物語は「必然」と「変化」でできている
「物語」とは?
前記事で私は、「小説」は散文の上に「物語」が乗っかっていると表現していました。
昨日の自分ながら面白い表現をしているなと思ってはいるものの、さすが独り言といえるような記事でした。
では、「物語」とは一体なんのことを示しているのか。
この大切な部分がすっぽり消えているのは、やはり、自分の頭の中で思考が止まっているからでしょう。ここで文字として起こすことでそれが明確になるのは間違いなく、それが纏まっていないのは、最初に引用文献を使った妙に凝った仕様にしていたからだと思われます。
今日は前日ほど時間はないので、まさに独り言という内容でサクサクと進めていきましょう。
これを読んでいる方は活字を読み慣れている方々だと思っているのですが、実際に「どういうものが物語なのか?」と聞かれてすんなり答えを出せる人は存外に少ないと思われます。
私自身、それを問われて即座に「こうだよ」と返すことはできないでしょう。あまりにも、物語という分野にのめり込み、そして突き進みすぎたのかもしれません。定義しようとすると、漠然とした言葉たちばかりが紙切れ同然の価値で並べられて、最終的には一切のまとまりのない、よくわからないものになっている気がします。
定義としては、前回引用したものが十分でしょう。
あの定義より、私が思った定義を作ってみましょう。
特定の人やものに関して、一部始終を切り取って、必然性のある事柄
私はこのように、「物語」を捉えています。
前回引用したものとかなり似ているとは思わますが、私も概ねあの定義がしっくり来て、かつ「必然性」という言葉を使っています。
さてここで、私がこと物語にて、必ず2つのことを意識しているということをお話します。
人によって、物語において必要な要素はあると思いますが、その中でも私はこの2つがなければ物語としての意味がないと思うことが2つあります。
1つは「必然性」
これに関しては、恐らく物語を作るすべての人が同様のことを言うでしょう。難しそうに感じる言葉ですがようは「物語中で起こることは、起こるべくして起こらなければならない」ということです。
要するに特に意味もなく主人公がとんでもなく強くなったり、なんの脈絡もなく聖人のようになるなどという、「脈絡のなさ」はご法度である、ということです。
これが何かしらの理由があるのであれば、それは「物語の中で必然的に起きた」ということになります。
前者の「強くなる」については比較的ありふれていることでしょう。ココ最近ではライトノベルという分野において流行している「異世界転生」では、この部分に色々な理由をつけて「必然的に強くしている」という必然性を作っています。
この部分をいかに納得できるようにしていくか、そしてどれほど物語を練っていくかのある意味の指標になるかもしれません。
主人公が引き起こしたたった一つの行動、思考、誰かとの関わり、抱いた感情、それらすべてが物語の最後で「なにか」を引き起こすきっかけになるとすれば、そのすべてに収束させるために多くの伏線がはられていたのであれば、恐らくは大絶賛間違いなしでしょう。
この必然性が、小説に一つの味を与えることは間違いないでしょう。逆に、私を含めて読み手も、ある意味ではこの前提があるからこそに小説を読むページを進めるのだと思います。
たった一つだけ切り取ってみれば、なんの変哲のない日々の断片かもしれない。だけど、その行動が何かしらの「事柄」を引き起こす必然の一欠片になる、そう断定しているからこそ私たちは物語を進めていくのです。
必然性については、こんな独り言よりも遥かに良質なことを書いているクリエイターが多いとは思いますが、次の部分については少々の独自性があるかもしれません。
2つ目は「主人公・環境への何かしらの変化」
必然性に富んだ豊かな物語は、なんのために存在しているのかと問われると、小説を書き出した頃の私はかなり困ったと思います。
面白さ、という回答もあるでしょう。その他にも、好きだから、ということも考えられます。
でもここ最近の答えは間違いなく違うと思います。
私が物語に求めているもう1つの要素は、「変化」です。漠然と変化で十分なのです。主人公の変化でもいい、またはその周りの変化でも十分だと思います。
特定の人やものの一部始終を切り取って、その事柄について静かに語っていく。それが物語だとしました。であれば、面白くても、物語が始まった最初と何も変わらない主人公とはありうるのでしょうか?
起こることはすべて必然である世界において、環境はまだしも、人が変わらない、少なくともそれはありえないと思います。その変化の大小は、今の所無視して、「変化したか」という部分に焦点化すれば、話は面白いくらい変わってきます。
例えば特定の事柄において、主人公が「変化しない」としましょう。
物語は何でもいいのですが、推理モノで主人公が事件を解決しました。そしてまた何一つ心境の変化のないまま、同じような事件に挑みます。
どうなるでしょうか。恐らく、同じような疑問符を持ち、同じように物語に苦戦することでしょう。「なんか、あの事件と似てるな〜」と思うこともなく、新鮮な気持ちで1からスタートするわけです。
それを考えれば、悪い意味で現実味がありませんね。キャラクターに吹き込まれる命がどうにも、虚構の存在で止まってしまうような感じがします。
これに「変化」を与えてみましょう。
もし、次に似たような事件が起きても、逆に「回想」が頭によぎるはずです。それは疑問符を浮かばせる前に事件の核心に迫るかもしれませんし、その思い込みが事件の真相を先延ばすかもしれません。
ある意味では、その人を正確に描写することで生じる「必然性」と言えるかもしれません。
ですが、「変化」がないとあるのとでは随分と、その先のキャラクター像が変わってきます。
これは明らかに極端な例ですが、そこで生きているキャラクターが持っている「リアリティ」は全く違います。
例え、その物語に続きがあってもなくても、読み手にはそのキャラクターのその後をなんとなく想像させるでしょう。その延長線において、キャラクターが虚構となるか、現実に近い存在になるかは全く違いますね。
今回はキャラクターに限定していますが、環境においてもおよそ同じでしょう。それについてはまたいつか独り言にしたいものです。
今日の独り言まとめ
・物語は「特定の人やものに関して、一部始終を切り取って、必然性のある事柄」
・物語は「必然」と「変化」によって重厚になる。
・「変化」はキャラクターに現実味を与える、かも
以上、本日の独り言、終了。
次の独り言まで、おやすみなさい。