ほとんど頭に入ってこない小説
いっそつまらないと言って欲しい。
ひと思いにつまらないと言ってもらえたらどんなに楽か。
僕はもうかれこれ15年くらいは小説を書くことで口に糊して生きてきた。
だからこそ余計に不思議でしょうがないのだ。
デビューは、ある文学新人賞で審査員特別賞を受賞したのがきっかけだ。
当時の講評にはこうある。
『私はこれまで豊富な多様性に彩られた数々の新人作家の小説を読んできたが、ここまで頭に入ってこないものは初めてと言わざるを得ない。この小説の書き出しから終わりまでが、袖擦り合うそぶりすらなく、私の脳を素通りしてゆくのだ。その衝撃はとどまるところを知らず。単に怖いもの見たさというだけに飽き足らず、オープンなマインドで、未知なる何かを発見したというふつふつとした思いを今なお禁じ得ないのである』
という読めば読むほどディスってるとしか思えない内容の高評価がいただけたおかげだ。
受賞の喜びが優っていたせいで、なぜ、シンプルにつまらないと言ってくれないんだろうとその時は思えずじまいになってしまった。
今思えば、それが苦しみの始まりだった。
その受賞理由も話題を呼び、僕のデビュー作『居留守』は順調に版を重ねていき、その年の『下半期に売れたものなのに上半期に売れたと思っていたランキング』で1位を獲った。
ようはあんまり覚えてないんだろう。そもそもなんでこんな誰も幸せにならないランキングを取る必要があるのか。
でも確かに僕もどんなものを書いたかなんとなくしか思い出せない。手元にその本があっても、だ。
まるで意識という難しい岩場に手がかりも足掛かりもなしでクライミングするような文字の羅列。
何度繰り返し読んでもやはり全く頭に入ってこない。なんで売れたんだろう。
それでも発行部数という数字は揺るぎないもので、各社からどんどん次回作の話が来た。
僕と同じ頃にデビューした同期にはなだだるメンバーがいて、それこそ黄金世代ともてはやされたけど、その中でも抜群のスタートダッシュを僕は切っていた。
担当にはよく、自分の長所をどんどん生かしていくと良いと言われていたし、また僕も今と違って若かったので、怖いもの知らずなところもあったのだろう、余勢をかって持ち前の『ほとんど頭に入らない』ことを武器にがむしゃらに突き進んでいった。
悩み始めたのは五年目くらいからだろう。
ちょうど作家としても新たな方向性が求められる時期だ。
なぜ自分が“ほとんど頭に入ってこない小説”を書き続けけているのかが急にわからなくなった。
周りからは「働きすぎだよ」とか「気にしすぎだよ」とか言ってもらったりしたけど、そうことじゃなかった。
ギリギリの精神状態の中で、もがき苦しんで、そんな日々の中からそれでも何か言葉にしたいとか形にしたいとかそう思うものが出てきて、
そしてもうこれで最後と思って書いたのが世界的な大ベストセラーとなった『ルイス』だ。
もうあんなのは書けないと思う。
誰一人としてこの本のあらすじを書けなかった。当時、帯の推薦文を書いてくれる予定だったAIが書けなくて居留守を使ったのは有名な話だ。
世界中の誰の頭にも入ってこないものがこんなにウケるとはいったい誰が予想しただろうか。
いや、そうだ、この事実だけで、もはや革命なのだ。文学的革命。
僕の筆を折る時が来たのだ。
果たして、それは音も立てずに折れた。もともと何を書いてるのかわからないんだからそんなものだろう。
そして僕は表舞台から姿を消した。
消し続けるつもりで……。
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