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占星術で表記できない人間

占星術とは
「人が高次の存在になるための螺旋階段」とした上で。
では「螺旋階段を登り切った高次の存在」とは何か?
について話します。

以前、次元上昇などについての話は書きましたが
今回お話するのはそういったことではなくて。

「登り切った人間」を「占星術で表記出来ない人間」
と言い直した上で、それはどういった状態を
示しているのかお伝えします。

占星術に精通している方ならお分かりかと思いますが。
占星術に則って360の内容を吟味すると身の回りにある、
例えばイデオロギーなど「人が考えうるだろうどんなもの」
にも占星術的に色分けする事ができます。

つまり、人が人らしく考え、エゴを持ち、生きている限り
占星術の象徴から表現できない人間像は基本的にありません。

大変大それた言い方のようですが、ヨガ哲学などの
「人はエゴがある為に生きていて、
 エゴを昇華するために輪廻転生してくる」
または
「エゴや個性は魂の汚れであり、それを落として返っていく」
という考えからすると占星術というツールによって
人が生きている間の「個性」を網羅できるのは
それほど大それた言い方ではないと思います。

さて、そうなると全てのサインを網羅した人間というのは
「全てのイデオロギーを持っている」というよりも
「全てのイデオロギーとなりうるエゴという汚れを洗い落としている」
と同じ事になります。

「全てを精神的に経験し、理解したからこそ
 それを手放すことができる=全てのサインを網羅する」
と言う意味です。

そんな人間は具体的にどうなるかと考察すれば。
その人は恐らくどんな発言さえも、相反する発言を
自らの中に持っているので、結局何も発言しなくなります。

言い換えると、サインを網羅した精神にとって
一つの発言や行動は、
そのまま他の発言や行動を否定する事になるので
その人は自分で自分を肯定し、尚且つ否定するのです。

つまりその人は、本当に純粋な「ただの人」として
発言することも活動することもなく生きる事になります。

そしてそのような人は、恐らく占星術で表記できないでしょう。

何故なら全ての個性やエゴを払い落としたので、
肉体的に生きているとしても、
魂の話では死んだ人を表しているからです。

先ほどのヨガ哲学によれば、
「人はエゴを存分に味わい尽くし。そして手放すために行動する」
と考えています。それはエゴを無視するのではなくて
エゴに飽きるまでやるということです。

言い換えれば転生は
「何かしらエゴが残っているからこそ、もう一度やりたい事がある。」
というように、生きることです。

つまり。
転生しないということは、もうやりたいエゴがない。

例えていうと、
もうやりつくしたゲームを手放すようなものです。

全てのレベルをMAXにして。
全ての内容をクリアーして。
目的もなくダラダラと遊ぶことさえ飽きた先には、
「もうこのゲームはいらない」
という感覚になります。

これを転生とつなげて考えると
「もう転生はいらない」
という感覚です。

つまり「生きる」ことを必要としていない。
つまり「死ぬ」ことと同義かそれ以上の状態を示しています。

そうなって初めて、最初に示しました占星術の螺旋を
上った先にある、占星術では表記出来ない人間となるのです。

つまり。
「輪廻転生を求めなかった人=解脱した人」
もしくは、
「恐怖や不安もない上で、能動的に全く何もしない人。」
ということになるのではないでしょうか。

その人にはもう、占星術は必要ないゆえに
表記も出来ないのです。

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