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ジョン・レノンの遺産


辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、
決断に迷うとき、道しるべが欲しいとき、誰かに励ましてほしいとき。
誰しもこのような気持ちに触れた経験は少なくないのではないでしょうか。


私がBROS JAPAN株式会社を立ち上げてから、来年で20年目を迎えます。
会社の代表として、社長として、一人の男として、「自分が信じるモノ」だけを信じ、貫いてきた信念を揺るがすことなく今日まで20年間、走り続けてきました。

一人の誰かに、本当に良い、心に届く眼鏡を届けるために。

使っていただくほどに感じていただける何かを生み出すために。

鯖江の地で眼鏡職人たちと共にモノづくりの道を選んだあの日から20年。

平たんな道のりとは到底言えないような状況のとき、気持ちが切れそうになり毎日が精いっぱいだったとき、

実はそんな時こそ湧き出てくる、強くて熱い情熱が私の中にあるのです。


私がその眼鏡に出会ったのは、今から約20年前、埼玉県に作られた「ジョン・レノン・ミュージアム」の中でした。

ミュージアム

さいたまスーパーアリーナの一角に作られたジョン・レノン・ミュージアムには、本人のゆかりのギターや衣類や眼鏡などの品々が展示されていました。

ジョンレノンという人物、彼が作る音楽、彼の人生そのものは、私が生きる上で欠かせないバイブスとなっていて、当時眼鏡の企画販売会社BROS JAPAN株式会社を立ち上げてまだ間もなかった私は、当然ジョン・レノンがかけていた「眼鏡」に大変興味がありました。

案の定、様々な展示物がある中で、眼鏡の展示コーナーに惹きつけられた私は、彼が使用していた眼鏡そのものと、さらにその奥に見えた彼の魂に心を奪われ、そこからしばらく動けませんでした。

気が付けば私は館長さんに声をかけ、ジョン・レノンという人物のことや展示物のこと、愛用していた眼鏡のことなど深く話し込んでいました。

私のあまりに強い熱意に圧倒されたのか、館長さんのご厚意で、展示予定のない愛用品まで裏側の保管庫から取り出し、見せてくださいました。


私はそこで「SAMPSON」に出会ったのです。


ジョン・レノンの生き様すべてがその一本に凝縮されたような、信念がそこから放たれているような、そんな感覚に陥りました。

私はそれを目にした瞬間から、この眼鏡を作りたい、この眼鏡に込められた魂そのものを復元させたい、と強く思い、行動しました。

1940年代に開発されたその眼鏡は、一見、ワンブリッジに見えるデザインですが、その裏側から強度補強するためにさらにブリッジが取り付けられている、とても特殊で強固なフレームです。

ブリッジズーム02

さらに、0.01ミリ以下の彫金などその繊細な技術は、大変な職人技を要するものでした。

テンプルズーム02

構想から実に15年、ようやくジョン・レノンが愛用していた眼鏡、私が20年前にミュージアムで出会った眼鏡『SAMPSON』の完全復刻版を完成させ、世に生み出すことができました。


2020年12月8日

この日ジョン・レノンが亡くなってから40年が経ちました。

そして私がその眼鏡に出会ってから20年、

叶うならば、思いと技術が一致した復刻版SAMPSONの存在を彼に伝えたかった、認めてほしかった、手に取りかけてほしかった、と、この節目の年に立ちながら想いを募らせています。

彼に知ってもらうことは叶いませんが、モノづくりに終わりはありません。

これからも、自分が信じる、魂が宿るモノづくりを続けていきます。


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BJ CLASSIC COLLECTION
REVIVAL EDITION
SAMPSON®S    C-6-2F
https://bj-classic-collection.co.jp/product/sampson-s/
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BROS JAPAN(ブロスジャパン)株式会社

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