引き際。
のっけから私のことになるが、小学校からサッカーを始めて20年以上が経つ。男子と違って山ほどチームがあるわけではなく、地域の広報誌から見つけた短期スクールや、地元の元Jリーガーが開催するサッカー教室、あとは校庭での男子との昼休みがとにかく楽しかった。
高校進学を機にいよいよ女子サッカー部への門をくぐる予定だったが、進学重視の声に煽られて別の女子高へ。そこにたまたまあったサッカー同好会を引き継ぎ、正規の部活動の邪魔にならない中庭で鳥かごや基礎練、壁当てに勤しんだ。
今思えば陽の目を浴びたのは、ようやくここ最近なのかもしれない。社会人になり、競技フットサルチームに加入したもののガチガチの経験者には一切及ばず、スタッフ転向したことで地域の強豪チームにも携われるようになった。「いやいやプレーヤーとしては結局ダメじゃん」という声もあるかもしれない。ただ、私には、どんな形であれ”妥協”や”諦め”ではなく“納得”で終われるキャリアを求めていた。
憲剛選手と重ね合わせるにはおこがましい限りだが、彼の”納得”の顔でピッチを去らんとする今にただただ憧れを覚える。もうひとつの共通点とするなら、前十字靭帯の断裂という経験だ。ここで競技生活にピリオドを打つ人も少なくないだろう。あるいは「リーグ優勝」などのタイトルを取れさえすれば、そこで退くことが有終の美だったかもしれない。
ただ、意外にも人の心は複雑で、
「ベストな心身で戦えなければ辞めるべし」
「優勝すれば思い残すことは無い!」
などと昔は思っていたはずなのに、いざその局面になると
「今じゃない」「次の世界をもう少し見させてくれ」とつい前のめりになってしまう。そしてしれっと、物語のエピローグにページ数を継ぎ足す。
私にとって、終わりはいつになるんだろう…「#OneFourKengo」を合言葉に始まった数々の記事やドキュメンタリーを見て、改めて、競技生活の“去り際”に頭を巡らせた。忘れてはいけないのが、この物語が一朝一夕でも、回り道のない平坦な道の先でもないこと。
こんなにかっこいい、こんなに文句なしのフィナーレ、やっぱりバンディエラ以外には不似合いだ。私に降ってくるものではないだろう。ただ、ふと手にした優勝記念グッズには、☆マークのほかにもう一つ、背中を押す希望の光がすーっと灯った気がした。
ありがとう、憲剛選手。