【奥州白河】街道を(ちょっとだけ)ゆく【奥州街道編】
ども、ゆさっちです。
今回は、鉄分薄めです。
その代わり福島の歴史模様について、半可通な知識でお話します。
歴史に詳しいかた、お許しください。
もちろんご指摘、ご教示歓迎です(´∀`)
そして今回、長いのでお暇なときに読んでくださいね。
いつもどおりの日曜の朝。
特に予定のないゆさっちは自宅でゴロゴロしてました。
(‘ω’)三(ε: )三(.ω.)三( :3 )三(‘ω’)
おかたづけをしていた奥様。
「ちょっと、そこでゴロゴロしない!片付かないから。」
おかたづけは超苦手、やれば逆にどんどん散らかしていくゆさっち。
奥様も最初から戦力として期待していません。
「お願いだから、電車で徘徊してきて、その間にやっとくから。」
ヽ(´▽`;)/=3=3=3=3 はーい
日曜の朝にノープランのまま、うちを追い出され、駅まで来てしまいました。
「どこに行こうかなー・・」
「うん、ずっと前から気になってたあそこに行こうかな、地元福島なのにnoteでもご紹介していない地域だし。」
詳しいアクセス情報もないけど、新幹線を新白河で降りればなんとかなるでしょう。
追々調べながらいきます。
てなわけでやってまいりました。
新白河駅です。
車中、調べた結果では、往路はタクシーで行くしかないようです。
移動時間約20分、今日最初の目的地に着きました。
で、ここはどこかというと「境の明神」、地図を見ながら説明したほうがいいでしょう。
福島・栃木県境(点線)をはさんで、2つの神社がありますね。
ここには奥州(東北)と関東を護る神様がそれぞれ祀られているのです。
福島側の住吉神社には衣通姫命(そとおりひめのみこと)、女神で東北を内側から護る神様です。
栃木側の玉津島神社に祀られているのは中筒男命(なかつつおのみこと)、男神で関東を外敵の侵入から護る神とされています。
地図では離れているように見えますが、実際は2つの神社の敷地はぴったりと寄り添っています。
この2つの神社を総称して「境の明神」というのです。
では、早速福島側の住吉神社に詣でましょう。
外はカンカン照りの強い日差しが射していますが、境内は木々が覆い、鬱蒼としていて、ここが神域であることを感じます。
この立派な灯籠は、ここを通過した参勤交代の大名たちから寄進されたものとか。
街道筋を見守っているかのような狛犬、今日も奥州と関東の平和を護っているのでしょう。
さて、境内を出るとそこは県境です。
栃木側の玉津島神社にやってきました。
こちらは過去に社殿が火事で焼失したようで、比較的新しい印象です。
入口から県境を望みます。
彼は太古から、沈思黙考し、この国境で行き交う人々を見守り、国境の平和を祈っているのかもしれません。
念願の参拝をすませ、直近のバス停までは徒歩です。
距離は1kmほど、健常者の方なら問題ありませんが、ゆさっちは膝が悪く、ちょっとだけ歩行が不自由なのですが、まぁ焦らず急がずゆるゆると行けば大丈夫でしょう。
「ここからは栃木県那須町だよ」
「これよりは白河領である」
いにしえからの石碑が現代の道路標識とコラボで、いまだに境界を示す役割を果たしているかに見えるのが印象的でした。
国道294号線を歩いて北上します。
ここはかつての奥州街道。
道は拡幅され舗装されましたが、沿道の里山の風景はずっと変わっていないのかもしれません。
参勤交代のお大名や諸国を行き交う旅人も、松尾芭蕉やご老公、助さん格さん、弥七や八兵衛もこの景色を見ながら奥州へと歩を進めたのでしょう。
そして、奥州最初の宿場町、白坂宿(しらさかしゅく)に到着します。
バス停に到着。
民家の軒先にひっそりとバス停がありました。
しかし、これが奥州街道の東北側の入口となるバス停なのです。
バスは平日2本、休日4本。(白坂止めはここが終点)
太川陽介さんと蛭子能収さんの旅なら高確率でここでエンドロールが流れるでしょう。
バスを待っている姿がもの珍しいのか、近隣住民の方の視線を浴びます。
人生の超大先輩とおぼしきマダムから
「おにいちゃん、どっから来たの?」(*´▽`*)とのお声がけ。
「あ、ども国見町っす。」
「国見???????????」(´ºωº`)
5秒ほど間が空いて
「あぁ!国見ね、遠くから来たね、車で来ないと大変でしょ。」(´∀`; )
同じ福島県だけど、ここは奥州街道最南端、我が国見町は福島県の街道最北端なのです。
御馴染みの地名ではないようです。
この辺の方にとっては隣県の那須町や那須塩原市の方がピンとくるのかもしれませんね。
福島って広いんです。
マダムと話が弾むうちにバスがやってまいりました。
時刻は11:25、平日であればこれが終バスとなります。
白河駅までは約40分、その間乗客は自分だけでした。
この便の総収入430円也。
白河駅に到着しました。
この駅舎、ダイハツの ムーブキャンバスという軽自動車のCMで舞台になってました。
かわいい駅舎でしょ。
さて、時刻は12:00、お昼ごはんです。
白河といえば、喜多方と並んでラーメンが有名なのですが、さっきまで強い日差しの中を歩いてきたので冷たいおそばが恋しいです。
白河はおそばも美味しいのですよ。(´∀`)
で、駅近くのおそば屋さんにやってまいりました。
お腹がすいていたので、7段の割子そばを頼みましたよ。
ででん!
