【MLB】選手会の英雄・Dick Moss氏が死去
現地9月21日、MLB選手会の黎明期・発展期を法務顧問として後ろ支えしたRichard Moss氏が93歳にてお亡くなりになられたとのこと。”Dick”Mossとの愛称で呼ばれた彼に対して、9/22に選手会が声明を発表。すでに当時の選手会委員長であったMarvin Millerは2012年に95歳で逝去しており、再び野球界における「非選手」立場のレジェンドがこの世を去ることとなりました。
Dick Mossはハーバード法科大学院を修了後、1963年からはMarvin Millerらが所属していた全米鉄鋼労働組合(USWA)で副法務顧問を経験。(全米鉄鋼労働組合は今現在、日本製鉄によるUSスチール買収で合衆国政府が介入し、揉めに揉めまくっている組合ですな)
その後の1966年、USWAからMLB選手会委員長へ転身を果たしたMillerにリクルートされる形で選手会の法務顧問へ就任。即座に選手年金構造の組み立てやCBAの締結、カートフラッド事件、MLB初の1972年ストライキ…といった諸問題にあたります。
文字通りMillerの腹心として活躍したMossでありましたが、1974年のCatfish Hunterの調停と1975年のAndy Messersmith&McNallyのFAという「保留条項打破」においては最前線で貢献。「史上最強の選手会」と謳われる際には図らずもMillerにばかり焦点があたりますが、Mossもまた選手会に欠かすことの出来ない人材でありました。
そしてMLB選手の労働環境改善に奮起する傍ら、悪徳な代理人が跋扈し始めたことを憂慮し、1977年には選手会を辞して選手代理人へと転身。Nolan RyanやGary Carterといった名だたる選手の契約をまとめ上げました。
中でも印象的なのが、1984年・ロス五輪の委員長を務めたPeter Ueberrothがコミッショナーに就任していた1985年の出来事。年俸抑制を目論んだUeberrothとオーナー陣営によってFA市場を凍結させる密約が交わされた「共同謀議」によって、Mossの顧客であったAndre DawsonやJack MorrisらがFAとなったにも関わらず1件のオファーも受けられない事態に。ここでMossの編み出した数々の奇策が光ったわけです。(以下、当方が過去に投稿した記事からの抜粋です)
このように、オーナー陣営らの圧力に屈しない、選手会畑特有の好戦的な交渉術を持ち得ていた訳ですね。
他で言えば、2004年に決定した禁止薬物検査の導入に際して、Millerとともに大反対していたのも印象的。善し悪しを抜きにしても、とことん選手寄りの人物であったのだなと感じます。
こういった功労者がこの世を去る中、現在の選手会の状況は非常に危ういことは周知の事実。ダイヤモンドスポーツの破綻、Amazonの買収失敗、2025年の放映権収入不透明といった爆弾を抱える2026年末の労使交渉を憂いています。MillerとMossの加護があればいいのですが。
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