見出し画像

【うつ病Travelerの軌跡】 旅行に全く行けずうつ病になった会社員が、地元でフルリモートの起業家になるまで。

はじめまして!みつるです!
この記事に足を運んで頂きありがとうございます!

他のSNSから訪れた人や、こいつ何者やねんという方へ、少しでも僕のことを知ってもらえたらと思い、これまで僕が歩んできた人生を打ち明けていきます!笑

今では大好きな地元名古屋で、SNSの運用代行やLINEを使ったマーケティング支援、Web制作など多岐にわたり、フルリモートのフリーランスとして毎日幸せな生活を送っていますが、会社員頃はうつ病と診断されるまで落ちまくっていた時期がありました。

大学時代には国内外をバックパックで旅をして青春を謳歌していた僕が、何故会社員でうつ病になり、そこから這い上がり起業することができたのか。

ぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。


1.旅の魅力に目覚めた原点。
沖縄離島10日間サバイバル

沖縄の海に私服のまま楽しんでました。笑

大学1年の夏休みに、
仲間と沖縄の離島でサバイバルしようという黄金伝説みたいな計画を実行しました。

それまでは旅行は好きだけど、
サバイバルってマジかというような感情でいっぱいでした。
でも仲間と遊べるならという思いで沖縄の八重山諸島(石垣島、竹富島、西表島、波照間島)へ飛び立ちました。笑

しかし、この冒険が僕の価値観を大きくアップデートしてくれました。

日本最南端の有人島、波照間島に訪れました。

あれ、お店が何もない、車も無くて自転車での移動。
飲食店も無いしチャリ移動だしお腹空いたなと思いきや、
視界に入ってきたのは圧倒的透明度の海。

何だこの普段絶対味わうことない世界観は。

波照間ブルーと呼ばれる絶景の海

当時の僕は圧倒されました。同じ日本だよな。。

飯も食べずひたすら海遊びとチャリ漕ぎを繰り返す一日。
夜には空きっ腹の状態にお酒を浴びて満点の星空を見に行きました。

泣きそうになりました。お腹が空いてたからではありません。
今一生体験できないことに巡り会えていることに身震いがしたからです。

帰りの飛行機ですごく余韻に浸ってました。
余韻に浸る中で自分の中で強い目標ができました。

学生のうちにいろんな体験をしまくる、いろんな景色を見まくる。

この沖縄旅をきっかけに、僕は旅の虜になっていきます。

飛行機の窓から見えた最高なサンセット


2.地元に寄り添うきっかけになった、
バックパッカーの聖地

タイのアユタヤにて

沖縄で旅の魅力に目覚めて東南アジアを訪れるまで、いろんな旅や刺激的な体験をしてきました。海外旅行、本州チャリ旅、登山などなど、、
たくさん遊び倒してました。

しかし正直、ただ楽しかっただけでした。もちろん刺激はあって、チャリ旅だってパンク3回くらいして死ぬかと思ったけど、沖縄のように価値観のターニングポイントみたいな感覚はありませんでした。

でもこのバックパック旅で、僕は地元に寄り添うきっかけを与えてくれます。

僕はこの頃王道な観光地を巡るよりも、いかにローカルを攻めるかに謎のこだわりを持っていました笑笑

もちろん王道でも行きたい観光地は行くけど、他とは違う旅行雑誌には載っていない旅をしようとしていた人間でした。

そんな意識で旅をしていて、パタヤというバンコクから少し南に行った町を訪れました。タイが好きな方なら有名でしょとなるかもしれないですが、チェンマイやプーケットなどと比べるとそこまで知名度も無く、何より当時の僕はそこまで有名じゃないってだけで旅心がくすぐられる男でした笑

そのパタヤに訪れたときの風景がまさに、沖縄以来の感情が湧き出る光景でした。

バスの代わりに相乗りタクシーが主流の交通機関。アメリカ西海岸かなと思うほどの綺麗なロングビーチ。そしてバンコクでも味わえなかった過去一美味しいレストラン。

決してバンコクを上回る都会でもなければ、プーケットを上回るリゾート地では無いけど、何とも言えない幸福度の高い感情がパタヤでは生まれました。

パタヤで酔いしれた夜

当時あまり知られていない場所に行くだけで特別感を感じていただけかもしれません。しかしそんな僕だからこそ、このパタヤという町で過ごした時間の幸福度は今一生訪れるか分からないよなって思いながらパタヤでの夜を過ごしていました。

今一生あるか分からない。。あれ、この感じ沖縄で抱いた感情と似てる。

パタヤで過ごした夜、僕は大学一年の沖縄ときに宿った感情が再来しました。
沖縄以来とにかくいろんな場所に行くのが目的になってて、その時々に感じたことや湧き出る感情にあまり意識を向けれていなかった気がします。

