ふつうって何?~ノーマルからノーマライゼーション~
文:今井 正人
この度、本誌編集のかたから「障害福祉の普通って何?」というテーマでの執筆依頼を受けて、ペンを取った次第です。
まず、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は高校卒業後、ガテン系のアルバイトを経て損害保険の販売員をしていましたが、25歳の時に事故で脳内出血を発症し重度障害者となりました。
その後の職業を案じて福祉系の大学で勉強する為に独学で勉強し、30歳の時に埼玉の大学に入学し、福祉の教員免許を習得できたので、現在は都立高校で福祉全般や介護についての授業をしております。自分自身が障がい者になったことから障害福祉への興味関心や思い入れが強いために、そのトピックを生徒に教える際は多少熱量を抑えつつ教えるように心掛けていたりもします。
さて、この辺で、本題に入らせていただきます。
まずは「普通」という言葉の定義が必要かと思われますが、日本語の「普通」という言葉が少し厄介です。曖昧というか万能というか複数の意味が混在する単語なのです。また、「一般的」、「平均的」、「代わり映えしない」等のさまざまなニュアンスが含まれています。
このような「普通」という言葉を英語で表そうとするなら複数の単語が必要となってきます。英語の場合、実際には言葉のニュアンスによって使い分けているからです。ここで、これらの単語を掘り下げることは紙面の関係で難しいので、さわりだけを紹介するに留めたいと思います。
1つめは「変ではない」や「異常はない」というニュアンスで使われる「正常の」、「規定の」、「標準の」を表す①「ノーマル」(normal)です。
次は、「特殊ではない」といった「普通」という表現の「一般的なの」、「普遍的な」、「世間一般の」というようなニュアンスで使われる②「ジェネラル」(general)です。
3つめは、「いつもどおりで変わっていない」というニュアンスで使われる「普段の」、「いつもの」、「日常的に見られる」、「通例の」という意味合いの「普通」の③「ユージュアル」(usual)です。
4つめは、「並の」「平凡な」等のニュアンスの「普通」に使う④「オーディナリー」(ordinary)です。
5つめは、「一般社会の」、「公衆の」という意味の⑤「コモン」(common)です。⑤は元々の意味は「共通の」、「共有の」でしたが上記の意味でも使用されます。
最後は、「平均」や「標準」という意味の「普通」で使われる⑥「アベレージ」(average)です。
英語表現での「普通」をざっと紹介しましたが、この中で障害福祉の「普通」を考える上で重要な単語があります。それは①「ノーマル」(normal)の派生語でもある「ノーマライゼーション」(normalization)で「正常の状態に戻す」というニュアンスをもちます。日本語訳では「正常化」「標準化」と訳されます。
この「ノーマライゼーション」の言葉の発祥について述べます。1950年頃、場所は北欧のデンマーク。舞台は劣悪な環境の巨大な知的障害児施設。日本の「厚生労働省」にあたるデンマークの「社会省」障害者福祉政策の行政官のニルス・エリック バンク・ミケルセン(N.E.Bank-Mikkelsem)がその現状を見て「ナチスの強制収容所のようだ」と感じたことがすべての始まりであったとのことです。
実は、バンク・ミケルセンは1944年11月~1945年3月までの4か月間、「ナチスに対するレジスタンス運動」で逮捕、投獄されたていた経験があります。そんな過去の体験を彷彿させるような巨大施設だったようです。そこで、バンク・ミケルセンは施設に収容されている障がい者の親達に働きかけ、「親の会」の結成を提唱し、1951年から1952年にかけて結成されました。これは、世界初の知的障がい者の「親の会」でした。
バンク・ミケルセンは、この親の会の活動に共鳴し、そのスローガンが法律として実現するように尽力しました。1953年にバンク・ミケルセンと知的障がい者の親の会が協同して、福祉サービスの改善に対する親の会の要望をまとめ、デンマーク語で「Normalisering(ノーマリセーリング/デンマーク語で正常化:ノーマライゼーションの意)」というタイトルの覚書を社会省大臣に提出しました。
そうした経緯を経て、1959年に制定された『知的障害者の権利に関するする法律』(通称1959年法)の前文に、この「ノーマリセーリング」という言葉を用い、「知的障害者ができるだけノーマルな生活を送れるようにする」という一文が記載されました。そしてこの法律が世界で初めて「ノーマライゼーション」という言葉が用いられた法律となったのです。このことで、バンク・ミケルセンは、「ノーマライゼーション」の生みの父と呼ばれるようになりました。
