コーヒーのはじまり
今日はコーヒーのはじまりの代表的なお話を二つ。
まず一つ目は、エチオピアの山羊飼いの少年、カルディのお話です。
高原の山羊飼いカルディはある時、野生の赤い木の実を食べて興奮し、日夜騒ぎ回っている山羊の群れを見つけました。貧しくいつも心の晴れなかったカルディ。真似して食べてみると、心の悩み全てが消え去り、最も幸福な山羊飼いとなりました。
後に、同じように山羊を見た修道僧が理由をカルディに尋ね、自らもその効力を実感すると、他の僧にもこの木の実を勧めました。修道院の夜の礼拝では多くの僧が居眠りに悩まされていましたが、それ以来、礼拝ごとにこの黒い飲み物を飲むようになり、睡魔の苦行から救われました。
これはアフリカのエチオピア高原発見説です。エチオピアは、四世紀にアフリカで最初のキリスト教国となったため、キリスト教説とも言います。
しかし、イスラーム圏にはコーヒーの発見や誕生に山羊が役割を果たす話は存在しないといわれています。例外として、ある聖者の播いた山羊のクソからコーヒーの木が育ったというのがあるそうなのですが、これはむしろコーヒー豆が羊のクソに似ているからだというシュールな伝説。
イスラーム圏で広く知られているのは、二つ目の伝説、中東イエメンの町、モカの修行僧オマールのものがたりです。
オマールは、イエメンのモカを襲った流行り病から、彼の祈りで多くの人々を救ったにも関わらず、無実の罪でモカを追放されてしまいました。町を追われたオマールは食べるもののない山中で、一羽の小鳥が陽気にさえずっているのを見つけました。そこには赤い果実をたわわに実らせた喬木が立ち、小鳥はその木の実をしきりについばんでいます。一粒くちにすると大変美味しく、心身に活力を与える効能のあることが分かりました。
オマールは名医としても名高く以前からの患者も彼の元に来ていたので、その者たちにもコーヒーを与え、多くの病人を救ったので、ほどなく罪を解かれ、町に戻ると聖者として末長く尊ばれるようになりました。
これは、イエメンのモカを発祥の地とするイスラム教説です。オマールは実在の人物で、庵やお墓もあるそうです。
ただ、東アフリカが原産地であるコーヒーの木が、イエメンに自生しているという内容に疑問もあり、後にコーヒー交易の中心地となる港町モカのコマーシャリズムではないかとの見方もあります。
紅海を隔てて向き合う、中東のイエメンとアフリカ大陸のエチオピア。熱帯植物であるコーヒーの木が分布する、赤道南北緯25度のコーヒーベルトには、ベトナム、インドネシア、ケニア、メキシコ、グァテマラ、ブラジル、コロンビア、他にもたくさんの産地があります。また、コーヒーベルトから外れても、沖縄など日本でも栽培されている地域もあります。
温かいコーヒーが恋しくなる季節がだんだん近づいてきましたね。
秋の長い夜、世界地図を広げて、今手元にある一杯のコーヒーがどうやってここまできたのか、伝説や産地に思いを巡らせてみるのもいいかもしれません。
(参考)
「コーヒーが廻り世界史が廻る」著・臼井隆一郎
「こうひい絵物語」版画・奥山義人 文・伊藤博