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「That That」のインタビューからの思索

こんにちは!パクチーです。

GW終わって少し暇のできた接客業(違う…暇じゃ無い…家事は溜めてある…)、人波に疲労した自分を慰労すべしと見始めた、「That That」インタビュー動画、フルバージョンだ〜〜〜〜!

ちなみに公式MVについてはこちらにて既述。

この、PSYさんとSUGAくんのコラボについてのインタビュー、見る前は、こんなに色々考えさせられると、わたしは思いもしていなかった。

ここを起点に、わたしは様々な動画を見漁ることになる…お時間余って困っている方はお付き合いあれ…!

PSY - 'That That (prod. & feat. SUGA of BTS)' Full Interview

こ、この動画は…!ああっ…まさしく…!

だだ漏れ系、Cutie & Sexy SUGAだ…!

本編に行く前に、このコラボ曲にはTwitterで事前に公開されたいくつかのプロモーション動画があった。複数あるバージョンのうち、この動画では二人の会話に「bestie」という英語字幕が付けられている。

英語字幕を一部を翻訳すると(Thanks "DeepL"!)、

PSY : It was hard to feel any age gap.
SUGA : We became besties in a way.
PSY : If he think of me as a bestie, that's great for me. How much younger does that make me.

サイ:年齢を感じさせないほどでした。
シュガ :ある意味、親友になった。
サイ:彼が私を親友と思ってくれるなら、それは私にとって素晴らしいことです。それでどれだけ若くなったか。

そして、この会話は、フルバージョンには入っておらんかったのよね。

「親友」というと「チングかな?」と思いますが、二人は本来「チング」にはならないようです。わたしもこのnoteを拝読するまで知らなかったのですが…。

チングは、なんと、同級(同い年)にしか使えない名称なんだそう!だからこそ、「チング=タメの気遣いのいらない関係」、そのような親さを表現しようとして、だからこそ、「親しい間柄に(タメみたいに)思ってもらえるなんて、どれだけの年齢の差が若返ったのかしらん、フフーッ!!」となるのだな!と釈然としていた。なんでカットされたんかしら。SUGAくんから親しく呼んでいるのが、各方面に憚らたのかしら…。と、いらん憶測してみる。

ただ尺とか構成の問題かもしれない。

※追記:でも後からよく本編見たら、PSYさんはSUGAくんのこと「チング」って言ってた。ごめん…。そうか…。「心にバリアのない、垣根のいらない存在」としてお互いが相互に認め合ったという、年の差を超えて同格という、この「チング」には単に日本語の「友達」以上の特別なニュアンスがあるのだろうな。

冒頭差し込まれる静止画からすでに、着飾らない感じが…
ひえぇぇっ……!sexy cutie…… !

このインタビューのパクチー的胸熱ポイントはいくつかあるが、PYSさんが海外で空前絶後の大ヒットを経験したことについて、彼がご自身の体験を端的に率直に語られていることだった。それを、「聞かれれば本心を話してあげたい」というところで、ちょっぴり目から水出た。

「最高に幸せで、最高に不安だった」

「スター」を体験するということがどういうことなのか、ごく一般人のパクチーは、想像したとて想像できるものじゃあない。経験したからこそ分かる理解と、それを分析する能力と、それが必要で有効な数限られた人同士の、精神を保つための力を貸し合う結びつきよなあ…。それがなんで胸熱かというと、何故かと言うと、一昔前まで、スターが精神の健康を蝕んでショービズの歯車を回し続けるのを、TVの画面越しに、その過程を、最悪の末路までを、ただ何も手を出せないまま見続ける、というのは繰り返された一定のパターンだったからだ。むしろそうでないパターンが今の時代、革新的だよ、実際…。

インタビュー動画を見た後、YouTubeの検索結果に現れたサムネイルが妙に気になって見た動画があった。

FaceCulture : Frank Iero Full Interview

んと、誰…?知らない…。けど、すごく良かったので、長いけど全部見てしまった。何故に訳が伊予弁?わたしが今住んでいる…。

動画の彼、フランク・アイイアロさんがインタビューで語るいくつかは、そのままSUGAの愛する、「音楽」「ステージ」「ファン」について、別の角度から非常に分かりやすく説明してくれているようで、この方非常に自然体で「おれの話」をしているんだけど、やったらめったら普遍的なの。なんで。天使か。

