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ナンバーガールにハマれないまま生きている 2024
これの続き。
どの記事がどれくらい読まれたとかあれこれわかるんだけど、
2021年に書いた、この「ナンバーガールにハマれないまま生きている」がいまだに読まれているらしい。
理由がさっぱりわからない。
そのnoteを書いた1年後にはまた解散してるよね、ナンバガって。
これを書いたことはすっかり忘れていたので、
昔の自分は一体どんな失礼なことを書いたのかとおそるおそる読み直してみたけど、
正直、今でも共感しかなかった。
つまり、もう先に言っちゃうと、
私はいまだにナンバーガールにハマれないまま生きているわけである。
ただ、ちょっとだけ変わったこともある。
メンバーの解像度が、ほんの少しだけ高くなった。
逆に言えば、それだけ。
具体的には、ドラムのアヒトイナザワさんの印象が大きく変わった。
きっかけはsyrup16g。
というのも、いつもnoteにしつこく書いているように、
私は大のsyrup16gファンである。
シロップのドラムの中畑さんは、
ナンバガ(元ナンバガと言うべきなのか?)のドラムのアヒトイナザワさんがボーカルのVOLA & THE ORIENTAL MACHINEの正規メンバーでもある。
というところから、今年はちゃんとVOLAを聴いてみたり、
アヒトさんのSNSをフォローしてみたりして、
以前よりはアヒトさんのことを知ったのだ。
最近自分が趣味でドラムを叩いていることもあって、
プロのドラマーとはなんぞや?
という興味から、アヒトさんが上げているドラムの演奏動画を見て学んだりもした。
結構ちゃんとSNSを見ているわけだ。
そうしてわかったことは、
私が想像していた人柄とは全然違った、ということ。
もちろん良い意味で。
トラックのドライバーをしながら音楽活動もして、
可愛い猫ちゃんとのんびり暮らしていて、
ファンからのコメントにも優しく返信されていて、
そして何より、今年の頭に、パニック障害を患ってしまったらしいというところに、
なんだかすごく親近感が湧いた。
ご病気の話はセンシティブなので触れづらいが、
過去に私も同じ病気を発症してしまった経験があったので、
なんだか急に人間味を感じた。
少なくともアヒトさんに関しては、
めちゃくちゃ印象が変わって、抵抗感は少なくなった。
というところから、
私がナンバーガールにハマれないのは、
音楽のジャンルはもちろん、
メンバーの人柄に対して結構偏見があったことも理由の一つなんじゃないかと思った。
正確には、
偏見、とも違うんだけど、うーん。
ファンじゃない程度の人間が頑張らなくても手に入るくらいのレベルでしか、メンバーの情報を知らなかった。
私はシロップの他にもART-SCHOOLも大好きなんだけど、
どちらにも共通しているのが、
フロントマンがめちゃくちゃ人間くさいということ。
自分の情けない部分や汚い部分もさらけ出せてしまうような、
そういう優しさが音楽に表れているような気がするのだ。
一方、ナンバガって、私にとっては全然人間くさくない。
とっても無機質に感じられる。
その理由はいまだにわからない。
ファンの人たちからしたら、
「いや、めちゃくちゃ熱い人たちだよ!」とか
「むしろナンバガの音楽はエモでしょ」とか
感じられるのかもしれない。
というか、おそらくそうなんだと思う。
私のアンテナがぶち壊れているだけで。
だけど私はファンではないのでナンバガについて詳しく追ってないし、
おそらくアンチでもない。
ファンではないが音楽としては聴いたことがある、
程度の立場の私からしたら、
ナンバガは他のバンドと違って相当無機質に感じられてしまうのだ。
それは、もしかしたら、
向井さんのあの独特の雰囲気に引っ張られてるのかもしれない。
とはいえ、
向井さんがYUIの『CHE.R.RY』をカバーされてる動画を見てみたり、
向井さんと椎名林檎の対談を見てみたりもしたわけで、
「マジでどこかで一回くらいはナンバガを聴いたことがある」程度の人よりは、向井秀徳について知れたとは思うのだが、
それでもやっぱり印象は変わらなかった。
何故そんなに無機質さを感じてしまうのかは、
たぶん今回は答えが出ないと思うが、
それもハマれない理由の一つとしてあった、ということはここに記録しておく。
また長くなりそうなので、
もう既に割愛したい気持ちが湧いてきたのだが、
他にも「ハマれない理由」として心当たりがいくつか出てきた。
一つ目、アヒトさんの存在。
おそらくこれは、
(いるのかいないのかわからないが)ナンバガにハマれない同志からもあまり共感してもらえないと思う。
さっきも書いた通り、
私の大好きなシロップのドラムの中畑さんはVOLAのドラムでもある。
そして、そのシロップは、かつて一度解散している。
当時の私は、
シロップの解散原因はどう考えてもVOLAの存在が影響していると勝手に思っていて、
中畑さんがシロップを捨ててVOLAを選んだのだと、
そういう風にしか思えなかった。
もっと言えば、中畑さんは、自分がドラムを叩く活動のフロントマンとして、
長年連れ添った五十嵐隆ではなくアヒトイナザワを選んだのだ、と思っていた。
中畑さんに対しては、失望にも近い感情があった。
もちろんめちゃくちゃ身勝手なことは重々承知の上で書くけれど、
シロップファンの私からしたら、
自分たちから中畑さんとシロップを奪った(と勝手に思っていた)アヒトさんの存在が嫌で嫌でたまらなかったのだ。