割子の数だけ、天ぷらや身欠きニシン、山菜等トッピングがあって、多彩な味の変化が楽しめましたよ。(´∀`)
さて、白河駅からはJRの白棚(はくほう)線で棚倉(たなぐら)町を目指します。
白棚線は東北本線の白河駅と水郡(すいぐん)線の磐城棚倉(いわきたなくら)駅を結ぶ路線です。(駅名の棚倉の「く」は濁りません)
とは言え、白棚線を列車が走っていたのは戦時中の1944年まで、不要不急路線と認定され、レールは剥がされ物資や兵器に転用されました。
以降、この路線はバスが結んでいるのです。
その形態が少しユニークなので追々ご紹介しましょう。
さあ、バスがやってきました。
運行するのはJRバス関東、制服がJR東日本のものに似ていて、駅員さんがバスを運転しているような錯覚があります。(*´∀`*)
バスは国道289号線に沿って棚倉町を目指しますが、やがて国道を逸れて小道に入ります。
実はこの小道こそが、かつて列車の走っていた線路跡で、今はバス専用道になっているのです。
左の白い車が走っているところが国道289号線なのです。
これって、今風にいえばBRT(Bus Rapid Transit:バス高速輸送システム)ですよね。
ここでは大昔からこの形で運行されています。
やがて、田園風景の中へ、一直線に伸びる専用道がかつてここが線路だったことを物語っています。
当時は画期的な運行形態だったのでしょうが、いろいろと問題点も見えてきます。
この専用道はお役所の公共事業で維持補修されるのではなく、JRバス関東が直接メンテナンスしなければなりません。
除雪もそうです。
正直、公共事業に比べ、お金をかけられないので、道はまあまあ荒れています。
乗り心地的に乗り物に弱い方は酔いますね。(´∀`; )
かつて踏切だった地点では専用道とはいえ逐一、減速や一時停止して安全確認をしなければなりません。
そんなこんなで、併走する国道が快適に流れているのに、バスは窮屈そうにわざわざ専用道を走っているのです。
一般道の整備状況がよくないころは画期的だったんでしょうね。
また、路線バスは柔軟に住民のニーズを反映した路線作りができますが、このシステムだと、以前からの駅以外に新設された停留所は、必然的に何もないかつての線路端に作らざるを得ないのです。
こういう現状を見てみると、長い目で見た場合のBRTの将来ってどうなのかな?と思うときがあります。
でも、線路跡をバスが走っている様子はユニークで、わざわざ乗車する価値ありますよ。(´∀`)
白河からは40分ほどで磐城棚倉駅に到着です。
ここからJR水郡線と東北本線を乗りつげば帰宅できますが、もう少し探検しましょう。
駅で一休みしながら、行き先を考えます。
「そうだ、棚倉と言えば城下町、棚倉城址って見たことないな。」
では行ってみましょう。
駅からは徒歩10分くらいです。
お城に至る道筋は城下町らしく、至る所でクランク状に曲がっています。
そして城のお堀に到達します。
予想外に広く、大きなお堀です。
ここは城主がころころ変わりましたが最終的には阿部氏が10万石で入城し、戊辰戦争を迎えています。
それに見合う構えというか、石高以上に立派なお堀と感じました。
江戸時代、現在の福島県は北からの侵入に対して幕府を守る防衛線で、親藩・譜代の精鋭が配置されていました。
会津藩23万石(インチキでほんとは約50万石)、白河藩が10万石(いずれも戊辰戦争直前時点)、棚倉藩はこれらに並ぶこの地域の雄藩なのです。
看板に城の平面図がありました。
内外に堀を巡らせ、三の丸まである立派なお城だったようです。
城跡の中心まで上がってきました。
構築物はなく、大半が更地になっています。
会津若松市の鶴ヶ城のように観光のために鉄筋コンクリートで再建されることはありませんでした。
そのことが逆に、栄枯盛衰を感じさせます。
一部は公園として遊具が整備されています。
日曜の午後、遊具では子供が遊び、ベンチでは高校生のカップルが「青春」しています。(´∀`)
そういや「境の明神」の2人の神様も男女の組み合わせでしたね。
ふたり仲良くこの地域の平和を見守ってきたのでしょうか。(´∀`)
しかし、そんな思いもむなしく、戊辰戦争では会津や、白河、二本松と並んで激戦地となり、北に備えた精鋭を揃えたこの城は南からの板垣退助率いる最新鋭装備の官軍の猛攻撃に1日で落城してしまいます。
公園のベンチで子供達が遊ぶ、平和でのどかな光景をぼんやり見ながら、この城の歩んできた歴史に想いを馳せます。
いままた平和を取り戻したこの地を、2人の神様はどう見ているのかな?
そんなとりとめも無いことに想いを馳せていました。
♪(着信音)
「あ、奥さん?かたづけ終わったの?じゃあ帰るね、おみやげ?おいしそうな和菓子みっけたよ・・・。」
では今回の旅は、この棚倉城址でお別れしましょう。
旅三昧の生活だと、家族へのお土産はマストアイテムですよ(ひそ)
(´∀`)
ではまた、次の旅でお目にかかりましょう。
次回は鉄道の旅に戻ります。
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