世界体操を見て、心の筋肉を考える
世界体操、つまり筋肉の祭典(違う)が始まった。
細マッチョ推しの私は、選手の腕や足をドキドキしながら見ている。
ところで細マッチョって、どこからどこまでなの??
私は心の筋肉なら、以前よりあると自覚がある。
いっぱい怒って、いっぱい泣いて、いっぱい自分を抱きしめた。
私は自分がバカだからダメなんだ、とずーっと思ってきた。
小学生の頃、算数の問題が解けなくてクラスのヤンチャ男子にバカ呼ばわりされたときも、随分と自分を責めた。
家でメソメソしていたら母親から、こんな頭の悪い子産まなきゃ良かった、と言われてさらに心が痛かった。
バカだとこんな風に人から嫌われる。お利口にならなくては!努力して人並みなアタマにならなくては!と。
人に認められて、心の安定、安心を得るには、頑張ることは私にとって大仕事だった。
私は大学ノートに書きまくった!
私はバカだ、恥ずかしい人間だ、いなくなりたい!だってバカだから誰からも必要とされないし、そんな惨めな自分なんか見たくないし、消えたい!
私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!私はバカだ!……
私はバカだ。
ふと、思い出した。
(大切な気づきはいつも、ふと訪れる)
あぁ、そうでした。私はバカでしたね。
おバカ様、こんにちは。おかえりなさい。
昔から私はバカだったじゃん。
必死に努力して、ちょっとデキる人になったからバカを卒業したと思ってたけど、ぜーんぜんだよ。
だいたい他人から「賢くてお利口ね、素晴らしい人」とか言われても嬉しいのは一瞬のこと。
そんな一瞬のために、私はしたくもないことを、言いたくもないことを我慢しながら、何より貴重な自分の時間を使い捨てている。
自分と時間の無駄遣い。
それでさ、バカってなんでそんなに悪いの?
どこがそんなにダメなの?
私はバカである、と認識したとたん、バカの何が悪いのかが分からなくなってしまった。
バカのイメージを暗い陰惨としたものにしていたが、自分のバカを認めてしまったら、自分のバカがかわいく見えてきた。
今は、バカさ加減が愛おしくてならない。
私はこれが本当の自己肯定だと思う(ムキッ!筋肉の音)
私は「一瞬で自分を好きになる方法」とかは信じられない。そういった本を読んだり、セミナーに行ったけど効果はなかった。
今日も私は怒りながら家に帰って来た。
「残業し過ぎてお腹すいた!お母さん!味好み‼️あるぅ⁉️」(古っ!しかもひとり暮らし)
ハッピーターンを食べながら、世界体操を見る(ちょっぴりふしだらな気持ちで)
私にだってやりたいことがあるのだ。
ど素人が集まったヘタクソな劇や、ど素人による演奏会がやりたい。フフフ。楽しそうだ。