…が、これに関してはもう時効。
たぶんシロップの解散理由はそれだけじゃないと思うし、
いまだに語られないってことは今後も語られないと思うし、
ファンが知る由もない事情がたくさんあったのだろうと、
今ならそう思える。
当時の私には思えなかった。
仮にVOLAがシロップの解散理由だったとしても、
それはアヒトさんのせいでは決してないはずだし、
上に書いたようにアヒトさんの優しい人柄もようやく知れたので、
この点においては、私の中では終決。
今現在、ナンバーガールにハマれていない理由ではなくなりました。
二つ目、世代や環境の問題。
おそらくナンバガが活動していた時期は、
私がロックを聴き始めるより少し前で、
私にとって音楽が趣味になった頃はむしろもう、ナンバガフォロワーのアジカンの方が大人気バンドになり始めてるくらいだった。
ナンバガを好きな人は、
「ナンバガは日本のロック史を変えた」
とよく私に言ってくるのだが、
私はむしろ、ナンバガフォロワーの音楽から入ってしまったので、
そのあとからナンバガを聴いても、
リアルタイム世代が感じていたような「新鮮さ」だとか「唯一無二感」みたいな価値を見出せなかったのだと思う。
実際、ナンバガのサウンド自体に抵抗はない。
逆に初めてナンバガを聴いた時は、
「よくある感じ」とか失礼ながらに思っちゃったくらい、
私の世代では既に広まったサウンドだったのだと思う。
それこそ私が大好きなART-SCHOOLとかも、サウンドとしてはとても近いものを感じる。
というところから、
ナンバガが日本のロック史を変えた時代を味わってないので、
そこに魅力を感じられないのだと思う。
三つ目、歌詞。
これは考え方が難しい。
ナンバガの歌詞に全く惹かれないことは事実だし、それは今も昔も変わらないのだが、
「歌詞に惹かれないからこの音楽は聴かない」というケースは、大人になってからの私にはあまりない。
特に、近年の私はK-POPなんかもよく聴くけど、
もちろん韓国語の歌詞なんて全くわからない。
だが、それでも関係なく好きで聴いている。
ということは、歌詞の魅力自体はあまり関係がないということか?
これを書いていて思ったのだが、
K-POPはそもそも母国語が違うので言葉を重視しないから他の要素で魅力を見出しているが、
ナンバガは日本語の歌詞なのに言葉が刺さらないから魅力を感じられない、
という可能性もあるなと思った。
あと、私が女性だから…?
ナンバガの歌詞って、どうも私からすれば、
「冴えないけど内に秘めたるものを持っている田舎の若い男の子」という印象を受けてしまうのだが、
私がその人物像に全く該当しないからだろうか。
果たしてナンバガの女性ファンは、ナンバガの歌詞に対してどう思っているのか聴いてみたいところではある。
そしたら何か新しい着眼点を得て、ハマれるのかもしれない。
四つ目、向井秀徳の男性像。
そもそもロックバンドやミュージシャンをアイドル視したり異性としての魅力を見出すことは微妙な行為なのかもしれないが、
まあ人間なのでそこを切り離すのも難しい。
私の、ロックを生きる男性に対する理想はめちゃくちゃわかりやすく、
ずばり、五十嵐隆や木下理樹みたいな、
ああいう感じなのだ。
おそらく向井さんは、全く違う…はず。
なので、フロントマンである向井さんに異性として一切興味をそそられないことも理由の一つかもしれない。
五つ目、神格化されていること。
これはよくある話だろう、
「アーティストよりもファンの方が嫌いだからアーティストまで嫌い」
という話に近い。
ナンバガのファンの方々を嫌いだと思ったことはおそらく一度もないのだが、
それにしても神格化されているなとは思う。
今年はよく「◯◯が選ぶ日本の名盤」だとか
「総勢◯◯名が回答、音楽史に残すべき名盤」だとか
そういう情報を目にしたんだけど、
ほとんどの確率でナンバガが入ってたと思う。
ちょっと話は逸れちゃうけど、
たぶんナンバガよりもランクイン率が高いのが「はっぴいえんど」「Cornelius」「ゆらゆら帝国」だと思う。
どれも私は好きなんだけど(特にゆら帝)、
だけど、もう良くないですか?と思うのだ。
それ言っておけば通、みたいな雰囲気。
音楽語るならそこは絶対に通っておくべきだろ、みたいな同調圧力。
これがめちゃくちゃしんどい。
そのせいで、なんかもう最近は好きだったはずのゆら帝ですら拒否反応を覚える。
おそらく私の中ではナンバガでもそれと同じ現象が起きていて、
音楽シーンや音楽業界の人や音楽に詳しいリスナーからの「ナンバガは最高」みたいな発信が多過ぎて食傷気味なのだ。
もちろん、神格化されているだけではなくて、
実際にそれほど素晴らしいアーティストなのだろうということは知識としては理解しているが、
ただでさえ刺さってない私にそれを言われると、
刺さってない自分の感性が間違ってるとさえ思えてきてしまうし、
「私はナンバガ好きじゃない」と言えない、言わせないような空気がある気がするのだ。
というか、私がお世話になった軽音楽部周りでは本当にそういう扱いだった。
これらを踏まえて、
やはり2024年の私もナンバーガールにはハマれなかったのだが、
ハマれてない音楽にここまでの熱量で分析してることはもはやハマれているのでは?とすら思えてくる。
それこそが、
私がナンバーガールにハマれない理由であり、
みんながナンバーガールにハマる理由なのかもしれない。
書きたいことは結構書けた。
おそらくもう続編は書かない。
何故ならきっと、今後も私はナンバーガールにハマらないと思うからだ。