アイイアロさんは、「マイ・ケミカル・ロマンス」というバンドに所属するギターリストさんでした。知ってる?パクチーは知らない…。2013年に解散している。

My Chemical Romance - Welcome To The Black Parade

これ系、好きな人はすごく好きそう…!パンク、ハードコア系ロックバンドは、パクチーK-POP全体をよく知らないものの、K-POPにはあまりいないイメージがあります。でもこのビジュアルの方向はK-POPと親和がある気がした。「エモ」…と言いたくなってしまうが、「エモ」と呼ばれるのはボーカルの人が心底拒否しているらしい。MVが興味深くてついついいくつも見てしまったんだけど…どのMVも…ごっつい!重い…!!!いや…なんだろかな、今の時代に、すごく複雑な心境をもたらす映像群であった。個人的に?いや、どうだろ…予知的な、ショービズの闇、ディスクロージャー的な内容に見えて色々心配になっちゃうけど、ボーカルの人はドラッグ、アルコール依存によるうつ病を患っていたそうだから、3.11をきっかけにバンドを組んだ彼らは、やっぱり持っていたテーマは心理的にもヘビーだったのかもしれない。

アイイアロさんが「ニルヴァーナに影響を受けてギターを始めた」と言っていたが、「え、ニルヴァーナってそんな昔だったっけ…」と、時代の感覚に少なからずショック。アイイアロさんはパクチーと1歳違い。パクチーもお小遣い握り締めてニルヴァーナのアルバム買ったよ…。

SUGAくんががSPYさんに「芸術的であり商業的である点が印象的だった」と言われているが、そのバランスと、スターであることと、ラッパーであることと、コンポーザーであることと、今のSUGAくんは飄々と何でも無いようにバランスを取っているように見える。丁度ニルヴァーナのボーカルのカート・コバーンさんのインタビュー動画がおすすめに出てきた。

伝説的な影響力を持っていたバンドが語る、商業。

BTSがMVでTシャツを着ていたことでもお馴染みの「NIRVANA」、彼らの代表的なアルバム「Nevermind」、自分の出自のアンダーグラウンドの人たちが、果たしてポップでクリーンな、商業的な音楽を気に入るか?それを「Nevermind」で試したと言う。そんですぐに受け入れてくれたと。自分たちも商業的な音楽は、特に古いものは好きだよ、という内容の動画。

「Nevermind」の成功は、みるみる彼を彼が望む方と違った方へ、彼のふわっとした曖昧なニュアンスの良さを、ごりごりと消費し尽くしてしまう。カリスマ的人気と、商業ベースに乗ったメディアが、つまり音楽を作って演奏することに付随して現われた音楽以外の全てが、すっかり彼をうんざりさせてしまったようなのは、たくさん残された映像でもよく映っている。

「マーケティングプランに使われたってことだよね」「ああ」「俺は個人的には楽しかったよ、良いライブだったし」。それでも彼がピンと一本、精神が高くピュアに保たれ続けていたから、彼にはますますカリスマがあった。でもそのピンとつながった一本も、1994年、彼が27歳で途切れてしまう。

芸術家はその身に常に曖昧さを抱えている。ゼロから世界を生み出す人の頭の中には、完成したいくつかの作品の他、たくさんの、書きかけの曲、書きかけの曲、書きかけの詩、書きかけの曲、進行中のプロジェクト、アイデアのかけら、アイデアのかけら、進行中のプロジェクト…。曖昧さというとても容量を食うものが占めているいつでも不安定な脳を、24時間抱えたまま普通の振りして立っている。SUGAが商業的でもあれるという時、それはビジネスマンでもあるということだが、つまり「売れる」ということをボーダーにして「主観」の脳内のクリエイトの世界を、別のロジックでザクザク切ったり貼ったりすることも出来る、そこをPSYさんは「柔軟」と言ったのかもしれない。彼は音楽を聴くこと、聴いて受け取る印象といった個人的な体験の他に、人々がそれを聴いて受ける影響、それが聴こえている空間、それが作り出す社会のムードのような、一つの曲が影響を与え得る全体に対して、愛着を持っているのかもしれない。だから商業的か?芸術的か?かつてさまざまなアーティストが苦しんだその線引きに、彼の中では優劣なく、ミックスして、マーブル状になって置かれているのかもしれない。人々がいて、音楽があって、空気が振動して人々のハートに届く空間があって、そこに「音楽」と名付けられた愛を見出しているなら。

