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創作の独り言 キャラクターが動き出す


 創作において「キャラクター」は非常に大切なものである。その作品の魅力にもなるし、物語がどのようにして進展していくのかを左右するとても大切な要素であり、ある意味では創作の核となる部分でもある。

 このキャラクターがどのようにして作られるのかということは、それぞれの創作者によってかなり違うと思う。自分の好きなキャラクターを想像して描くとか、場面状況に合わせて作っていくとか、本当に多種多様であるが、時折そのキャラクターが創作者の手を超えて動き出す場合がある。こと創作においてはそのようなことが起きる。これに関しては私個人の感想であるとしか言いようがないが、不思議とそのように表現する人は多い。

 このキャラクターが想像を越える事は、ある意味で分裂的な精神病質に近い物があると思う。自分の精神的な領分を遥かに超えて、自分が作り出したキャラクターが行動を始める。具体的に言うと、自分が想定していた物語の進みとキャラクターの行動が乖離して、最終的に物語の展開そのものが変わってしまう事がある。それが吉と出るか凶と出るかは蓋を開けてみるまでわからないのが玉に瑕だが、それでも自分の中にある思考の外側にあるものが表現できる唯一の可能性でもある。

 ある意味では、そのキャラクターの中での常識と、自らが持ち合わせてきた常識は全く違う。だからこそ、新しい行動が始まり、最終的にそれが些細なズレへと変わっていくのだろう。いわばキャラクターを精巧に作っていくことは、自分自身の常識の手を離れることになる。

 このような事を意図的に起こす方法を未だ私は知らないが、少しでもキャラクターが勝手に行動する可能性を上げる方法は知っている。それは、キャラクターに大量のリアリティを盛り込むことだ。

 このリアリティは「情報を与えること」である。事前にとまでは言わなくても、物語が構築されていく過程において積み重ねていくだけでも効果を発揮していくだろう。勿論事前にそれを組んでおくことでキャラクターを動かすことに整合性を持たせることができるし、整合されたキャラクターの行動が更に新しい「キャラらしさ」に繋がっていくと考えると、キャラクターとして深堀りして作り出しておくのはあながち大きく外れてはいないだろう。
 ところでこのキャラクターが動き出すという現象は、感化できる人とできない人がいると思う。同じような創作に取り組む上でどうしてこんなにも感覚に違いが生じるのだろうか。専ら私はキャラクターが勝手に動き出してあれやこれやするタイプの創作者であるが、時々意図的にキャラクターを動かすこともある。

 しかしそれで物語を組み立てていくのはかなり難しい。大体の場合はキャラクターの行動がまちまちになり説得力にかけてしまうか、キャラクターにそぐわない行動を取らせてしまったことにより、ご都合主義的な展開になってしまうかのどれかであろう。noteにおける記事で私は「あらゆる偶然が必然性を持って作り出されるものが物語である」としているが、物語はキャラクターがそれぞれの行動を取り、それが原因で最終的に物語としての筋が生まれる必要があると考える。キャラクターを作者の意図で動かすということは、そもそもこの根本的な部分に抵触してしまうことにもなりうる。

 そうなってしまえば途端に陳腐化してしまうことだろう。情に厚いキャラクターが、この先生存していると困る味方キャラクターを無意味に見殺しにしない。もし仮に何かしらの理由づけがなければ、まるで別人が宿ったかのような恐怖に晒されてしまうことだって考えられる。描写されているキャラクターの行動、言動、それら一つひとつがキャラクターを浮き彫りにしている情報になるのだから、そこに作者の意図という他人の意志が混ぜるのは非常に困難だ。

 一方でそれは創作において大切な能力の一つである。物語として大きな筋を作り出すことにキャラクターが必ずしも都合の良い動きをするとは限らない。どうしても、他人の意識に自らの都合を混ぜ込むタイミングが来ることだろう。そのときに、キャラクターの意識を変容させずに物語に入れ込むことは困難を極めるはずだ。

 キャラクターはフィクション的な存在だが、決して作者のコマではない。物語に沿って振る舞うような機械性ではなく、もっと非論理的な存在である。そのようなものを「人格的」だと私達は解釈するし、逆に整然としすぎていると不気味さを覚える。戦争が蔓延するかのような世界で、若い兵隊たちが国を崇拝して自ら命を落としていくさまを、ただそれだけ描写すればそれは人間的ではないのだ。葛藤や苦悩など、所謂「負の側面」を描いてこそキャラクターとしての厚みが出現する。

 魅力的なキャラクターは絶対と言っていいほど欠点が存在する。その欠点こそが人間としての価値を惹き立たせるのだろう。そう思えば、私達が常日頃感じている負の側面を体験、記録しておくことは決して悪いことではないと思わされる。

 今一度、小説のあらゆるキャラクターへの扱いは、私達人間と殆ど変わらない程度に思っておくことが、キャラクターのリアリティを創出させることに繋がる。

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