霧積温泉
本日は霧積温泉金湯館の話。
霧積(きりづみ)の名は、西条八十の「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね/ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで/谷底へ落としたあの麦稈(むぎわら)帽子ですよ」で始まる詩に出てくる。ちょっと古いがこのフレーズは映画『人間の証明』(松田優作の出世作)のモチーフに使われたことで大変有名になった。『人間の証明』はその後何度もテレビドラマ化され、金湯館はそのたびにロケ地となっている。
霧積温泉金湯館 は、私の秘湯へのこだわりの原点でもある。金湯館こそ秘湯に関心を持つきっかけをつくってくれた大事な場所である。今すぐに行きたい大物秘湯を問われれば、多分、金湯館、紅葉館(鹿沢温泉)、長寿館(法師温泉) を挙げるであろう(全部、群馬なのだ)。
私の場合、横川駅前の荻野屋本店からスタートする。トレーニングなのでここから休憩なしの連続走行だ。
横川駅から霧積温泉までは、約700メートルの標高差、距離14キロ、交通量も殆どなく、ヒルクライムのトレーニングにはうってつけである。そして、その湯は優しいヌル湯なのだ。夏の暑い日、火照った身体で浸かるのにもってこいだ。
旧・中山宿を通過して霧積への分岐を過ぎると、暫く廃線となった旧信越線の碓井峠区間と並走する。
急勾配を登って、霧積ダム。
新緑の山道を往く。
一般車両通行止めの林道に入り、霧積の谷の最奥をめざして最後の急こう配を20分ほど登攀していくと、ついに新緑の木々にうずもれるように佇む金湯館が見えてきた。
あいかわらず渋い佇まいだ。
玄関でブロンプトンを畳み、受付を済ませて風呂へ急ぐ。
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泡付のよい炭酸泉である。湯口のあたりに陣取ると、体中に二酸化炭素の泡が付く。湯口のまわりだけ濁っているのがわかりますが。これ、細かい気泡です。
湯温はヌル目の摂氏38度程度。濃い温泉なのでいくら長湯をしても浸透圧の原理により皮膚はふやけることがない。極楽極楽。
霧積温泉の開湯は江戸末期であるそうだ。以後、湯治場として栄え、明治21年(1888年)には、十数軒の旅館、政界人・文人・外国人らの別荘が建ち並んで避暑地として華やぎ、先に触れたように西条八十の詩や与謝野晶子の短歌にも詠まれた。しかし、明治26年(1893年)に信越本線が開通して軽井沢に駅ができたため、交通の便のよい軽井沢が人気の避暑地として繁栄するようになった。霧積温泉は華やぎを徐々に失っていった。さらに、明治43年(1910年)に起こった山津波(土石流)で殆どの家屋が流されて温泉町としては衰退が決定的となった。今は金湯館、一軒のみである。