「反応を得たい」という下心を捨てた #やめたことシリーズ
5年くらい前のことだったと思う。
人間関係が原因で、メンタルがメタくそになった時期があった。
悔しくて悲しくて、
夜道を泣きじゃくりながら帰宅したりした。
その一件があって以来、文章が書けなくなった。
以前は、
ビジネスブログやメルマガを書いたり
社外向けの資料や文章を作ったり
校正を任せられたり
求人原稿を書いたり(自社・他社問わず人事採用系の仕事が多かったので)
言葉を紡ぐことや、文章に触れることがわりと好きな方だった。
それが、キーボードを打とうにも
まったく言葉が出てこなくなってしまった。
頭を沸騰させながらひねりだしたところで
何だか薄っぺらく
どこか外から持ってきたような言葉に感じた。
メンタルめたくそ事件の後に
文章を書くお仕事をいただいたこともあったが
自分のできなさ具合に愕然とした。
Twitterの数行でさえ作るのも一苦労。
言葉が出ない。
言葉が出ない。
私の中身はすっからかんなんだなあ。。。
と感じていたりした。
そんな状況で何年も過ごしていたのだが
頭がこわれたことを機に
久しぶりに文章を書いてみようと思った。
浮かんだことを書き散らすだけの記録。
やってみたら、思いのほか苦なく言葉を綴れた。
いぇいヾ(*・ω・)ノ!!
頭うごかないなーもう四の五のあがいてもだめねーと思ってから
いくつかやめた(諦めた)ことがあり
良い効果をもたらしてくれたのではと考えている。
<やめたこと>
・発信の結果、誰かしらから反応を得たいという下心を捨てた
・有益なことを発信せねばという気負い(気負ったところでできない)
・伝わりやすい文章になるように整理しようとがんばること(じたばたこねくり回すうちに時間が経って古くなる)
・誰かに伝えるための発信(今向くべきは外ではなく自分自身)
・書かねば、というマインドで書くこと(書きたいときに書く)
要するに、完全に自己満足の文章だわね(〃ノдノ)
だけど、そのおかげで言葉が出てくるようになったし
自分が何を感じて、何を考えているのか
少しずつ知ることができるようになった気がする。
日々記憶を落っことしながら歩んでいることもあり
アウトプットすること、記録することって大事だなあと感じている。
下心は捨て…ましたが…!
それでもやっぱり反応をもらえるのは嬉しくて
スキやコメントに励まされています!
ありがとうございます(*´人`*)
とっちらかった私の頭の中を
これからも一緒に味わって?いただけたら嬉しいです。
いつも本当にありがとう。
心からの感謝を込めて。