沖縄の波照間島の時とパタヤで感じたローカル体験をリンクさせたとき、
ひとつの感情が湧き起こりました。

自分の手でさらにローカルな場所を有名にさせたい。地方で活躍する人をもっと増やしたい。

何を言ってるんだと思われても仕方ないかもしれません。
沖縄とパタヤで湧いた感情だけで何をほざいてるんだ、世界一周くらいしてから言え。と思われるかもしれません。

でも僕はそういう感情が湧いてしまったのです。
正直きっかけは何でも良い気がします。
もちろん世界一周を経験している人にしか湧かない感情もあると思います。
ただ僕は今一生訪れるか分からないこの感情を無駄にしたくなかったんです。

まだそこまで認知されていない場所でも、他の観光地以上に魅力ある場所がたくさんある。

そしてその場所やサービスの認知を拡大して、
僕が抱いた感情を多くの人に感じてもらいたい。

その夢を叶えるために必要なスキル。
WebやSNSしかない。僕は決心しました。

ちょうどタイから帰ってきた時期は就活の時期でした。
夢に向けて意識が向きまくっている僕は、
早速就活を本格的にスタートしました。


3.Webの世界に目覚めたとき。
友人が与えてくれたきっかけ。

スクールに通いWeb制作に励んでた

WebやSNSのスキルを身に付けたいと思いながらも、最終的に内定を頂けたのはIT営業で採用された企業でした。ただ文系で未経験でもIT系の職種に採用されたのは嬉しかったです。

就活後、友人からWebスキルが学べるスクールに通わないかと誘われました。
ITのスキルは今後大事になってくるし、フリーランスとかも最近目指す人多いし、将来困らないスキルになると思うよと。

当時の僕はあまりフリーランスとかに対して強い感情は抱いてはいませんでした。ただこの友人の誘いがきっかけで、

これまでの旅とは違う、Webのスキルという形で価値観のターニングポイントが生まれます。

学習を始めてすぐ感じました。やばい、楽しすぎる。
自分で思い描いたクリエイティブが反映される感覚。
毎日夜中の3時半まで当たり前のようにWebスキルの学習をしてました。

今まで他の学習や勉強にそこまで本気になれたことがなかった自分が、
心の底から没頭している。

これがきっかけでまたお得意の、今一生訪れない感情タイムがやってきます。

まだ有名ではない場所やサービスの認知を拡大したいという自分の夢に対してWebの力が必要になる。そしてそのWebのスキルに没頭できる自分。

間違いなく自分の天職だという感情で溢れかえりました。

就活が終わって早々抱いてはいけない感情かもしれませんが、
この時点でIT営業の会社員で一生終えるのは違うと感じてきたと同時に、
Webのスキルを持てば旅暮らししながら、大好きな地元やまだ知らぬローカルに出会える機会が増えると思い、

フリーランスという言葉が僕に強く響く働き方になっていきました。


4.若いうちで終わらせたくない。
そう思わせたくれたアメリカ卒業旅行

友人とキャンピングカーでアメリカ大冒険

学生最後の海外旅行、旅に目覚めてからずっと実現させたかった、
アメリカのロードトリップ。
友人の協力もあり実現させることができました。

流石に卒業旅行にもなると意識したくなくても、
今一生訪れない感情の連続でした。

キャンピングカーでアメリカを旅すること自体がそうだし、
みんなでハンバーガー食べたりピザ食べたり、時には喧嘩したり。
一つひとつが今一生訪れないような喜怒哀楽の連続でした。

そんな中、何故このタイミングかは分かりませんが、
ラスベガスで噴水ショーを友人達と見た時にこんな感情が湧きました。

ラスベガスの中心街

歳取ってもこーやって自由な人生を過ごしたい。

恐らく学生時代好きなだけ旅してきた生活に終止符が打たれることに悲壮感を感じてた部分もあったと思います。
それまでは学生のうちや若いうちにしかできないからという感情が、旅する動機にもなっていました。

