…玉虫色というか…。カップリングされた女子も、同種の生地のドレスですからね。うむ。なんと美しい生地。RMくんの、最上級の好みを反映してるんだなッ!と思われた。作品の最後は、この衣装で、現実化して終わる。地に足をつけて、セットの外の、現実を生きるんだと。

運命の女子を見つけたことで、そして彼女と打ち解けたことで、他の全部のパラレルが、良い方へシフトする。オープニングでRMくんが登場するパーティー会場は、彼女と向かい合う場所と同室だ。ここでちょっと泣いたよ…。パーティーの質が変化する。パラレルが、さらに分岐してシフトする。

つまり、これは素粒子の話だ。

え?

素粒子?

わたしが原始仏教の独学を始めたのは何度か書いてますが、noterのはるなさんが、「意識は素粒子で出来ている」、という話を書いていました。そうそう。ええ。世界の全ては素粒子でできてる、らしいぜ。物質を構成する原子は、中性子と陽子と電子でできているが、それぞれは全て素粒子でできている。素粒子は、観測者がいる時といない時で違う動きをするそうな。「観測しようや」という意識自体が、素粒子の動きに影響を与えるんです。人間の意識は、そうやって、周囲に変化を与える影響力を持っている。意識が、現実を「こうだ」と設定する。だから、意識を変えると、今見えてる現実が影響を受けて、変わる。

ゴータマ・シッダールタさんが、最初の想念、それが「ポジティブかネガティブか」ということを問うています。頭の中でふわっと起きた思考、それ自体がすでに素粒子で出来た現実に影響するので、ポジティブな想念の結果は、ポジティブな現実を体験させる。

ゴータマ先輩が言うには、想念だけでも力があるのに、さらに「口に出す」「行動する」と、ますます現実世界に、もとの動機にあるエネルギーを強めることになると言うの。思考の、発言の、行動の、もともとの動機。その本質は何であるか。…自分の中に問うても、なかなか、そうそう分かりませんよ実際。でも、現実とは、ぴっちり本人の発するエネルギーの、本質と同等で同質で展開され、それを体験することになる。

マルチバースで、自分と違うバージョンを生きている自分には、今感じている苦しみや、閉塞感はないかも知れない。こんなに苦しい思いをしているのは、自分だけなんじゃないか。だけど実際は、異なるバージョンの数だけ、違った種類の苦しさがあって、皆それぞれに葛藤し、試行錯誤しながら生きている。自分が現実を変える方法は、今、自分が担当しているバージョンの自分の、思念の、最初の根本のとこを変えることだけだ。自分自身と深いところで向き合って、純粋な、自分の想いの出どころ、その本質を認める。そうしたら、あとは、深呼吸しながら、現実が自分の発したエネルギーと響き合うのを、つぎつぎと受け止めて流れに乗っていく…。ひとつのバージョンで起きた本質的な変化は、他のバージョンにも影響を与える。自分の学びは、自分一人だけのものじゃない。なぜなら、他のバージョンの自分も、自分の一部だからだ。

RMくんの今作と、先だって公開されたVくんの【FRI(END)S】のMVで、いくつか類似の要素が見られるのが、面白いな、と思いました。

  • 「自分」を中心に、パラレルで展開する現実

  • 「自分自身」に会う

  • 「メタ視点」で作品が終わる

同時期に、メンバー同士が同じような種類の気付きを展開しているのが、不思議だし、やっぱり響き合ってるのかなあ。興味深いなあ〜。

自分の望みのコアな部分って、よくよく観察してみると、別段複雑じゃないんですよね。シンプルです。RMくんは、7人で真心を込めてステージをして、会食で話をした時、どんな法則にも関係なく幸せに話ができる、それがただ望むことだと言いました。それ以外は捨ててもいい。執着しない。そういう風に優先順位を自分で分かっていることが、自分を助けます。

そして、本質的に望むことの方の中には、自分の魂を磨く、成長させる、「なぜ僕は生まれて、死ぬのか」の意味が入っている。それを知っていく、めくるめく世界と出会っていくキットになっている。その過程は、時間を感じないほど喜びがあるものなのだ。

起点は、今、自分の中に起きた思念、の動機のところで、それが現実に対して自分が与えられる変化の全てです。心の中に湧いた感情、それがあんまり良くない感じだったら、深呼吸して、遠くを見て、深呼吸して、やり直して、ノイズを捨て、執着を捨て、本質的でない部分を捨て、純粋なエネルギーに近いところまできたな、と思えたら、行動に移せばいい。多分、明らかに現実が変わるのに、気づく人はすぐ気づく。ルーティーンと真逆の行動を、自分がすっと取れる。これまでと、違う現実が展開する。

それだけのことが、人間の幸福というものなのじゃないの。人が幸せに生きるって、このことだけなんじゃないの。今、都度都度、自分の根底の、純粋な気持ちを感じていられること。ゴータマ先輩の言う悟りってこんなことじゃないのかなあ。根底にある純粋な気持ち、そこに到達するためには確かにプロセスが必要なんだが、それが、感謝や慈悲で、許されているという安心感なのだったら、素粒子は、現実をそのように構成する。

何ものもジャッジしないし、全ては繋がったエネルギーだから、この世はただ、どんなシュチュエーションに遭遇しても、自分がどれだけ本質的な純粋さを保っていられるか、その、実験。…なんだが、ミン・ヒジンさんの件で少し感じたが、韓国は、ここ十数年で急に経済成長したために、社会全体が成金的な感覚を持っているのかな…?と。

これは、この価値観は、かなり情緒に影響を与えますよ…。

You don't have to be
You don't have to be the anything you see
Tryin' not to be
Tryin’ not to be that something in this sea

ものすごい強い、現世的な執着とエゴ、他者を蹴落としてすりつぶして、それが正攻法で、そういう社会にあって、利用される価値の非常に高いブランド「BTS」。彼は、どのように「なるべきではない」と言っているのか。

(安直な期待に応えれば、業界で消費される)
(だから期待に応えたものになるな)

彼は最も過酷な環境で、社会にとって都合の良くない、本質的な自分を貫く人生を試しているんじゃないか。彼の、懐かしい、アイデンティティ。

これは、そういう声明的な作品か、とも思った。パクチーの憶測かな…。

あ、ちなみに、普通の皆さんは、「Come back to me」を「戻ってきて」と訳されます。わたしは、勝手に、「I 」が略されてると思っているんですが。


それでは、また!




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