小学生の時、【先生に怒られながら描いた絵】
絵とは?
いつから絵に触れているのだろうか?今思うと2023年の1月思うと、生まれた時からなのかも知れない。絵は目で見える全てのモノなのかも知れない。そんな事も特に意識せず生きてきたのかも知れない。時間が経って現れるいくつかの疑問に日々追われながらいつまでも無くならない世界の大きさを痛感する。絵は僕にとって表現ができる自由な世界だ。小学校の頃に先生に怒られながら描いた記憶がある。
小学生の時、先生に怒られながら描いた絵
絵画コンクールだっただろうか?おそらく小学4年生?くらいの時に僕は古い瓦がある一軒家を描いていた。その絵の瓦を1枚づつ色をグラデーションで塗っていた。おそらく緑と青を全体のベースのトーンにして、緑に少し白を混ぜて1枚塗る、またその緑に少し白を足して塗る。地道にすこーしづつ色を変化させて瓦を塗っていた。スケッチは外で教室で色ぬりだった記憶だ。今思えばよく記憶だけで色を塗れたものだwww。その教室では先生が歩いて狭い机と机の間を巡回していた。僕が絵や図工に対してはその頃から習うものではないと思っていたせいか、先生が集中してる僕の邪魔をしてくると思ってしまい段々と苛立ちながら塗っていた。その絵画の時間は2時間くらいだったのか残り時間が少なくなってきたと聞かされて、また先生が横にきた。『よく細くかけてるね〜』と褒めてくれた。
その瞬間、僕は1つ1つ丁寧に塗っていた300個ほどの瓦を赤で上からビャー!とやった。その時先生はかなりのご立腹で『なんでそんなことをするの!』っとあからさまに機嫌が悪くなった。僕は黙り込みを決めた。
小学生ながらの心理
その時の心境としては、書きながら色々と小学生ながらに試行錯誤をしながら描いていた。その先生に見せるまでは黙っていて欲しかった。過程を見て楽しんでくれてもいいけど完成の作品はどうやってできたのかの深みが楽しいのに、先生が分かっている 知っている世界の計りで指示をして欲しくなかった。絵や図工のものづくりには憤る気持ちの捌け口として表現したり、その物の見た目だけでなくそのモノにどんなドラマや思考が隠れているのか考えることの楽しみがある。採点されるものではない世界と思っていたから生まれた怒りだと思う。
その怒りを先生がフムフムと僕の制作過程を上から見ていて気持ちよくなっていたのを悟り僕の描いていた絵をグチャグチャにして攻撃してしまったのかもれない。僕はそれはそれで作品は完成だった。先生は『あのままだったら賞を取れたのにね!』みたいなことを言った。
絵とは
絵には色々な向き合い方があるのかも知れない。僕は一生関わっていくジャンルだと思っている。賞を取るためや勝つため、そういった争うためにやらない。どちらかというとヒーリングであり表現。しかも心の中にある知らない自分を見つける作業なのかも知れない。絵は描くだけでなく生まれた時から見てる、その目で見たもの、そのものでづっと触れながら生きていく。絵として気にしないだけでこの世界は誰かが作った世界、今見てるのは誰かが描いた絵なのかも知れない。
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