創作の独り言 面白いってなに?

面白いとは?

 「面白い」、私達は日常からそんなことを思うのですが、実際のところこの言葉をどのようなものかを説明することができる人は少数でしょう。
 正直私もそれをすることができていません。なので、この独り言で早速「面白い」についてあれこれ考えを捏ねくり回すことにしましょう。

 そもそも、面白いとはどのようなことを指し示しているのでしょうか。
 まずは「面白い」の定義から・・・。

1.面白いの定義

 「面白い」とは言葉としてあまりにも広域的過ぎます。いつもの通り言葉の字義的な意味については広辞苑の方から引用させていただきます。

心をひかれるさまである。興趣がある。また、趣向がこらされている。
(広辞苑オンライン・「面白い」第2項より)

 広辞苑オンラインによると、この言葉は3種類ほど言葉の使い方があるようなのですが、この文脈における「面白い」は第2項のこちらの意味が適切でしょう。
 辞書的に言えば、心を惹かれると思えるような作品、そして趣向が凝らされている作品に対して私達は「面白い」というようです。

 さて、心惹かれるとはまさに主観的意見であり、絶対的な基準はなさそうです。私は「自分の好きなシチュエーション」であればだいたいなんでも惹かれていると思うのですが、どうにも私の好きなシチュエーションは理解されにくい傾向があります。
 まさに主観意見の代表的な状況ですが、こちらを明確に表現する基準は結構万人に共通するものをあげることができます。

 作品に対しての反応の速度、この一言に収斂されると私は考えています。興味を持った作品に対してはやはり素早くその作品の細部を見て、充足感を得ることでしょう。これはどんなに好き嫌いの分かれることでも現象として確認することができます。
 興味の持てないものを、素早く迅速に確認するなんて、仕事でも困難を極めることでしょう。それを金銭という対価もなしに、しかもお金を支払って体験しようとする人は皆無に等しいことでしょう。

 作品として興味を持ったとき、それを読み解くスピードがそのまま興味、もしくは心惹かれると表現されるのは間違いないかもしれませんが、これをそのまま「面白い」として解釈してしまう事ができるかといえば微妙なところです。
 面白いと思って読み進めていっても、最終的に物語の展開が変わって「作品としては魅力的だが、面白いとは思えない」という感想を抱くこともあるでしょう。

 なかなか矛盾した意見かもしれませんが、面白いとはまさにそんな矛盾を生む場合があります。
 これは「作品としてのクオリティ」が「面白い」と噛み合わないことで起きる矛盾でしょう。この2つが別の話であるとすれば、特段矛盾しているというわけではないのかもしれません。

 前者については別の独り言で語るとして、「面白い」とはやはり主観的な話なのでしょうか。
 確かに興味を持ったものが、最終的にはそうでも無くなってしまう。そんな不安定な要素がこの「面白い」という言葉にはあります。ところで、「面白い」という言葉は作品に対して以外にも多くのところで使われていますね。
 ゲームやスポーツ、仕事など、多くの分野においてこの言葉が使われますが、そこで広く共有されているこの言葉の意味は同じようなものである、と私は捉えています。

 ではどうして、実際に体験するようなものであっても、「面白い」と感じるのでしょうか。
 これが今から話す「定義」と絡めて考えていきましょう。

 ここで結論になるのですが、私は「面白さとは、自分がし続けたい行動である」と捉えることにします。
 作品のクオリティと面白さが乖離するのはまさにこれが原因でしょう。面白いということは、行動するからこそ感じるものであり、逆に行動なしに起こるものではない。それが面白いというものの正体なのかもしれません。

 面白いからこそ私達は「読む」という行動に出ます。それだけではなく「作品を振り返る」「作品に対してありありとした感情を起こす」、多くの物理的、心理的行動へと繋がっていきます。
 これはどちらが先かという議論も起こすことでしょう。「面白いからこそ行動が起こる」と考える人もいるでしょうが、どちらにしても「行動」を活気するものが面白さの本質でしょう。

2.面白いはどう作るか

 なんとなく、面白さの輪郭を掴んだところで、創作者は「面白い」を意図的に作らなければなりません。
 人に行動を活気させる面白さ、それをいかにして作り出すかが重要な項目でしょう。そして創作における最も難しい部分です。先程の話にもありましたが、「面白さ」は主観的なものです。その社会や環境によっても変わるかもしれませんが、現代社会の中でのトレンドを上手く取り入れつつ、オリジナリティも出していかないとすぐに飽きられてしまいます。
 「面白さ」を創作の中に取り入れていくと、必然的に連続的な面白さが必要になります。先程の例にあるように「途中で面白くなくなってしまう」という展開になれば最悪ですが、事小説においてはそのようなことが頻繁に起こります。

 ではどうやって、「持続する面白さ」を小説で作ることができるのか。私はそれを探していますが、ここでは自分で考えることとしましょう。

 まず着目すべきは「行動」を活気するものが面白さであるという点です。人の心理的に、これは逆でも十分成立すると言えるでしょう。人は自分の行動に理由を後付する傾向があるようなので、「何かしらの行動を読者に起こさせる」ギミックを作っていけば、必然的に面白さにつながるかもしれません。
 小説における行動の活気は「好奇心」をくすぐる方法でしょうか。作品の冒頭に、読みやすさを考慮した「謎」をバラまき、最終的に一つの答えに収束していく。筋が通ってさえいれば、それだけでも十分小説として価値があるものかもしれません。
 実際のところ、そのようなものではオリジナリティがないと判断されてしまうこともあるので難しいところです。
 これらの要素を組み込みつつ、同時に魅力的なオリジナル要素を持たせなければならないので、創作は方法論だけわかっても実行することは極めて困難な代物であると言えるでしょう。

 行動を活気する、創作においてそれを前提に浮かべておくのは非常に重要な話であると思います。
 これは創作だけではなく、あらゆる分野において言えることでしょう。人の行動をくすぐる、それが人を動かす重要なファクターになるかもしれません。

結論

・面白さは作品のクオリティと乖離する
・行動につながる心理的な動きが面白さ。逆も成り立つのかも
・面白さを作るためには、人の行動を刺激してみることを考える

 というわけで、今回は「面白さ」について考えてみました。
 この記事も、「面白い」と思われなければ意味がないことを考えると難しい話でしょう。

 それでは本日はこれまで閉廷!

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