RMくんの素朴さと人間味と率直さ
なんか、お仕舞いに至っては、すごく心温まる番組だったな…。途中韓国語になっちゃうところ(どうしてか英語で話すコンセプトらしい)は最高だったし…。
RMくんが出演した、長年ファンだというプログラム『PSICK Show』。
英語になると率直になるのかな。
教育にはそこそこお金をかけてもらったけど、自身はずっと金にならない仕事をしていたので、ブランドものには今も昔も縁がないわたくし。従姉にお古でもらった、一枚のコムデギャルソンのワンピースを大事に着ているわたくしに、大阪で長くカリスマ店長をしていた、島の美容師の兄さんが言いました。ギャルソンも〇〇も〇〇もたくさん持ってたけど、全部後輩にあげてたと。次のシーズンがリリースされたら、もうそれは着れないんだと。この世にはそういう世界線があるのか…。大切に作られてるの(だろう)に、そんなファストファッションみたいな扱い、可哀想くない?それははひがみなのでしょうか。わたしに、わたしに捨ててくれ!大事に着るよ!
…と、ハイブランドが自分の社会的ポジションに必要である人々の世界において、ハイファッションがファストファッションである事実に胸が痛んだ庶民、パクチーでございます。こんにちは!
ところでこちら。
インタビュアーのザックさんが、顔もなんだかアンヘルシーに見えて、声もガラガラだし、どうしたんだろう(聞きづらい…)と、思いながら見ていた。
ところが、みるみるザックさんがRMくんとの会話で浄化されて(主観)、最終的には楽園にいる二人みたいになっていた。この世に希少な、非常に波動の高い、いい動画だった。
ね。英語になるととても率直になるのかな。
ちょっと目がうるんで見えたのは気のせいだったろうか。「BTSは花火」って言い切られて、ドキッとしたよ。日本語訳したら話し言葉ですでに詩のように美しかったので、詩のようなレイアウトにしてみた。やっぱり詩人だ…。
ソウルにあるライブハウスでのライブを見た。
ちっちゃい。
ちっちゃい!
あまりの箱に小ささに驚いた。小規模つっても、それでももっと大きな空間を想像していました…。
やっぱすごいな…この方。
アルバムを通して言ったこと、彼自身と、彼のやっていること、今、それをとても一貫して、ものすごいエネルギーで軸を通そうとしているのが良く分かる。
一曲の【Yun】の歌詞にある一節、「I wanna be a human /'Fore I do some art」が聞こえて、
「一人の人間でいたい…!」
そう言っているように聞こえた。そう言ってる、彼は、花火の一部となるように生きてきた。その弾ける瞬間の中にいて、自分が野の花を愛していることに、野の花のようでいることを愛していることに、気付いてしまった。
その自分の人間性をちゃんと自分の手に取り戻そうとしたなら、
「この小さなライブハウスに全身で憧れた自分」
を救い出すところまで立ち戻らなければならない。
あの頃の自分が見た夢を、
全部叶えて、
置いてきた自分を満たして、
今の自分と繋げて。
それが、これから先も表現者として生きるために必要だと、彼は思ったんだろう。
それにしても、スタジアムサイズから、ダウンサイジング、なかなかできないことだと思う。分かんないけど。スタジアムでコンサートやるアーティストの心境って分かんないけど…このRolling Hall…。マンダラ2…もっと小さい、下北沢ロフト…?とりあえずこの規模のライブハウスでライブする人とは心境も何もかも違うってことだけは、わたし、分かると思う!
それが、ミュージシャンとしておおよそ全部の欲望を叶えて後に、「ここでライブをすることが今一番望んでいる欲望だ」、と気付ける。そして実行できる。それってすごいことじゃないか?
欲が無い。
いや。
洗練されてるんだろうなあ!欲の見つめ方が。
「野花遊び」。
このライブは彼にとっての野花遊びなのかな…。
彼の「野花遊び」のイメージを聞きながらそんな風にも考えた。
一番自分らしい、裸の地面の上にいる自分。
ここ、を、満たしたい。
これを、満たしたかったのか…。
ところで、インタビューに戻ろう。ザックさんが質問して、わたしも気になっていた部分。「真実の悲しみには真実の美しさがある(true beauty is a true sadness)」、これが何を意味するか、この返答がとても興味深かった。
このエピソードを聞いてから見るアルバムのジャケットは全く別物だし、この話を聞いて彼の居間のユン・ヒョングン氏の絵を思い出すと、RMくんに対して、やはり彼に対して印象が改まる。複雑な色の錆色というか土色というか、黒、不思議に余白の残された。それはこういう背景で作られた黒だと、全く知らなかった。
エリカバドゥさんと、その後月1でメールのやり取りをしているというRMくん。内容はカジュアルで、30代とやりとりしている感じだと。「それが本当のコラボレーションだよ」というザックさん。わあ。本当にそうだなと思った。
【Forg_tful】が、アルバムの制作を始めるにあたって、一番最初に作られたというところを強調するのを聞いているうちに、この曲を、ただ全体の中で最も可愛らしいフォークだと思っていたけど、考えてみれば完全にunK-POPなんである。カウンター…。K-POPの様式と全て真逆。エアで録音、つまり実際に音を出して、空気を振動させて、マイクで拾って、ミックスする。コンピューターサウンドで構築する音楽の対極。
「その曲をアルバムから外すことはできなかった」。
がしっと一本打ち立てたんだなあ。ルートを確保する。彼がK-POPの中心的な位置にいながら、音楽的には決してそこに囚われないという、2019年の間に彼が発した声明文のような。
後半、【No.2】についてRMくん自身が、「自分に言ってる」と言いながら語りかけたいくつかの言葉を聞きながら、選択。それはいくつも選択可能だったように思える。でも一度選んだら、それに伴って起こる全てを、味わい尽くせ!!!尽くしたれ!!
