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NY在住15年目・そもそもなんで移住したのか。Youは何しにNYへ?/自己紹介
noteではNY生活の体験談や、旅行記、サッカーに関することなどを書いていきたい。
まずは、そもそもなんでNYに移住したのか、振り返ると理由は一つではなかった。
アメリカへの憧れ/「Lの世界」の影響
私はセクシャル・マイノリティに属する。レズビアンよりもゲイという方が私的にはしっくりくるのでゲイで統一したい。
15年前私が日本で社会人生活をしていた頃、アメリカのShowtimeというテレビ局が2004年から2009年にかけて製作した「The L Word」(邦題「Lの世界」)にどハマりした。このドラマはロサンゼルスのレズビアンライフをテーマにした性的にもちょっと刺激的なシーンがたっぷりのドラマだった。
せっせとTSUTAYAへ行き、胸を躍らせて新作を待っていたあの頃が懐かしい。(日本で生活していた時はカミングアウトしていなかった)
ドラマの中では、当たり前のように女性同士が堂々と街中でイチャイチャしている。日本ではみられない光景で、ああ、アメリカに住んだらこんなふうに堂々と生活できるのかな?なんて妄想があった。年齢や性別などに縛られた日本の仕事に悩む
日本ではテレビ番組の制作会社で働いていた。ADの仕事は「大変」というひと言では表せないくらい、過酷な日々だった。当時は会議のたびにお茶だしなんてこともやっていて、それがうまくタイミングよくできないと怒られたりした。それなりに楽しい現場もあったけど、今思えば私はあまりうまく立ち回ることができなかったのだろう。ある時、どうしてもやりたい企画があった。それをプロデューサーに提案したが、やらせてもらえなかった。私がまだ若く経験不足だから任せられないとひと言で言えばそういう結論だった。悔しくて、泣いた。ああ、いつになったら自分がやりたい表現ができるのだろうか。そんな気持ちが渦巻いていた。そんな時にNYに旅行「ここに住みたい!」
テレビ界の仕事をしていると、アナウンサーの方とも親しくなる機会がある。NHKの某番組で仕事をしたUさんがNY支局に転勤になった。会社の先輩がNYでUさんの家に泊まらせてもらったと聞いて、私もお願いできないかと聞いたら、すんなりとオッケーがもらえた。(その節はありがとうございます)初めてのNY一人旅。荷物は身軽な方がいいと思っていたのだが。某番組のスタッフルームで私がNYにいくというと、プロデューサーにUさんに渡してほしいものがあると言われた。「いいですよ」と返事をしたら、5キロの米だった。5キロの米が入ったスーツケースを引きながらNYに着いた。旅は約1週間。1週間全部Uさんにお世話になるのもどうかと思ったので、マンハッタンにあるYMCAのドミトリーに2泊泊まる事にしていた。部屋に入った瞬間、気持ちが落ち込んだ。暗い。なんか刑務所みたい。なんで、NYまで来てこんなところにいるんだろうか、待てよ、外は刺激的で楽しいんだから外に出ればいいのだ。と思って外に出た瞬間、「あれ?◯ちゃん?」Uさんから声をかけられた。
マンハッタンの人口はわからないがものすごい確率で出勤中のUさんとドミトリーの前でバッタリ会った。「今日ついたばっかりです。2日後にお世話になります」そんな会話をしたような気がする。Uさんの家にお世話になるまでの間、マンハッタンを歩き倒した。特に刺激的だったのは人種の多様さだ。チャイナタウン、リトルイタリー、リトルインディアなど、多種多様の人たちが暮らしている。ウキウキの日々だったが歩き疲れて戻る場所は刑務所のようだった。そして、ついに移動日、Uさんのアパートメントはゴージャスだった。ドアマンもいるし、眺めも最高。プールのあるジムもあった。泊まっていた刑務所からの差はハンパなかった。Uさんのお仕事にも同行させてもらった。Uさんが英語で街の人に話を聞いたりしている姿を見て、かっこいいし、やりがいがある仕事だと思った。
私も「NYの多様性の素晴らしさ」を日本に伝えたい。単純にそう思った。日本が多様性に寛容になれば、マイノリティも生きやすくなるかもしれない。
NY滞在の最後の夜、Uさんと話をした。悩める私にUさんが言った
「◯ちゃんも、NY来ちゃえば?」
その旅行から2年後、私はツテもなくNYに移住した。(誘ってくれたUさんは私と入れ替わるように日本に帰任したのだった。)私の恋愛は実らない、であれば日本を離れよう
私は自分がゲイであることをちゃんと自覚したのは、遅めだった。
なので、新宿二丁目にもほとんど行ったことがなかった。同じセクマイ友達もいなかったので、かなり孤独であった。家族にも言えない。
恋心を抱いていた友達がいた。でもゲイではなかった。それでも気持ちは消えてなくなってはくれない。同じ東京に住んでいると会える距離だからだ。この気持ちは私が海外に行ったら無くなるかもしれない。そう期待した。
そして、漠然と思っていた。「いつか家族にカミングアウトするときは、人生のパートナーを見つけ日本に連れて行って紹介しよう、、、会えばわかる」
そしてその夢は叶ったのである。
その話はまた別の機会に。これからのんびりと更新していくつもりです。