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霊長類学者の山極壽一先生と話して星野源ことを考えた

2018年に星野源の「POP VIRUS」という曲を深夜ラジオで耳にした。起業と修士論文と初めての同棲でてんやわんやしていたころだった。
音楽が歌われ奏でられて人から人へ届き、それがまた別の音楽を生むサイクルをウイルスに見立て、そのウイルスを引き継いでいく意思を力強く表明した名曲だ。

先日、霊長類学者の山極壽一先生と話す機会があった(ザ・フォーク・クルセダーズをカラオケで一緒に歌ったのは一生の思い出)。人類が熱帯雨林を出てあまねく五大陸に居住地を拡めたのは、共感力のなせる技だったと山極先生は言っている。
そして、我々の祖先におけるその共感力の発達は、音楽的なコミュニケーションと原始的なダンスによるもので、言語の発明による認知能力の拡大よりも遥かに前のことだったというのだ。(『共感革命』という本に詳しい)
僕らの社会を成り立たせている共感力の基盤は、言語である前に音楽でありダンスだった。言語ができる前から、人間は音楽と踊りによって共感力を育み、組織的な狩猟を可能にしていた。たしかに多くの共同体で、伝統的な祭祀に音楽と舞はつきものだ。

この話を聞きながら、僕は星野源の「POP VIRUS」を思い出していた。Bメロからサビに入る印象的なパートで、STUTSのビートに乗せて星野源はこう歌う。
「始まりは炎や棒きれではなく音楽だった」
人間同士を共鳴させてきた100万年の歴史が音楽にはあって、僕たちはその魅力に感染して声をあげ足を踏み鳴らすことで、また誰かを感染させていく。

今後100年の人間のあるべき存在の仕方を知るために、真面目に音楽とダンスについて考えたいと思うようになった。
ICTの進歩で人間同士の物理的な接触や感情的な共鳴が減っていくなか、音楽やダンスの持つ感染力が、共同体の絆のなかでしか生きられない私たちを支える重要な役割を果たすのではないか。
強い共感で人々を結びつけるそのメカニズムが、共同体や社会インフラの運営に与える効果を見ていたい(軍歌のような方向ではなく、六本木アートナイトの深夜3:30の盆踊りのような……)。

そして比喩的な意味でも、もっと歌って踊っていこうと思うようになった。表現の方法は何であれ、得られた共感やエネルギーをもっと自由に外に響かせていきたい。
自己増殖するようにさえ見えるサブカルチャーの感染力に少しでもあてられたことのある人間として、ひろがる熱気の苗床になっていけたらきっと楽しいと思うのだ。

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