…これがこの、人間の体というものの使い方なのかな…
と思って、聞いていた。
「K-POPの若者」「研究生」。彼がここのところ繰り返し取り出すこの単語。大きな課題意識と、「自分にしか分からない何か」が、そこにあると彼は感じているのだろう。きっと実際その通りだろう!
わたしの世代からすればまだまだ彼こそ救われて欲しいと、第三者の救いが必要なんじゃないかと思えてしまう。が、彼が自分で手にしたパワーによって、その行使先を、彼は狙いを定めてるのだな、と思った。
true beauty is a true sadness
なぜかと言うと、若者たちの道は、やがて「狂気」を通るからだ。
このセンテンス、理解をもう少し深めよう。涙という共通点、そして「狂気に誘う」という会話をヒントにしてみる。
true sollow、亡くしたものに対する哀惜を素因数分解して、sollow以外のどんな色も無く、ただ一色の感情しかない時。それはその人が今世で味わう最も端っこの感情なのでは?sollowだけが持つ純粋な色。その地点にしかない景色。人生のイベントが自分にその色を手に入れさせるよう働いた。しかし自分がその色sollowを扱うなら、他のあらゆる激しい感情の手綱を引いて、正気を保ち続けなくてはならない。
RMくんの家の居間にかかった絵について、余白の部分を「sollow」とするなら、狂気すら犯せないそこには、喪われたものに対する哀惜があって、そこは空のままだろう。何にも置き換わらない。何にも置き換えられない。狂気にも染められない強い色、強い空虚さ、そこには代わりの色がない美しさがある。しかし狂気じみている。そうまでして手に入れたかったか?でも結果的に手に入れた。これを自分の持てる狂気と混ぜて、全部を混沌の中にひとつに、うやむやにしてしまえたら楽なのに。しかしその自分の狂気を脇に置いて、自分が生きていることを受け入れ、自分がsollowを味わったことを受け入れ、それが自分の味わう感情の最も端っこであることに狂おしい感情を味わいながらも狂えない。
そういう、どこまでも理性的な物の見方が、true beauty is a true sadnessなのではないかと思った。
true beautyにも誘う狂気がある。その美しさの美しいことが分かるために、他のあらゆる美しくないものを、経験して知っているという前提がある。この圧倒的だがささやかな美しさは、これまで自分が味わったカオスと比較して価値があるだろうか?それでも美しさを美しさとして味わうためには、自分の混沌に線引きして、狂気を混ぜないでいる精神力がいる。
本当に幸せな時、涙が出て、悲しくても涙が出て、それは魂が得ている本質的な経験に対して肉体が反応しているのかな、と思う時がある。望むと望まざると、地上にはあらゆる感情が体験できるように今世は用意されている。
若者達に、自分のsollowと出会った時、beautyに出会った時、自分の狂気を脇に置いて、理性を保ち、明日を生きるために食事を摂り、正気を失わずにいる覚悟があるかい?わたしは、K-POPの若者みんながアーティストのようでなくてもいいと思うし、楽しいサークル活動のような気持ちで始めたものが、とんとん拍子で上手くいくことがあってもいいと思う。
でも「お金をもらって音楽をする時」「どうあっても手放せない何か」を「自分で理解している」ことをRMくんは切望している。
若者たちの何を見て問題を感じているのか、わたしには分からない。
でも例えば、自分から生まれるものが表現になると同時に、「これを表現すべし」と与えられた表現が、自分の自我に入り込んで、望まない影響を与えてしまうことはあると思った。世界観に没頭した時に、何かマイナスの要素で自分と深くリンク付いてしまう。それが音楽とダンスで繰り返し繰り返し深く刻まれてしまう。音楽とダンスにはそういう、自己を変容するシャーマニックな力があると思うのだ。
だから「お金をもらうプロが気をつけなくてはならないもの」とは、多様で強いK-POP音楽の世界に振り回されないだけの、確固たる自己、自分の救い、自分の世界、自分の願い、それが根底に置かれていて、それでこそ「音楽」という劇薬を適切に意図したように振り回せるのだ。そういう感覚なのかな、と。
ユン・ヒョングン氏の絵の、余白の部分を「sollow」としたことについて、わたしが単にここで軽く思いついただけだし、数ある解釈のうちそういう理解も1つくらい許してもらえるとは思うが、どうか全く気にしないでもらいたい。
わたしが子供の風邪をもらって、39度で身動きが取れない2日間、全身が踏み砕かれているような関節痛で、ずーっとずーーーっと『Indigo』の全曲が頭から終わりまでが繰り返し頭の中で鳴っていた。フレーズ一つ、歌詞の単語ひとつひとつに、すがりついて36時間を過ごした。
それは勝手にエンドレスで頭の中に聞こえてくるので、わたしの意思とは関係がないのだけど、
39度の狂気と、ユン・ヒョングン氏の絵具に込めた狂気と、それを寝室に2枚かけるRMくんの狂気と。
どこか心穏やかだったのはそのせいかな。その中にある奇妙なバランスの土色の憩い。個人的な感謝。
とにかくザックさんのインタビューでのRMくんの話を、みなさんと分かち合いたくてね。
完治までもう一息、大分ごろごろする日々にも飽きました。
それではまた!
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