でも、一度しかない人生で自分のやりたいことに制限をかけるのは死ぬ時絶対後悔する。常に自分のやりたいことを選択し続けれる自分でいたい。

自分のやりたいこと。
それは旅すること、そしてWebやSNSの力で自分の地元や世界中のローカルな場所、サービス、商品、人々などの認知を拡大させる。

この感情がリンクしたとき、僕の人生の方向性が決まりました。

絶対にこのやりたいことを叶える。
そう決心し、期待に胸を膨らませ僕の社会人生活がスタートしました。


5.地獄の会社員生活。
夢も魂も消えかけた2年間。

まだ期待に溢れていた内定時代

大学卒業前に大きな夢や目標を掲げ、
期待に胸を膨らませて始まった会社員生活。

この会社員生活が良くも悪くも、
僕を深い谷へと落ち進め、その後山頂へと突き抜けるきっかけとなる大きな分岐点となりました。

僕は地元愛知県のIT系の営業職に、新卒で採用され配属されました。
ただ実態としてはただ営業をするだけではなく、
プロジェクトの企画、マーケティングから、営業活動、ディレクションまで、とにかくITやWeb系のサービスを導入する案件に対して何でもやる系の部署でした。

仕事自体は間違いなく、今後需要の高いITやWeb系の界隈で市場価値が高くなるくらいのスキルは得られました。
実際にフリーランスとして活動している今、会社員時代に獲得したスキルは間違いなく今の仕事に活きています。

当時の僕は簡単に成果を上げれて難なく仕事をこなせれると思っていました。ただ配属後すぐに僕はどん底な会社員生活を送ることになりました。

・毎日3時間睡眠が当たり前の残業超過
・毎回2時間以上かかる部内の鬼詰め会議
・上司に否定される自分の営業活動
・何を話しても会話が弾まない上司との世間話
・お昼休憩や飲み会は説教の場

何ひとつ盛ってないですし、
僕だけではなく部内全体でこの文化が浸透していました。

ただ、毎日が擦り減る日々で、土日休みでしたが、日曜の午後には毎週メンタルがやられてました。
そして休日出勤も珍しくなく、その後の有給も取れない。

「何のためにこの会社に入社したんだろ」
「WebやSNSのスキルって最近触れてたっけ?」
「あーー旅行したい、何やねんこの生活」

気付けば僕は、思考停止にただ愚痴をこぼしまくる社畜へと落ちぶれていきました。

明らかに心身ともに消耗していることを人事に指摘され、
半信半疑で初めて精神科医へ診察を受けることになりました。

診断結果は、『抑うつ状態』

実際の診断書

学生時代に闘志を燃やしていた、
フリーランスへの憧れ、旅暮らしの憧れ、地元に貢献するという目標。
会社の波に完全に飲まれた僕は、
そんな夢も魂も燃え尽きる寸前の状態になっていました。

もうどん底でした。何もかも投げ出してやりたくなるような感情が湧いて、自分の人生ってこんな感じなんだと強く悲観したことを今でも鮮明に覚えています。

完全に夢を諦めようとしていたとき、
この深い谷の底から這い上がるきっかけを、
社畜会社員生活の自分をヒントに掴んでいくことになります。


6.会社員時代のスキルが活きた瞬間。
再起したフリーランスへの夢。

公園で仕事するほど闘志が蘇ってきた頃

本業の会社員生活も、副業で成り上がろうとしていたWebやSNSの仕事も瀕死状態だったとき、僕はある仮説を立てました。

「この部署で鍛えられたスキルやノウハウって、自分の副業でも活かせないかな?」

当時の僕の会社員生活は正直何も幸せに感じてはいませんでした。
会社の雰囲気や上司との人間関係なども関係しているかもしれませんが、
営業をしていても売っているサービスが好きになれず、
なんでこんな好きでもないサービスを販売しなきゃダメなんだろうと。
完全にポンコツ思考の営業マンでした。

ただこれだけ愚痴ばかりな自分でも、
社畜な環境で鍛えられた営業やマーケティングのスキルには自信が付いていました。

上記で述べていた通り、所属していた部署ではただセールスをするだけの営業部署ではなく、Webコンテンツやウェビナーなども企画・プロモーションしたりと、がっつりマーケティング会社のような仕事もしていました。(そりゃ業務過多になるわ笑)

多岐にわたるクライアントとの仕事で培った、マーケティングとセールス、そしてディレクションのスキル。

このノウハウを自分の好きなWebやSNSの仕事に反映させたら、
集客も売上も今以上に向上するかもしれない。

僕の仮説は当たりました。それも想像以上のレベルに。

止まらないお問い合わせ、案件依頼。
クライアントに褒められる対応の良さ、プロジェクトの進行。

今まで仕事がなかったなんちゃって副業生活に、
大きな変化を生み出すことができました。

会社員時代では褒められずに自信がなかった自分のスキルが、
個人として活動している仕事では価値を感じて頂けてる!
身体が武者震いするような現象がまさに起きてました。

それと同時に、僕は学生時代に闘志を燃やしていたフリーランスへの夢がまた再起していくことになります。

※最近の仕事内容についてはLINEやInstagramで詳しく発信しているので、ぜひ見て学んで頂けると嬉しいです!


