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自己保存・脳筋体質

私は絶縁した原家族に感謝していることがひとつだけある。頑健な脳筋の血筋だ。

両親も祖母も頑健な脳筋だった。
父親はテストステロン過多のモンスター脳筋で、50歳くらいの離婚調停の際、20人以上の年齢様々の浮気相手が出てきたらしい。このような明らかに衝動を抑えられない道を外した人間は、別の世界の開拓を目指すべきで、普通の家庭を持とうとするのは誤りだと思う。父親は各地のトライアスロンに参加しまくっており、大会直前になると「追い込み」と称して自営の仕事を放り出して狂ったようにクロスバイクで全国を回っており、私は幼いながらに引いていた。
私はやりたいと言ってもいないのに、「遅筋がすべて」という教育のもと、3歳から水泳教室に通わされ、7歳の初めての自転車では即刻オフロードに連れ出され、ビアンキ乗りにさせられた。
怒られて転びまくって練習させられたのをよく覚えている。
水泳教室は今ではあり得ないスパルタで、毎週月曜日は朝から緊張で偏頭痛になる幼少期であったが、遺伝子には抗えず、結果的に水泳そのものは体が好きになってしまった。

母も母で脳筋だった。母は父から「外で働くな」と言われていたので、恐らくそのストレスから、当時流行っていたビリーズブートキャンプを取り憑かれたようにやっていた。
しかも後年明らかになったのだが、母はずっと基本プログラムと最終プログラムを間違えていた。
「後になるほどすごくラクだわ」と言っていたが、ちょっとは疑えよと思う。
しかも「ビリーバンドじゃ負荷が軽い」と言って、クロスバイクのタイヤを加工してマイバンドとして使っていた。
私もたまに付き合わされていたが、最終プログラムは運動部所属の10代でも普通にきつかった。40歳近い母は最終プログラムを午前中から気軽にやるモンスターだった。美意識も大変高かったので、専業主婦にならずに外で女性向けの運動インストラクターにでもなっていれば、本当に成功していたと思う。

幼少期を共に過ごした祖母も頑健な脳筋で、夜間の2時間散歩の習慣を欠かしているのを見たことが無い。雨が降ろうと雪が降ろうと必ず行っていた。
しかも体を動かしたいという理由で、階段を相当上がらなくてはいけない、上の階に望んで住んでいた。
80歳近いのに足腰が丈夫で、階段を駆け上がれることをすごく自慢していた。祖母は散歩の交通事故で亡くなってしまった。

私も残念ながら頑健な脳筋である。本当は本を読んだり文章を書いたり、絵を描いたりするインドアなことが最も好きであり、運動は別に好きではない。しかし、前述のような親の遺伝子により、運動しないと最も好きなことができない作りで生まれついてしまった。
だから、私は結局中高とほぼ毎日部活に行っていた。バレー部と漫画研究部を掛け持ちしていた。さらに家に帰りたくないため、帰りはわざと数駅前に電車から降りて歩いたりしていた。脳筋である。今も、すぐに近所の山に登る。歩き、走る。毎日チャリを漕いで移動する。
動かないと、家で数時間座って何かをすることが難しい。ADHD気質もあるかもしれないが、体を動かした後なら集中できるので、これは体の要請だと思う。

私の場合、好きで運動するのではない。好きではないから、好きで鍛える人のためのジムだったりプログラムだったり運動理論に全く興味がない。
脳筋とは、脳<体の人間のことである。「脳より体のほうが偉い」ということが決まってしまっている人間のことである。
私の脳は確かに体全体に指令を下せるし、物事を考えられるが、所詮は雇われ店長なのである。
「自由自在に脳を使いたいです!」と申請しても、「まず体動かしてね。その後ならいいよ」と、オーナーである体の許可が必要なのだ。
このシステムはたいへん非効率的なので、この合理主義社会では「脳筋=バカ」であるが、私はこのバカ体質に救われたなと思っている。だから、一応両親に感謝している。

脳筋体質で運動を強要されることで、思考と感情の暴走を防ぐことができるからだ。
プール底のラインを見つめて泳いでいる時、泳ぐこと以外何も考えていない。
バレーボールをしている時、ボールを追いかけて繋げること以外何も考えていない。
歩いている時、走っている時、山を登る時も同様だ。
選択的な思考停止と、感情の停止。
体の本能的な要請だけに従い、肉体に全振りして生命力を研ぐ。
これは私にとってある種の救いになってきてくれたのである。
建設的な良い考えが浮かぶのも、物事に対して深い納得が訪れるのも、いつも運動した後だ。体オーナーが脳の利用を許可してくれたんだろう。

父も母も、そのまた父と母も、そのまた父と母も代々アダルトチルドレンの要素を持つ生きづらい人物だったのは間違いない。
そして私に受け継がれているように、全員体力ある脳筋であったはずだ。 
これは生存戦略、自己保存の一つだったのかもしれない。
体を脳筋システムにすることで、思考と感情の致命的暴走を防いで生命力を蓄え、結果的に生き延びるのである。
私の一族は全員このシステムで、ギリギリの状態でも生き延びてきたんだろう、と早朝に河川敷を歩き終わった後に考えた。




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