じゃなかったら、あんなに精神的に安定しているなんて稀有すぎる。

PYSさんの「大吹打」評、しびれたわ…。

SUGAもといAgust Dの「デチタ」について、そうだよね、そうそう!いやーほんと、そんな感じです。と思いました。「いや、それ貴方にしかわかんねーって!」というマニアックさと、商業的に洗練されている度合い。音楽を作る人は「もう、そこもっとポップでやって!」と言われたら、つまり複雑でない、分かりやすい、起きていることがシンプル、カテゴリに嵌めてくれ、という意味である。「大吹打」は、ぐっと色濃く彼のニュアンスが込められた、それをオーケストラスコアのような精密さで「ポップ」にぐぐいっと押し込めたような楽曲、と、パクチーは思いました。そのミックス感はMVにも表れているが、現代的な格好良さと、歴史的要素のインパクトを、こんなにもフュージョンさせて高度に成立させることができるなんて、韓国の映像美術はことフュージョンのセンスで抜きんでてるんじゃないかな、と思っちゃった。

「会って作業するんじゃなく、Eメールで作業する」

SUGAくんが、人と会わずにメールでやりとりするのを、会って、時間とって、気を遣って、エネルギー使って、っていう全てのエネルギーを、作業に使いたいからだろうかな…と思って聞いた。どうせ、話の上で合意が取れたとしても、音を聞いたら「違う」ということもあるし、話で合意が取れなくても、音を聴かせたら「それだよ!」ということもある。だったらインスピレーションがあるときに、一音多く打ち込みたいよな。

そんなクリエイターの気持ちを押し除けて、PSYさんが積極的にコミュニケーションを取ったという。つまりPSYさんの方が、SUGAくんのスケジュールに合わせて、SUGAくんが時間を取れるタイミングで赴いたのかもしれないな〜、でなければ彼はここまでコミットしなかったかもしれないし、会って直接話したから、MVに至るまでの情熱が湧いたのだろう。さすが社長。マンパワー。SUGAくんがMVに出演してくれた方が絶対いいと思っていたのだろう。そして踊ってくれた方が絶対いいと、初めから思っていたのだろう。そうっすね!!ありがとうございます!!!

BTSの新しいアルバムのトラックに「Born Singer」が含まれることが公開された。メロディアスなときにセンチメンタルな、センチメンタルなときにエモーショナルな成分がよく聞き取れるSUGAくんの音楽から、時間を経て、時代を経て、「実は愉快な曲が好き」「愉快でエネルギーを与える曲をやりたい」というSUGAくんを今見ることができるのは、実はすごく意味があることなんじゃないか…。例えるなら地軸が整うくらい…。

だからさ、歴代のスターとか歴代の有名人とかと比較してさ、これまでいくつもいくつも特別な輝きを持った魂の人が、喩えようの無い物理的な、感情的な圧迫で、救われない苦しみを味わって味わい尽くしていて、そういう風ではいけなかった、そうあるべきでなかった、そうでない方にも人々は歩める、と、一歩ずつ学習しながら前例のない道を歩んでいる最中なんだ、わたし達も彼らも、と、改めて思った。BTSは完成された山のてっぺんにいるわけじゃ全然なく、人々が選んだ「こっちでいいのかな…?こっちがより良いのでは…?」という集合意識が選んだ未来を、一寸先は闇の道を、今もまだ7人が手を携えて、お互いを頼りながら歩いている。これが、今人類が選んでいる、最先端の、最善の、新しいパターンだ。

だから、本当にいいゴールに辿り着かせてあげたい。わたしは彼らよりきっと先に死んじゃうと思うけど、肉体が終わる時にあっても、いい未来にたどり着いていてほしい。様々な人の知恵や力を借りて過ごしてほしい。

今回SUGAくんが、PSYさんとまさにそんな関係で、それを「That That」が取り持ったことを、とても頼もしく、清々しく、未来があるように思うのでした。

それではまた!




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