7.入社して2年で退職。
夢を叶えるために決意したキャリアチェンジ。

フリーランスの友人達

WebやSNSの仕事も軌道に乗り、
このまま会社員×副業としてキャリアを歩んでいく未来も考えました。

でもやっぱり僕は、リスクを背負ってでもフリーランスとして旅暮らししたり、自分のスキルで地元や地方に貢献する夢を実現したいと強く思っていました。

僕は退職を決意しました。
会社員×副業、こっちの方が安定と言われるかもしれません。
でも、安定より面白い人生を歩む方が自分にとっては心の安定に繋がるなと。

人生一度きりしかないです。
どう生きようと、いつかは死にます。
だったら僕は明日死んでも後悔ないような生き方をしていきたい。

その強い思いで、僕はフリーランス生活をスタートしていきました。


8.友人との起業。時間や場所に縛られず、企業や人の魅力を発掘する。

創業した会社のロゴ

おかげさまで、フリーランスとしてキャリアをスタートして、
・総クライアント数47社
・月商100万円以上
・WebやSNS案件の案件獲得コンサル運営
・某SNSサロンのマーケ担当&共同運営

などなど、多くの実績を積ませて頂いてきました。

そして2022年9月28日、
アメリカ旅も共にした大学時代の友人と、遂に会社を作りました。

左:インフルエンサーとして活躍している友人

会社名は『Hack-tsu』
・地方の企業や事業主の魅力を発掘(hacktsu / ハックツ)する
・お客様の事業課題を共に攻略(hack / ハック)する
・旅好きの友人と僕の二人(tsu / ツー)で起業する

こういった意味合いを含めて、
株式会社Hack-tsuとして会社を設立しました。

一緒に旅した最高の友人と、場所や時間に縛られずに、
地元や地方のお客様に貢献できる会社。

僕が学生時代から思い描いていた夢が、
ついに形にできる。
そんな感慨深い気持ちで起業しました。

ただ、ここからが本当のスタートです。
会社をもっと成長させ、関わる全ての人達の悩みを解決できるようなレベルまで貢献できるように、バキバキな起業生活を送っていきます!

会社のHP:https://hack-tsu.co.jp/
ぜひ覗いてもらえると嬉しいです!

9.最後に伝えたいこと。

スピーチを務めた友人の結婚式

ここまでながーーい僕の人生を読んで頂きありがとうございました。

最後に、僕が最近友人の結婚式のスピーチでお話したことを、
このnoteを読んでいる方向けに内容を変えてお伝えします。笑(新婦の友人達からとても好評だったらしいです。笑)

何を言いたいかというと、
『大きな幸せを掴む前は、必ず想像以上の谷底へ落ちる』ということです。

ここでお伝えしてきた僕の今までのキャリアがまさにそうです。
学生の頃に描いた夢は、社会人になればすぐに実現できると思っていました。でも入社して1年半後、うつ病になったわけです。

でもその経験のおかげで、
今では起業をして夢が現実的に叶っています。
もちろんまだまだ叶えたい夢はたくさんあります。

この記事を読んでくれてる人は、
今まさに夢に向かって取り組んでいる人もいれば、
中々活動が上手くいなかくて投げ出したい人もいるかもしれません。

でも大丈夫です。正しい努力で継続をしていけば、
必ず報われるときが来ます。

ほとんどの人は谷底へ落ちたときに、
夢を諦めます。目標を捨てます。熱中していたはずの活動を辞めます。

僕の周りのフリーランスや起業仲間で成功をしている人は、
その谷底を経験しても貪欲に這い上がってきた人ばかりです。

だから今ご自身の活動が上手くいっていない人や、
諦めそうになっている人は踏みとどまってほしい。

僕だって『抑うつ状態』とか言われたとき、
何もかも辞めたろうと思いました。
1年間ニートでもしてやろうかなってネジが外れそうな感情も抱きました。

そんな状態でも、自分の活動を改善するために覚悟を決めて、
夢に近づくために会社を辞めて、友人と共に夢が叶えられる会社を作ったんです。

『したい人、10000人。始める人、100人。続ける人、1人。』
僕の好きな名言です。

夢や目標を掲げて人生を謳歌している人は本当にカッコ良い。
ただ何故かその夢を追う人ほど辛いことがたくさん起きます。
でも諦めずに行動し続けた人だけが見える景色があります。

人生何か上手くいかない。
そんな人の背中を、少しでも僕のnoteで押せることを祈っています。

【みつるの活動】
Instagram:フリーランス向けの仕事の発信(最近作りました!)
LINE:Web、SNS界隈で活躍できる案件獲得術を配布



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?