バンク・ミケルセンが提言した「ノーマライゼーション」の理念に影響を受け、英文に訳して広く国際的に広めたのが、スウェーデン知的障害児者連盟のベンクト=ニリィエ(Bengt Nirje)です。デンマークの1959年法の前文の「知的障害者ができるだけノーマルな生活を送れるようにする」にという言葉に出会い、その言葉を当時のスウェーデンとデンマークの施設の状態を批判する文書で引用しました。
その後、ベンクト=ニリィエは、ノーマライゼーションを「知的障害者は、ノーマルなリズムにしたがって生活し、ノーマルな成長段階を経て、一般の人々と同等のノーマルなライフ・サイクルを送る権利がある」と整理し、これらを1969年に「ノーマライゼーションの8つの原理」として発表しました。
「ノーマライゼーションの8つの原理」とは、①1日のノーマルなリズム、②1週間のノーマルなリズム、③1年間のノーマルなリズム、④ライフサイクルでのノーマルな経験、⑤ノーマルな要求の尊重、⑥ノーマルな性的関係、⑦ノーマルな生活水準、⑧ノーマルな環境水準。これら①~⑧を実現しなければならないと位置づけました。
ニリィエが、ノーマライゼーションの理念をアメリカに広めたことによって、ノーマライゼーションの概念も世界中に広まることとなりました。
このことからニイリィエは「ノーマライゼーションの育ての父」と呼ばれるようになったのです。この1960年前後の北欧でのノーマライゼーションのムーブメントを「北欧型ノーマリゼーション」(ノーマライゼーションのデンマーク語の読み方)と呼びます。北欧型ノーマリゼーションは1960年前後といった時代背景や北欧と言った地域性もあって「施設福祉」という前提は外せず、ノーマライゼーションの理念は施設サービスのノーマル化を目指し、「質の高い施設福祉」という伝統の延長線上に位置するものでした。つまり、一定限度の「分離処遇」(セグリゲーション)を不可欠としていました。
また、北欧のノーマリゼーションでは,アブノーマルな個人への改善というよりは,アブノーマルな生活条件や社会環境の改善を重視するという特徴があります。
その後、1970代に入ってからアメリカで活発になったムーブメント「自立生活運動」や「反専門職主義」らを唱える批判などを受けてノーマリゼーションは、自立生活を最善のものとし、地域生活を中心とした「在宅福祉」を根拠付ける理念へと変化していき、その概念は再構成されていきます。
「脱施設化」や「自立生活運動」、あるいは「反専門職運動」といった北欧型ノーマリゼーションの「施設福祉」や「分離処遇」とは本質的に相反するものでした。こうした潮流の中でアメリカでは脱施設化や自立生活運動、あるいは反専門職運動と整合性のあるノーマライゼーションが模索されていきました。こうして北欧型ノーマリゼーションはいわば「逆輸入」の形でアメリカ型のノーマライゼーションが模索され、それらの影響下に置かれることとなりました。
そして、こうした新しい潮流を受け、1983年にカナダやアメリカにおける知的障害者福祉分野の研究者、行政官のヴォルフ=ヴォルフェンス=ベルガー(Wolf Wolfensberger)は、ノーマライゼーションに変わる新しい学術用語として、「ソーシャル・ロール・バロリゼーション(Social Role Valorization:社会的役割の実践)」を、提唱しました。ヴォル・ヴォルフェンス・ベルガーのノー・マライゼーション(後にソーシャル・ロール・ヴァロリゼーション)論への変遷も、北欧型ノー・マリゼーション同様の圧力を受けて再構成し続けてきたことを浮き彫りにしています。
また、北欧のノー・マリゼーションでは,アブノーマルな個人への改善というよりは,アブノーマルな生活条件や社会環境の改善を重視するという特徴があります。それに対してヴォルフェンス=ベルガーの目指すノー・マライゼーション(ソーシャル・ロール・バロリゼーション)の特徴は,「個人の能力を高めること」や「社会的イメージの向上」を重視する点です。通常(ノーマル人々)に近い行動や外観をとるなど、文化的にアブノーマルな個人の行動・特性についてノーマルになるよう働きかけることも重要視されます。この点が従来の北欧のノーマリゼーションの流れとの違いです。ヴォルフェンス=ベルガーのノー・マライゼーション論に批判が多いのは、主に彼の思想が「同化主義」に基づいているからでした。「同化主義」とは「障がい者」が適応してくことでしか社会が受け入れないとする思想であります。同化主義を乗り越える思想として考えられるのが、多元主義です。
多元主義とは「障がい者」が社会に適応するのではなく、社会が「障がい者」をありのままで受け入れる在り方をいいます。
この「多元主義に基づいたノーマライゼーション」こそが、今後の障がい福祉分野に求められてくるでしょう。