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創作の独り言 恋愛について
恋愛ってなに?
物語ごとには欠かすことのできない「愛」という言葉なのですが、私はこの言葉に対して常々疑問に思っています。
基本的に物事を論理的に進めていきたい、という気持ちから来るのでしょうが、正直どれをとっても「友愛」と「恋愛」の違いがしっくりこないのです。こんなことをあれやこれや考えている人は存外に多いかもしれませんが、創作をする人にとってこれは重要な命題になるのです。
1.恋愛の関係性は説得力を生む事がある
例えばミステリー小説を書くとしましょう。ありきたりなのは、「誰かの罪をかぶる」というシチュエーション。
罪をかぶるという行為については多くの親しい関係の中で十分な説得力がありますが、これは度合いによってはこの限りではないと私は感じています。
「罪をかぶる」という行動が「殺人の罪」であれば、この言葉はより理解できるかもしれません。
もし仮に、これを読んでいる貴方が誰か親しい人の罪をかぶるとしましょう。貴方と仲の良い人が殺人を犯してしまいました。貴方はその人のことを想って罪をかぶることにしました。
1.友達
2.恋人
3.親
この中でどれを選ぶでしょうか。これは答えの無い心理テストのようなものでしょう。これを答えたとしても「貴方はこういう性格ですよ」というものではなくて、それが最も「貴方の中で納得できた間柄である」ということを示していると私は考えています。
正直、これを打ち込んでいる私自身も「2」を選ぶことでしょう。正確に言えば「罪をかぶるとかありえないけど、もっぱら創作で使うのであれば恋人」なのですが、それ自身も、最も納得ができる間柄ということから外れることはありません。
なぜこう言うことが起こるのでしょうか。勿論、「この社会がそうさせる」と言われればそうなのですが、実際各国のイデオロギーだけの直線的な話とは思えません。
この質問をしたとき、恐らくは多くの国で同じようなことになるでしょうから。ただし当然ながら実際に統計を取るわけでも、各国の独立的な社会性について完全に無視した意見なので、実際にどうなるかは私自身気になるところです。
今の所、「社会がそうだから」という答え以外でこれについて考えていきましょう。
2.恋愛という関係について
早速いつも通り調べてみましょう。
多く出てきたのが「性愛関係にある男女」という言葉が共通していました。これについては恐らくある程度周知されている事実なので、特定の場所から引用を出すことは遠慮します。
ここで早速脱線するのですが、私は大学でこと「同性愛」について勉強していたのですが、辞書において「恋愛」と「同性愛」は別分野で書かれていることが多く見られました。
これについては賛否分かれますが、どのような歴史的変遷の中で「同性愛」という言葉が概念化されてきたかを知っているので、「まぁ今の所いいんじゃない?」くらいの意見ですが、この独り言では同性を含めた恋愛を「恋愛」として定義しましょう。
同性愛嫌悪がある人は別かもしれませんが、異性であれば同性であれ恋人関係というものは特別な関係です。その分、お互いの行動の理由付けとしても適切として扱われます。
創作の上ではまさに手垢がついていると表現されるほど擦られたテーマかもしれませんが、実際のところ創作において「恋人関係」はやはり扱いやすい設定であります。
それは多くの人がその関係性を概念化して理解しているため、ある程度突飛な行動理由としても成立するわけですね。
行方不明になった人を探しに、明らかに危険な場所に行くことも恋愛の間柄であればさほど不自然なことではありませんが、友人関係や仕事関係の人物を助けに行くと聞けば随分と違和感が生じることでしょう。
このテーマで、他に使える関係は「親子」か「親友」でしょう。後者は違和感を抱く人もいるかも知れません。前者であっても、描写によっては不自然に思える行動になる場合もあります。手放しに納得できるのはやはり「恋愛関係」、広く言えば「夫婦」もこれに該当しますね。
なぜ、それほどまでに我々は「恋愛」という言葉に特別な意味を持っていると理解していて、その関係を最上位の存在として位置づけることができるのでしょうか。
恋愛が持っている魔力。そして恋愛が作り出す関係の魔力。詳細こそ不明ですが、我々は漠然としたイメージによってこれらの言葉を噛み砕いています。
では、これらの情報を踏まえて、私の独り言を早速綴っていきましょうか。
人が恋愛において特別な感じ方をするのは、恋愛が持っている特殊な唯一性にあるのではないか。と私は思っています。
様々な人間関係の中で、恋愛は唯一無二の特性があります。それが、「家族へと変わる瞬間がある」ことです。家族は自分の血族、つまり自分にかなり近い状態の存在ですが、通常の家族は既に「血縁」という縛りによって、決して変わることはありません。
ですが、これに唯一加入する方法があります。俗にそれは「結婚」というように呼ばれ、他人同士が本来血族で結ばれている「家族」になる。これは恋愛関係が持っている唯一の特性であると言えるでしょう。
逆に他の関係から「家族」になることはありえません。どれほど親しい関係であっても、家族になることはできないでしょう。それを可能にしている恋愛関係はやはり不思議で特別なものであることがわかります。
ではそれならなぜ「本来の家族」よりも説得力を帯びるのでしょうか。生物的な類似性は家族にまさることはできないのに、どうして「親子」や「兄弟」よりも、「恋愛関係」のほうが説得力を持つのでしょうか。
それは、恋愛関係のふたりが本来別々の存在だから、という言葉を渡すことができると考えれられます。
先にも言ったように、「他人」から「家族」に変わる唯一の関係が恋愛関係です。
つまりこれは元々他人だったという最大の証明になります。どうして私達は他人から「家族」になることができるのでしょうか。大量の結びつきの要素を持っても、恋愛を明瞭なものにすることはできないのですが、たしかにそこにはお互いの心の結束があると思います。
それこそが説得力なのです。他人を家族以上に思うことで、ようやく「家族」に昇華する恋愛関係では、論理的に考えても最大級の結束で繋がれていることを表していて、逆に家族以上の結びつきがなければ、「他人」という絶対的な壁を持つ両者が「家族」になることができないのです。
無理やり論理的な調子に当てはめているのですが、少なくとも「理解する」事はできる内容だと自負しています。というのも、本質的に「恋愛関係とは」を語りだすと大量の心理学、社会学の文献から大量の引用を引っ張ってくる必要がありますし、そもそも論理性が絶対にあるのかと言われると疑問が残ります。
これ以上の議論を続けるにあたり、独り言には荷が重い話になっています。ここで結論をまとめてみましょう。
結論
・恋愛は無茶苦茶な行動でも「なんとなく」納得できる事がある。
・恋愛が特別なのは「他人」から「家族」になる唯一の関係だから。
・血縁がない「他人」が「家族」になるのは、「家族」以上の関係を要求している。だからこそ、恋愛は関係の最上位に来る事ができるのかも。
内容をサクッとまとめるとこんな感じになります。
この回はもはやこの結論だけ見ればいい感じなのがまた悲しいですが本日の独り言はこれでおしまい。またのお越しをお待ちしています〜。